音楽サブスクリプションサービスについて調べる

音楽の聴き方としての「サブスクリプションサービス」について、
最近個人的に注目しています。といっても自分自身まだ使っていないんですが。
調べていくうちに「これは後学のためにもまとめておいた方がいいな」と思ったので、まとめてみます。

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<どんなサービスがあるのか>

けっこうある。

Spotify
https://www.spotify.com/

Deezer
http://www.deezer.com/

TIDAL
http://tidal.com/

Rhapsody
http://www.rhapsody.com/

AWA
https://awa.fm/

LINE MUSIC
https://music.line.me/

Google Play Music
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.google.android.music&hl=ja

Apple Music
http://www.apple.com/jp/music/

Prime Music (Amazon)
http://www.amazon.co.jp/b?node=3589137051

Groove (Microsoft)
https://music.microsoft.com/

QQ Music
http://y.qq.com/#type=index

KKBOX
https://www.kkbox.com/jp/ja/index.html

Saavn
http://www.saavn.com/

Gaana
http://gaana.com/

きりがなさそうなのでこのへんでやめておきます。

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<どの地域でサービスが成立しているのか>

これは、グローバルプレイヤーとローカルプレイヤーに分かれます。

Spotify、Google Play Music、そしてApple Musicなんかはグローバルなものでしょうし、
反対にAWA Music、LINE MUSICなんかは日本のローカルなものです。

Deezerはフランス発祥ですがグローバルな展開を進めており、
特にアジアやアフリカなどあえて新興国で展開を進めているのが特徴ですね。
http://jaykogami.com/2015/09/12071.html

QQ Musicは中国、SaavnとGaanaはインドで強いサブスクリプションサービスのようです。
とはいってもこの2国は人口がすごいですからそれだけでも結構な母数になりそうですが。

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<どういうビジネスモデルなのか>

だいたいのサブスクリプションサービスは、「無料会員」と「有料会員」に分かれるようです。
もちろん「有料会員」のみのものもあります。

無料会員は、広告とかを見る必要があったり、一部機能に制限がかけられているけれど、
月々一定の金額を払って有料会員になれば、広告表示なしで、無制限で見放題になったりします。
あるいは、その有料会員の中でもさらにランクが分かれていて、よりお金を払うと高音質で聴けたり、
より多くの曲数が聴けたり、という風になっています。

さすがに「無料会員」のみのもの、っていうのは存在しないんじゃないかと思います。
あるとすれば広告収益のみで利益を上げている存在なので、
それは「サブスクリプションサービス」とはちょっと違うかなと思います。
Pandora Radioとかはそういうスタイルですね。

あと、Soundcloudも最近では広告が流れるようになりましたが、それ以前は広告すらなく、
でも聴く側には一切お金は発生しませんでした。
「音源をアップロードする側」がお金を支払うという特殊なビジネスモデルですね。
いわば広告枠を個人ミュージシャンに売るようなもの。これはこれで面白いなと思います。

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<いつ始まって、どのぐらい会員数がいるのか>

分かる範囲で調べてみました。

Spotify:
2008年10月にサービス開始。
有料会員数が2,000万人、アクティブユーザー数が7,500万人(2015年6月10日時点)。
ただし、それ以降の発表はなく、最近ではむしろ落ち目になってきているのでは?との指摘もみられます。
http://cloud.apples.jp/cloud-s/9837/

Apple Music:
2015年7月にサービス開始。
ほとんどのiOSデバイスには自動でインストールされているので、あくまで有料会員という数だけで見ると、
有料会員数はなんと1000万人(2016年1月時点)。相当伸びが早いですね。
http://iphone-mania.jp/news-97219/

LINE MUSIC:
会員数はちょっと出ていません。
『「LINE MUSIC」がDL数で世界5位に』という記事は出ているのですが、
具体的にどれだけダウンロードされたのか、と言う数は出ていません。
http://music-mag.line.me/ja/archives/49331977.html

他のニュースサイトなどを見てみると「ローンチ後の数か月だけダウンロードがすごかったけど、
その後はあんまりだし有料会員は全然増えていないのでは?」という指摘もありました。
http://lab.appa.pe/2016-01/music-streaming.html

TIDAL:
元はスウェーデンのAspiroという会社が2014年に立ち上げたサービスですが、
なんとJay-Zが2015年初頭に買収を決定、3月にブラックミュージック・クラブミュージックまわりの豪華メンツを揃えてリリースしたサービス。
Jay-Zの2015年9月30日の発表によれば、有料会員数が100万人を超えたとのこと。
TIDALのトップページを見てもけっこうコアなデザインになっていて、僕は案外好きですね。
http://jaykogami.com/2015/10/12097.html

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<日本はどうなのか>

日本はたぶん音楽市場自体がすごく特殊な環境にあって、
「デジタル媒体」の比率が先進国の中で異様に低いんですね。

こちらのサイトの「2014年世界音楽売上トップ20における項目別シェア」のグラフを見てみてください。
http://www.garbagenews.net/archives/2149390.html
赤色の部分が「有料音楽配信」による売り上げなんですが(ダウンロード+サブスクリプションかな?)
これの比率が日本はたったの18%なんですね。
いっぽうアメリカ・スウェーデン・中国は80%ぐらいいっててこれはこれですごいことになっている。
他の欧米諸国は40~60%ぐらいといったところです。ドイツだけ日本と同じぐらいですね。

と同時に「2014年世界音楽売上トップ20」を見ると、
日本って音楽市場の売上が世界2位なんですね。
嘘!?!?!?!?!?!?!?!?って思いましたがそのようです。

1人当たりの売上についてもこちらのブログで算出されていますが、
http://d.hatena.ne.jp/longlow/20150503/p1
これで見ても日本は2位と相当高い。

で、こっから見えてくる1つの仮説としては、
「日本人は音楽に金を使っていないわけではない。むしろすごく使っている。
 ただ、使う方法がCDなのである」
ということなのではないか、ということですね。

だから日本の音楽市場は実はあきらめるべき存在でもなんでもなく、
むしろブルーオーシャンもブルーオーシャン(しかも大海)なのでは!?とも考えられます。
もちろん何か数字のトリックがあってこう見えているだけ、と言う可能性もなくはないですが。

日本で使える音楽サブスクリプションサービスが出てきたのはほとんど2015年なので、
まだまだこれからどう伸びていくのか、という感じです。

あと細かい事情で言うと、Spotifyは何度か日本に参入しようとしているんですが、
どうもレーベルとの交渉がうまくいかないっぽいんですね。
Spotifyが影響力をもっている欧米系レーベルに関してはすごく強いけど、
日本に関しては日本のレーベルが独自に覇権を握っていて、そちらが「Spotifyなんかいらん!」となって
なかなか入って来れない、という事情もあるようです。

AWAはサイバーエージェントとエイベックスが共同出資で始めたサービスですし、
LINE MUSICもLINE、ソニー・ミュージック、エイベックスで始めているサービスです。
なのでこういう、日本のレーベルが出資したオリジナルサービスであれば、今後も増えていく可能性はありますね。
逆にSpotify、Pandora、Deezerなんかは案外ずっと入ってこれないかもしれません。

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<今後どうなるのか>

え!?もう結論!?という感じですが、これを書いているカフェがそろそろ閉まるので急ぎ足になります。

まず日本に関してですが、いまのところはなんだかんだ言って日本はCD天国なので、
これからはCDから音楽配信への移行期になるのかなと思います。(ならないかもしれませんが)

音楽配信という聞き方が定着しさえすれば、日本人は案外音楽にお金を使ってる人々なので、
日本でもかなり音楽配信が広がる可能性はあるのかなと考えています。
ただそれにあたって障壁となるのは、やはりメジャーレーベルの既存産業(主にCD)保護になるのかなと。
あとは、サブスクリプションサービスという概念が新しすぎてあんまり使い方が理解してもらえない可能性もあります。
そのへんは広告コミュニケーションやPRの力が試されてくるようにも思います。

逆に日本以外で、もうサブスクリプションがある程度定着している地域に関しては、
これからどうなるんだというところですね。それはちょっと流石に読めません。

ただ一つ流れとしてありそうかな~というのは、これだけサブスクリプションが乱立してくると、
「あれ?どこでも聞ける曲一緒じゃね?」「じゃあ安い方に行こうっと」となって、
価格競争が発生し、サブスクリプションサービスの経営も苦しくなりミュージシャンへの還付も少なくなってくる。
という方向性はあるのかなと思います。なのでまずは差別化というところ。

その「差別化」というところで一本キワだってるのは、先ほども挙げましたJay-Zの「TIDAL」だと思います。
もうトップページからして「これが俺の世界だ」といわんばかりの強烈な主張が漂っていますが、
それがそれでこの雰囲気が好きな人にはすごく受けると思うんですね。
実際僕も今挙げた中で何に登録したいかっていえば、TIDALです。これはちょっと面白そう。
もう1回URL載せておきます。 http://tidal.com/jp

なので「差別化」という方向を推し進めると、例えばの話、
「スウィング・ジャズからアシッド・ジャズまで、とにかくジャズに特化したサブスクリプションサービス」とか
「エチオピアからトリニダード・トバゴまで、世界のすべてがここにあるワールドミュージックのサブスクリプションサービス」とか
そういうものもありえるかもしれない。ちなみにこの2つはあれば自分も登録したいです。聴きたい。

まあそれはちょっと夢物語というか、レーベルとしてもあんまりうまみがないと思うので、
物好きなレーベルや個人(Jay-Zのような)が始めていくという形で成立するのかなと思います。
最初からサブスクリプションサービスを前提としたレーベルなんかも現れてくるかも。それ面白そうですね。

あとは、インドにおけるSaavnやGaana、中国におけるQQ MUSICなんかのように、
もうその地域だけで成立できちゃうような、地域性に特化したサービスとかも、しぶとく生き残っていきそうな気がします。

日本ではまだまだサービスがスタートしたばっかりなので、
今後どういう方向に進むのかは分かりませんが、引き続き注目していきたいです。

運命とその受容

最近は為末大さんの書いたもの(ブログや記事や本やら)をよく読んでいて、
何となくなんか今感じている問題に近いヒントがあるなあと思うのですが、
繰り返し出てくるテーマとして「運命論」みたいなものがある。

為末大さんは運命論者である、というと言い過ぎというかちょっと違う気がするんですが、
簡単に言うと「頑張れば成功する」という価値観に対して「それは違うんじゃないの?」と、
むしろ(世間的には)「頑張って成功した」人が言っちゃうというところが波紋を呼び、
時に批判を浴び、時に喝采を浴び、時々炎上もしたりしている。(日本人がヒップホップをやることについて、とか)

で、「頑張れば成功する」という言説は、多分、
「そういうことにしておかないと諸々ややこしくなる」というところに端を発している。
わからない。この言説は、もしかすると身分制社会ではすんなり受け入れられるのかもしれない。
たとえばインドとかだとどうなんだろうか。価値観を聞いてみたいがインドの人はその割にハングリーだと思う。

たとえば頑張っても成功しないとなると、ではなぜ頑張らなければいけないのか、ということになり、
社会から活力が失われる、働くやる気が失われる。
あるいは頑張っても成功しない=生まれで差がついている、となると、
これは人間は平等であるという近代社会の基礎ルールを大きく損なうものとなる。
そうなるとそもそも我々が生きている社会って何を基盤にして成り立っているんだっけとか、
そういうことから考え始めなければならず、それはとても怖いし重荷なので、考えたくない。
それよりは「チャンスはみんなにある」と考えたほうが楽だし、何となくハッピーな気がする。
というかそう考えないとやっていけない。というのがある。

まあそれだけだとルソーが人間不平等起源論で言っていることと同じだよね、となっちゃいますが、
もうちょっと実際にはいろいろなことを言っている。けど大きなテーマとしてはそこに通じる。

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これも同じく受け売りでしかないんですが、
日本にとって、そういう「人間は不平等」「努力しても報われない」みたいなテーマと向き合わざるを得なくなったのは、
やっぱり東日本大震災の影響が大きいと思う。

良い人も悪い人もいたかもしれないけれど、それらをひっくるめて、
地震や津波という災害が、特に何の理由もなく、人の命を奪っていった。
僕は関西にいたので全く地震を感じず、未だに震災に対してリアリティを持てていないのだけど、
そういうことがある、という実感はテレビやネットを通じて全国に伝わっていった。

HONDAが「負けるもんか。」というコピーで、
 たいてい、努力は報われない。
 たいてい、正義は勝てやしない。
 たいてい、夢はかなわない。
とはっきり言いだしたのは2012年のことだった。
http://www.honda.co.jp/movie/201204/corporate/

それだけを取り上げて一般化するのもよくないし、
それ以前にもそういうメッセージはあったのかもしれないけれど、
そういうメッセージをHONDAという大企業が打ち出したことは衝撃だった。
多分その辺からそういう風向きが変わってきたのだろう。

為末大さんが現役を引退したのも2012年で、
それ以前にも走ることについての著作は出されているが、
そこから出した著作については何かと「諦めること」の話が出てくる。多分毎回出てきていると思う。
そういう時代の空気感と、為末大さんの発言する内容がシンクロしていて、
共感する人が多くなったというのはあるのかなと思う。

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話は変わって、よく仕事論・転職論なんかで見かけるのは
「石の上にも三年」論と「嫌なら早くジョブチェンジ」論の戦いである。
どちらかというと「石の上にも三年」論が昔から日本では優勢で、
最近になってベンチャーやら何やら出てきたおかげで「嫌なら早くジョブチェンジ」論も割とよく見かけるようになった。

前者を象徴する本としては、これは何も仕事論の本ではないけれど、
置かれた場所で咲きなさい』だと思う。
2012年に出版後、約4年で200万部というベストセラーになっています。(出典
「もしドラ」が244万部とかなので、それといい勝負できるぐらいのヒット作です。

ただ、この本が売れたのも実は「2012年」という時期が関係してるかもしれません。
震災で理不尽に命が奪われたり、理不尽に不便な生活を余儀なくされた、という時に、
「それは運命/与えられた試練なんですよ」みたいな着地点、ある種の運命論を与えてあげることで、
少なからず多くの人が少し安心できた、というのはあるのかなと思います。

為末大さんも比較的運命論寄りではあるんですが、
おそらく「置かれた場所で」ということが大きく違うと思います。
置かれた場所が自分の生存に難しければそこは移動しようという立場です。おそらく。

後者の「嫌なら早くジョブチェンジ」論の代表としては、
たとえばイケダハヤトさんやら厚切りジェイソンさんが挙げられるのかなと思います。
よく考えるとどっちもIT系ですね。IT系はジョブチェンジと親和性が高いのでそれもあると思いますが。

『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』という本が出たのが2008年ごろで、
その辺りから徐々に「ブラック企業問題」が顕在化されていきます。
「黙って会社の言うことに従っていると、最悪の場合死ぬ」という事態は衝撃を与え、
「ワークライフバランス」という言葉が注目されるようになりました。
ちなみにGoogleトレンドで見ると2008年7月が「ワークライフバランス」の検索人気度のピークですね。

まあだからその辺りからすでに「しんどければ会社を辞めたっていいんだよ」論は出てきていて、
それが東日本大震災を経て「いつか天災で死んでしまうかもしれないんだから、やりたいことをやって生きよう」という論調に
さらに変化してきた。というのがなんとな〜く日本のこの辺の仕事論の歴史なのかなと考えています。

ただ、この論はこの論で反論もあって、「早くやめてしまうと、能力も身につかないし面白味もわからない」とか、
「自分の仕事が全体の中で果たす役割を真剣に考えていないからつまらなく感じるだけ」とかいろいろあり、
まあそれもそうなのかなあと思うことも。

まあ、そういう両方の論があって、両方を見ながら考えられる、ということは、いい時代だと思います。
これがたとえば逆に「嫌なら早くジョブチェンジ」だけに行ってしまうと、
ジョブホップした挙句対してキャリアも身につかず上手くなったのは転職面接だけ、みたいなことにもなりかねない。
それはそれで非効率な社会でしょうし、そんなに転職を繰り返すほど職場に劇的な差があるもんなんだろうか。

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運命と受容ということを考えた時に、一番の問題は、
その運命がそもそも運命なのか(=変えられないものなのか?)、
そしてそれは受け入れるべきものなのか?というところは結局自分で判断せざるをえない、というところだと思う。

音楽メディアとビジネスについて考える

音楽とメディアの歴史を雑に辿ってみる。
こちらが大いに参考になりました。
http://www2.hannan-u.ac.jp/~ida/2001soturon/miyamoto.pdf
http://gigazine.net/news/20110829_music_industry_change/

大雑把に言うと、音楽メディア(記録媒体)の歴史って

リアル

レコード(1920-1988ぐらい)

テープ(1980-2000ぐらい)

CD(1983-Now)

mp3などのデータ(2004-Now)

となっています。
また、記録媒体ではなく「出会う場所」でいうと



コンサートホール

ラジオ・映画

テレビ

インターネット

というようになってきている。
これも極度に雑なので実際はクラブとかカラオケとかもあるわけですが。

音楽が「それを記録されたメディアを売る」というフェーズになった時に、
「じゃあそのメディアのコストを下げよう」という方向にインセンティブが向くのは当然なわけで、
より安価で作れるメディア、より大量に作れるメディアという方向に技術革新が進んできた。
そしてとうとう一番安いもの、つまりデータそのものになった。
と同時にデータそのものは本当にCtrl+CとCtrl+Pで作れるから、
逆説的にその「データを売る」というビジネスモデルが成り立ちづらくなってきた。
いや、成り立ってはいますよ。成り立ってはいるけれど厳しくなってきた。

僕も音楽の7割ぐらいはYouTubeで聞いているし、
YouTubeにしかない音源みたいなのもあったりして(特にライブ音源とか)、
最近でこそ時々iTunesで音源を買うようになりましたが、それは「お布施」として買っています。
募金みたいな意識で金を払っている。その音源自体に実は大して意味はない。

と同時に、この「インターネット」というフェーズになってきて、
逆説的に「レコード」に日が当たるようになったのはなんでなのか。これも興味深い。
アナログだから音質が違う、とか、モノとしての所有感がある、とか、そういう理由付けはできるけれど、
本当にそれが本質なのか。そうなのか?あるいは一部の好事家だけが買っているのか?

そして音楽が記録できるという性質を持ったからこそ成立する音楽家、というのも出てきた。
ヒップホップは記録媒体なしには存在しなかったし、DJに至ってはもう意味がわからない。
いや、好きなDJはいるしたまにクラブイベントに行きますけれど、
音楽をかけるだけで金をもらえるというのは今になっても意味がわからないんですよ。

なんなんだ?ってことですよ。
音楽ビジネスはなぜ成立しているのか実はよくわからない。
この状況をトータルに理解している人は実は誰もいないんじゃないか。いたら教えてくれ。講義してくれ。

音源の数が莫大に増えることによって、
ものすごい離れた場所のものすごい古い音源とかにも出会えるようになって(エチオピア70年代音楽がまさにそれ)
僕個人としてはこの時代に生まれてよかったなあと思うんですが、
音楽と人が出会いづらいという状況も生まれている。
いや、どうなんだろう?昔は昔で、決まった音楽を聞くしかなかったから、
それをいいと思い込んで聞くとか、あるいはその音楽の中に面白さを見出す能力がついていたのだろうか?

音楽を薦めるためのメディア、というところで、僕は一番サブスクリプションサービスに期待しているのだけど、
どのぐらい伸びていくんだろうか。
たとえば世界中の人間がサブスクリプションサービスでしか音楽を聞かないとなったら、
ありえないほどの莫大な量の音楽聴取データが獲得できるわけで、
そのデータは多分よだれが出るほど面白いと思う。面白すぎて死人が出ると思う。

あと、サブスクリプションサービスに登録している曲が聞かれた場合、そのお金はどういう風に払われるんだろうか。
たとえば月額2000円払っていて、結局決まった10曲ぐらいしか聞かない人もいると思うし、
1000曲ぐらい聞く人もいるかもしれない。
その場合10曲聴く人のお金は200円ずつ分配されるのか?1000曲聴く場合は2円ずつしか分配されないのか?
まあそんなことはなくて多分1再生あたりいくらみたいなモデルなのだろうと思うけど、
その金額はどのように決められるのだろうか。
1人あたりの1ヶ月あたりの再生数ってのは、平均したら多分そんなに変動しないだろうから、
それの平均を考慮してお金を決めているのだろうか。

あるいは実は全然音楽家には還元されていなくて、
要は著作権を持ってる会社に丸ごとポーンと支払っているだけなのだろうか。
それもちょっと理不尽だからそんなことはなさそうだけど。でもあり得るかもしれない。

あとよく考えると、サブスクリプションサービスであれ、あるいはYouTubeであれ、
「音源」自体にはお金が発生していない。「再生」自体にお金が発生している。
これは一周まわって「ライブ」に近いと思う。ライブも「再生」にお金を払っている。
AKBのCDにしても「音源」自体には価値がない。なんならYouTubeの方が映像つきで観れるからコンテンツとしてはリッチ。

大きな流れとしては「音源」自体のコストダウンが下がり続けた結果、
そもそも「音源」自体に価値がなくなるという流れになっている、ということは言えそうだ。

ーーー

全然関係ないけど「スポーツ」はどこからお金が発生しているんだろう。
入場料、放映権料、スポンサー権料、グッズ販売、が4大収入らしい。
このうち「放映権料」と「スポンサー権料」は一般の人が支払うものではない。
「入場料」と「グッズ販売」は一般の人が支払う。

それぞれの4大収入の割合がどのぐらいなのか、というグラフはちょっと出てこなかったけど、
仮にこれが25%ずつだったとしても、半分は放映権料とスポンサー権料なので、
スポーツはよくよく考えるとBtoBビジネスなのかもしれない。

それと比較すると音楽はBtoCビジネスっぽいなと思うので、
これがもうちょっとBtoBビジネスになると違ってくるのかな。
あるいは実は結構BtoBビジネスなんだろうか。

あとは、音楽と比較した時の特徴として、スポーツは記録媒体を売らない。
結果が分かっている試合の録画ビデオは別に売れないと思う。
いや、買う人もいるかもしれないけど、稀だろう。

映画は記録媒体を売るか。売るね。
本は記録媒体でしかない。アプリは記録媒体というか、なんなんだろう。仕組みそのもの?

ーーー

結局俺は何を考えたいんだっけ?
というと、要は音源自体に価値がなくなってきている現代において、
音楽ビジネスがどういう形であれば音楽家が存続できるのか、ということです。
別に存続はしてるんだけど。まあだからほっといてもなんかサバイブする道を見つけるのかもしれませんが。

根底にあるのは俺はもっと面白い音楽を聴きたい、ということで、
別にまあそれだけであればYouTubeとかでおもしろ音源を漁っていればいいんですが、
それをやっぱり多くの人と共有したいというのもあるんです。
で、僕が心底好きになった音源は、これはヤバい、これは全人類が聞いてもいい、
普遍的な魅力がある、と(勘違いかもしれませんが)確信してしまっているので、
これを聴いてくれよ、と言いたい。もっと世の中には面白い音楽があるぞと言いたい。それだけかもしれない。
文章にするとなんかとても上から目線だなこれ。そういうことではないんだけど。
面白い音楽を共有できる環境が作りたいのかな。
僕自身も共有したいし、逆に共有されたい。
ただ共有されるという立場を考えると、何かしらその人と音楽の趣味が合っている必要がある。その難しさはある。
聴取データとそれによるレコメンデーションサービスはその解決策となるのでは?と考えているけれど、なるのかな。
音楽が共有され、かつ音楽家に還元されるような仕組みができたら、それはもっとも良いことだと思う。

アプリ開発勉強してますねん

ちょっと前から、とあるiPhoneアプリを開発したくて、
iPhoneアプリの開発の勉強を始めました。

プログラミングという行為自体には興味はあったものの、
一回もやったことがなく、正真正銘初めてのプログラミングです。

で、プログラミングを学ぼうという時に色々と方法はあり、
オンラインで無料の動画を見たりだとか、あるいは有料のコースに申し込んだり、
有料の本を買って読んだり、ひたすらググったり、とかあると思うんですが、
まあ最初はある程度体系だって学べたほうがいいかな、でもそこまで金はかけたくないな、
ということで本を買いました。

1冊目に買った本が『ほんきで学ぶSwift+iOSアプリ開発入門』という本でして、
これはこれで途中まではまあまあ理解できたんですよね。

こういう規則性があって、この通りにこう入力するとこういう結果が出ます、とか。
自分が作りたいアプリにはどう役立つのかちょっと分からない機能もあるけど、
これがいずれ役立つのかなと思いながら、規則性のようなものを勉強していきました。

ところがそれが実際にアプリを作ってみましょう、の章になると、
途端に初耳のルールが使われていたり、あるいは本の通りにやってもその通りの結果にならなかったり、
「えええええええ」ということが続出してしまいまして、踏ん張ってはみたものの、
「これはダメだわ」ということで今日軽く挫折しました。

で、同じく今日買ったのが2冊目の本でして、
これが『絶対に挫折しない iPhoneアプリ開発「超」入門 増補改訂第4版』という本です。

さっきの本が、コードの書き方やら規則やらを覚えた後で、
アプリを作ってみよう、という流れだったのに対し、
この本だといきなり世界地図を表示するアプリを作ってみます。
でも、本に書いてある通りに進めていくと、なんか意外にあっさり出来ちゃうんです。
Appleの開発側がもともと用意してくれている機能を組み合わせていくと、
コードを1行も書かなくてもそれなりにアプリらしきものができる。

ベタな言い方ですがまず成功体験を積ませてから、徐々に知識を深めていくという流れ。
これは自分の好きな勉強スタイルともマッチしています。
例えば歴史の勉強であれば、全体の歴史の流れもわからないままに、
ホラーサーンだとかトゥグリル・ベクだとか覚えてもしょうがないし、結局定着しない。あと何より面白くない。
でも全体の歴史の流れがわかっていると、それらも面白く読むことができる。

開発におけるウォーターフォール型とアジャイル型と言いますか、
あるいはボトムアップ型とトップダウン型と言いますか、
まあなんか細部を完璧にさせてようやく最後に最終形がわかる、というものよりは、
全体像がまず見えて、そこからちょっとずつ細部を詰めていく、といったものの方が、
個人的には好きだしそっちのスタイルで行った方がやりやすい。
使い分けた方がいい時もあるとは思いますが。

まとめとしては、自分の勉強スタイルのクセを知っておくのは大事で、
本とかを選ぶ時もそのへん気をつけた方がいいなーと思いました。

実体とシグナル

以前の『スキルの可視化』の話と関連するんですが、
世の中には以下の4つの状態があるのかなと考えています。

・実体があり、シグナルがある
・実体がなく、シグナルがある
・実体があるが、シグナルがない
・実体もなく、シグナルもない

ここでのシグナル=「目に見えるもの」です。
「目に見えるもの」と言ってしまうと例えば音楽や料理の味、あるいは香水の調合などは
どうなんだという風になってしまうのですが、それは一旦置いておきます。

で、例えば具体的に表すとこういう感じになります。

・火が燃えていて、煙が上がっている
・火は燃えていないけど、煙は上がっている(=ドライアイスとか?)
・火は燃えているが、煙は上がっていない(=換気が効いているのかもしれない)
・火も燃えていないし、煙もない(=何もない)

このようにいろんな可能性はありますが、
通常我々が煙を見たら「あ!火が燃えてる!」と思う(=煙を火のシグナルとして捉える)のは、
「煙」という項目と「火」という項目の関連性が強い、因果関係があるからです。
逆に言うと我々が「火」と「煙」の間に関係を見出していなければ、そもそもこういう考え自体が成立しない。

例えば全く無関係のものを並べてみます。

・ベルが鳴り、食事が出る
・ベルが鳴ったが、食事が出ない
・ベルは鳴らないが、食事が出る
・何もない

「ベル」と「食事」は全く無関係のものです。
でも、こういった無関係のものも、パブロフの実験の通り、
何回も繰り返してやっていくことで関連性が構築されていき、
あたかも「実体」と「シグナル」のような関係になることができる。

ということを考えていった時に、「シグナル」が「シグナル」として成立するためには、
「シグナル」と「実体」の関係性が強い、ということが一つの条件だなと思ったのです。

でも本当にそれだけか?というと、もう一つ実は条件があるのかもしれず、
それが『「シグナルだけを偽造することが難しい」という概念がみんなの間に共有されていること』
なのではないかな〜〜ということを考えています。

例えば「A」という実体に関連した「B」というシグナルがあったとしても、
その「B」というシグナルを誰でも作り出せるのであれば、
相対的に見たときに「B」と「A」の関連性が弱くなるんですね。

例えば「B」というシグナルが一切偽造不可能であり、
「B」が感知される場合は必ず「A」であるという場合は、

「B」→「A」:100%
「B」→「not A」:0%

という関係性が成立するわけですが、
これが仮に「B」がいくらでも偽造可能であった場合には
「B」→「not A」の割合が増えていってしまう。
その結果もしかしたら

「B」→「A」:10%
「B」→「not A」:90%

ぐらいになってしまうかもしれない。

なんだか抽象的な話になりましたが、例えばわかりやすい例でいうと、
ロゴマークというものはまさにその最たる例ですね。

このロゴマークが付いているということは、あのメーカーの商品であると分かる。
逆に誰でもそのロゴマークを付けて良い場合、あのメーカーかもしれないし別のメーカーかもしれない。
結果そのロゴマークに対して信頼性がなくなり、意味が失われる。
それゆえに、ロゴマークを偽造・偽称した場合は罰されるようになっている。
そういう仕組みになっている。

「お金」なんかも偽造したら罰されるのでいい例に思えますが、
しかし「お金」の「実体」ってなんなんだ?というとこれは鬼難しい問題になってきて、
そもそも「お金」は「シグナル」だけをやり取りしている状態なのではないか、
という風にも思えてきて、これはこれで考え出すと面白いのですが超長くなるので割愛します。

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ここまでは比較的シンプルな前提に基づいた話でしたが、
実際の世界だともうちょっとややこしいことになります。

例えば『なぜ一流の男の腹は出ていないのか?』という本がありますが、
これを「実体」と「シグナル」の関係に分けると以下のようになります。

・一流の男であり、腹は出ていない
・一流の男ではないが、腹は出ていない
・一流の男だけど、腹は出ている
・一流の男でもないし、腹も出ている(ショボン)

で、まあぶっちゃけた話、多分一流の男だけど腹が出ている人とかいると思うんですよ。というか会社にいます。
いいものも食べていますし、忙しいでしょうし。それはしょうがない。

あるいは「腹が出ていないことが一流の男であることの条件だ」という場合は、
そもそも「なぜ一流の男の腹は出ていないのか?」と問いかけることが無意味なので
(「なぜ腹が出ていない男の腹は出ていないのか?」という同義反復になってしまう)
そういう方向に持っていくことは許されない。

となると、例えばの話こういう確率論になってくると思うんです。

・一流の男であり、腹は出ていない確率:80%
・一流の男だけど、腹は出ている確率:20%

で、こう言う確率があって尚且つ

・一流の男ではないが、腹は出ていない確率:40%
・一流の男でもないし、腹も出ている確率:60%

ぐらいであったときに初めて成立するのではないかと。
これが逆に

・一流の男ではないが、腹は出ていない確率:90%
・一流の男でもないし、腹も出ている確率:10%

とかだったらむしろ腹が出てた方が一流なんじゃない?ぐらいになってくる。
実際インドとかでは太っていた方が金持ちと見られるようですし。

例えば一流でない男(男性に限定した話です)が9900人いて、
一流の男が100人しかいない場合に、先ほどの確率(痩せ40%-肥満60%)で計算すると、
それぞれ以下のような人数になります。(表記をちょっと省略しました)

一流かつ痩せ:80人
一流かつ肥満:20人
非一流かつ痩せ:3960人
非一流かつ肥満:5940人

で、この時に「痩せている」というシグナルを持っていた場合に、
一流である確率は何%なのか、というと、たったの2%です。
「太っていた」というシグナルを持っていた場合には0.3%なので、
確かにそれよりは6倍ぐらい確率は高いのですが、でもシグナルとしては大して使えないレベルです。

つまり「一流の男はなぜ腹が出ていないのか?」ではあるかもしれないが、
「腹が出ていない男は一流なのか?」に関してはNOと言わざるを得ない。
痩せたからといってそれはあくまで痩せただけです。いや、それはいいことなんでしょうけどね。

となるともっと絶対的なシグナル、それがあればかなりの高確率で判定できるようなもの、
が必要なのですが、絶対的なシグナルに近づいていくほど、「実体」と「シグナル」がほぼ一致してしまう。
あるいはそのシグナルを得るためのコストが増大してしまう。

例えば、その人が仕事が出来るかどうか、を知るためには、
やっぱり実際に働かせてみる(=ほぼ「実体」)のが一番良いのかなと思うのですが、
それにはやっぱりものすごいコストがかかります。

次点として、面接とかで話を聞く、課題を与える、などの方法で、
シグナルを得ることもできる。でもそれは「実体」より少しだけ離れたシグナルです。

さらに全員面接をするだけのコストもかけられないとなると、
これはもっと遠いシグナル、つまり書類審査とかで削らざるを得ない。でもコストはまだ低く済む。

「実体」と「シグナル」があくまで確率論的に結びついている時は、そういうトレードオフがある。

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話は変わりまして、昨日デイリーポータルZのライター、
地主恵亮さんの『リア充ナイト』というものに行ってきました。

地主恵亮さんといえばまあご存知の方もいると思うんですが、
彼女がいない時でも彼女がいるような写真を撮ったり、リア充っぽい写真を撮ったり、
そういったことに尋常でなく長けている人です。

で、昨日のイベントの主な内容としては、
いかにリア充でなくてもリア充っぽい写真を撮るかという話で、
それはとても面白かったのですが、これはつまり「実際にリア充になる(実体)」のではなく
「リア充っぽい雰囲気(シグナル)を作り出す」という作業なわけです。

でも、普通の人はそもそも「リア充っぽい雰囲気(シグナル)だけ作り出そう」とか思わない。
それをしても虚しくなりそうだし、して何の意味があるんだと思うし。
つまりそのシグナルは「偽造されない」ものだという観念ができている。
それをあえて「偽造」した。

そしてなぜかその行為はリア充に逆照射することができて、
むしろ「いわゆるリア充と呼ばれる人もシグナルを偽造しているだけなのでは?」
という風に考えることができる。

偽造まではいかなくても、生活の中での「リア充っぽいシーン」を切り取って、
SNSなどのメディアに掲載することによって、
あたかも日常的にそういう感じであるという演出を他人ないし自分に向けて行っている、
そういう面もあるんじゃないか?
つまりシグナルを作り出すのがうまいだけなのでは?

そう考えると例えば他人のリア充っぽい写真を見たところで、
それにやきもきしたりする必要は別にないんだぜ、というメッセージにも捉えられる。
(多分そんなことはなく、単に面白そうだからやってみたのではないかと思うけど)

シグナルだけを追いかけてしまうとそれは実体を置き去りにしてしまうから、
シグナルのルールが変わった時、そのシグナルが無効化されたときに対応できない。
自分が発しているシグナルには自覚的であるべきだけど、
追いかけるものはあくまで実体であるべきだなということを考えたりしました。

まだまだ考え続けていきたいテーマではありますね。

スキルの可視化

大学とか通信教育とかについて最近考えていたんですが、
どうもこれは「スキルの可視化」というキーワードを挟んで考えたほうがいいなという気がしていまして。

要は学歴というのは「スキルの可視化」なんだなということです。
「職歴」や「資格」もまた「スキルの可視化」であるということです。

で、そうしたときに「通信教育」は「スキルの取得」ではあるけれど
「スキルの可視化」としての役割はおそらく比較的低いのでは?(少なくとも日本においては)という気がしました。
これが完全に「スキルの可視化」としての役割を果たすのであれば、
もっと通信教育は盛り上がるのかなあという風にも考えました。

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どういうことかというと、「スキル」というのはそもそも目に見えないものなわけですね。
いや、これも厳密には正確ではなくて、例えばダンスとかなら「踊ってみてくれ」で
一流のダンサーとひよっこダンサーの違いはすぐ目に見えてわかるでしょうし、
絵を描いたとしても画家と素人ではまるで違うわけです。
そういう「可視化しやすいスキル」というものは確かにある。

ちなみにそういう「可視化しやすいスキル」に関する就職活動というのは、
比較的「ポートフォリオ」というものを多く用いる傾向にあると思われます。
なぜならそれはスキルが目に見えて持ち運びしやすいから。写真家とか、Webデザイナーとか。
音楽家の「デモテープ」もやっぱりスキルを形にしたものです。

でも、一般企業で働く、特に視覚的でも聴覚的でもない職業の人というのは、
スキルが目に見えにくいわけです。

たとえば営業のスキルというのはパッと見でわかるものかというと、そうとも限らない。
お客さんの要望をヒアリングする力だったり、ドアノックして新規窓口に話を聞いてもらう力だったり、
あるいはお客さんの課題に対する提案力だったり、社内関係部署との調整をうまくこなす能力だったり、
とまあ営業の能力にもいろいろあり、たとえばそれをデモでロールプレイングでやってみたとしても、
どこかウソっぽさがつきまといますし、その1回で測れるものかというとそうでもなかったりするし。

というところでどうやってたとえば営業の人を雇うんだろうというと、
まあ性格だったりとか話し方だったりとかその人の経歴とか価値観とかを聞いてみて、
たぶんこの人はうちに合うかなー合わないかなーみたいなのをやって、考えるわけです。

とはいえそれはあくまで「話」なので、たとえば自分はこういう能力・役割を発揮して
こういう仕事をやり遂げました、みたいなのも正直本当かどうか分からないです。
また、業種によっては守秘義務があり業績が言いづらい仕事などもあります。

というところで究極頼りにしやすいのが「経歴」で、
たとえば営業を5年間やっていた人であればまあ少なくとも営業はできるかなとか、
あの会社でこのポジションを勤めていたならまあマネージャーにしてもいいかなーとか、あるわけです。
海外の職務の中途採用とかを見ると特に顕著で、
だいたいの職務の応募条件に「○○での業務経験何年以上」という但し書きがついています。

それはやっぱり「経歴」が「仕事ができる能力」のシンボルとして扱いやすいからで、
まさに「経歴」は「スキルの可視化」になっているわけです。

ただ世の中全てがこういう条件で人をとっていくとすると、
結局その人は最初についた職種でしかずっと働けないわけで、
たとえばデザイナーになるにはデザイナーの職務経験が必要だがデザイナーの職務経験を得るにはデザイナーの職務経験が必要、
そしてそのデザイナーの職務経験を得るにはデザイナーの職務経験が必要ですがデザイナーの職務経験を得るにはデザイナーの・・・
というように無限後退していく、端的に言うとキャリアチェンジしづらい世の中になってしまいます。
(もちろん、未経験可、みたいな職場もどこかにはあるので、最初はそういうとこから始めていくわけですが)

あのピーター・ドラッカーも「最初の仕事はくじ引きである」と言っているぐらいなので、
そういう世の中はちょっとあんまり全体最適化ではないなあ、と思ったり。

たとえばすごく営業に向いてる人がたまたま最初に経理の仕事についちゃったから経理の仕事をずっとしており、
逆に経理に向いてるのに営業からキャリアを始めたからしぶしぶずっと営業やってる、みたいなのは世の中にはたぶんあると思うんですね。
個別の企業にとっては経験者を雇えているわけだから個別最適化ではあるんですが、
でも全体としては人間がすごくもったいない。

でもその「すごく営業に向いてるけど営業の仕事はやったことがない人」が
「すごく営業に向いている」ということはすぐさま可視化できないですよね。
面接とかで話を聞いていくうちに、もしかしてこの人は、というのが見いだせることはあると思いますが、
目に見えてこれやで、という形で出せるものはその人は何も持っていない。

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ここまでは中途の話ですが(なんで仕事の話になってるのか)、
新卒採用において「学歴」が一つのフィルターとして使われることはあるらしいです。
最近ではだいぶ減ってきたみたいな話を聞きますが真相のほどは分かりません。
むしろインターネットで応募が大量に増えて、フィルターとして使わざるを得ないみたいな話も聞きますし。

で、これもやっぱり「学歴」が「スキルの可視化」というか、
まあどっちかというと「可視化されたスキル」として扱いやすいものが「学歴」ぐらいしかないから、
それを使わざるを得ないというか使った方が楽、というのが原因になっていると思います。

ここでたとえば「資格」を学生がとったとしても、それが特に「士」のつくような専門職であればともかく、
それ以外の職務については実際にその人がやる職務と資格が関連付けられるかわからないため、
いやこの資格をアピールされましても、ということに往々にしてなりがちです。

そうなるとまあ、ある程度は学歴でフィルターをかけつつも、
あとはなにか応募履歴書にちょっと気になる人がいたら会って話を聞いてみて、
という感じにならざるをえない。それはまあやっぱり人間がもったいない。
てか僕は人間がもったいないことが嫌いなんですね。たぶん。

―――――――――――――――――

という風に考えていくと世の中のいろいろな問題というのは
どうも「スキルの可視化」が難しいから起きてるんじゃね?とも思えてきました。

たとえば「スキル」がもっとも直接的に見えるのってゲームの世界じゃないですか。
攻撃力しかり防御力しかり。魔法しかり必殺技しかり。
キャラのすべての能力が数値化・明示化できる。

で、RPGの例なんですが、ずっとファーストステージでスライムを倒し続けるという遊び方は
たぶんないんじゃないかと思うんです。なぜならレベルアップしたというのが見えるし、
スライムに与えるダメージが大きくなっているのも分かるし。
もう次に進んでもいいだろうというのがはっきり分かる。

あるいは、この魔法が使えると便利だから、この魔法を覚えよう、ないし、
この魔法が使えるキャラクターを仲間に引き入れよう、とかそういう選択ができる。

でも現実世界だとずっとスライムを倒し続けている人みたいなのがいたり、
あるいはいまだに次のステージに進むために何が足りないのか分からない人がいたりする。
そういうのもやっぱりもったいないなあというかなんというか。すごく抽象的な話なんですけどね。

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あとはすみませんが今日もちょっと夜遅いのでいくつか思いついたことをメモ的な感じで並べていきます。
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・「学歴」は「スキルの可視化」として扱われやすいが、
 「通信教育」は比較的扱われにくいのではないか。

・仕事の世界では「学歴」は「職歴」よりも弱いシンボルである。
 もちろん学問の世界では「学歴」の方が強いシンボルである。

・「普遍的なスキル」と「業務特殊的なスキル」がある。
 たとえば営業の仕事は「普遍的なスキル」がほとんどであると思う。
 誰でもできる仕事、という意味ではなくて、どこに行っても割とつぶしがきく、どの仕事でも使えるスキルという意味。
 「業務特殊的なスキル」はたとえば建築士が図面を書く能力であったり、
 写真家が写真を撮るテクニックであったり。その業務以外では使いにくい。でも可視化しやすい。

・同じ職種でも仕事によって「普遍的なスキル」と「業務特殊的なスキル」の割合が違う。
 たとえば同じ「写真家」でも、芸術家寄りの写真家は「業務特殊的なスキル」が多いと想像されるが、
 クライアントがいて要望を聞いて段取りを組んで写真を撮って、という写真家の場合は
 コミュニケーションや調整能力など「普遍的なスキル」が求められる割合が比較的高いのではないか。

・学校は「業務特殊的なスキル」を教えるのには向いているが
 「普遍的なスキル」を教えるのにはあまり向いていないのではないか。

・かといって、「普遍的なスキル」だけを教える学校があってもそれはそれで違和感がある。
 ビジネスマナーやらコミュニケーション能力だけを教えている学校は
 (もし存在するならだが)そもそも「学校」と呼ぶことが変な感じがする。

・専門学校は「業務特殊的なスキル」を教える学校だがそれは成立する。

・日本の職業の大半は「普遍的なスキル」で構成されているがゆえに、
 学校で学んだ「業務特殊的なスキル」と関係ない職務につく人がほとんどなのではないか。

・欧米では大学の専門と職業が密接に結びついていると言われるので、
 「業務特殊的なスキル」の割合が高いと考えられるが実際どうなんだろう。

・スキルが陳腐化するスピードがどんどん早くなっていくと、
 「業務特殊的なスキル」の価値は下落しやすくなるのか?そうすると教育はどうなるのか?

・通信教育は「スキルの可視化」としての意味合いが低いがゆえに、
 かえって「スキルそのものの習得」にだけ集中できる可能性がある。
 (というかそれを目的としないと続けられない)

・「業務特殊的なスキル」は突き詰めていくと「普遍的なスキル」に至るかもしれない。

・みんなが「スキルの可視化」と信じているだけで、
 実はまったくスキルと関係ないもの、あるいはスキルとの相関が低いもの、があるかもしれない。

大学に通う意味とは?

先日、Facebookの広告で京都造形芸術大学の通信教育が17万円〜!
Webだけで授業が完結できます!
みたいな記事を見て、なるほどなんか面白そうだなと思い、いろいろ調べてみました。

するとどうも
・いい感じのテキスト&ビデオ教材(短時間)がたくさんそろっているらしい
・会社員でもスキマ時間を活用して学べるらしい
・芸術全般について広く学ぶような感じになるらしい
・卒業すると学士(芸術)が獲得できる
というようなことがわかり、
なんかこう芸大卒という学歴が手に入るのもそれはそれでカッコいいかなあと思い、
しばらく受講を検討していた。受講を検討しすぎて合同説明会に行った。

で、行ったら行ったで「やっぱり良いかもなあ」とは思ったのだけど、
でも実際に自分が学ぶ内容に対して興味を持てるのだろうか?と思ったりしてまたしても悩んだ。
もちろん、通信大学といえど、全部が全部自分がMAXで興味が持てる内容か?というと、
そうとも限らないので、実際に「これ面白い!!」となる内容は全体の数%にも満たないかもしれないのだ。

でも学問というのはまさにそういうところがあって、
そもそもその分野について分からないから学ぶのであって、分かっていることを学んでも面白くないのです。
でも分からないことはまさに分からないからこそ面白いか分からないわけです。
ややこしいですがそういうことで、いや全部が全部そうとも限らないのですが、
要は分かっていない時点で面白さを判断できるのか?っていうのはありますよね。

まあ面白いかどうかは賭け事だからまずは受講してみるってのもアリかなあ、良さげだし、
と思ったんですが、そうすると今度は「でもそもそも自分は芸術を学びたいのか?」という疑問が出てきて。
たしかに芸術も知っておくべきものではあるんですが、それを本当に学ぶタイミングなのか?と思ったり。

そこでさらに他の通信教育について調べてみると、ロンドン大学も通信教育をやっているらしくて、
ロンドン大学を通信教育で出るとか超カッコよくないすかとか思ったわけ。
超カッコよくないすか。あとよく調べたらロンドン大学というのはいろんなカレッジの集合体なので
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスとかも入っていまして、
そうするとLSE卒業生になるわけですね。いやそれはカッコいいなあと思い。
学費も54万円ぐらいなのでそこまでべらぼうには高くないですし。

でもまあカッコよさ基準で選ぶのもあまりに邪道かなと思い、
そもそもそれが本当に学びたいことか、あるいは学びたいことがその中にあるのか、というと、
やっぱり違うかも〜とか思って悩んでいました。

で、通信教育についてさらに調べていくと、まあ聞いたことはちょっとあったんですが、
世の中にはMOOC(大規模公開オンライン講座)とか、courseraやudemyのように
ある特定のコースの授業を有料/無料で配信するみたいなサービスもあるとわかりました。

それを使って興味があるものを独学する、というのもありかな、というのが今考えているところです。
しかしこういう独学だと、日本においてはあんまりキャリアとしては認められないというか、
少なくとも外部的な意味はほぼ皆無でしょう。あくまで学びたいから学ぶ、を理由にしないといけない。

ただそう考えていくと大学に行く意味ってなんなんでしょうね。
高校からの大学に関しては、なんか日本においてはもはやキャリアの一部として定着していますが、
働いた後で改めて(通信であれ、そうでない形であれ)大学へ行くことの意味ってのは
けっこうちゃんと考えないとなと思う次第です。

おそらく主な要素としては「先生」と「学友」という存在なんでしょうな。
先生がいて、そこに自分の作ったものを持っていってフィードバックを受ける過程と、
学友とわからなさを共有しつつお互いわかるところを補完するような過程と。

ソムタムから始める情報学

タイ料理のソムタムを作りました。
※右側。左側はラープというひき肉のサラダみたいなもの
somtam

ふだんあんまり料理はしないのですが、久々にすると楽しいものです。
特にソムタムは一度作ってみたかったので作れて満足。

で、作りながら思ったのですが「何がどこまで代用できるか」という情報って
料理を作るうえでは大事だよなあということでして。

ソムタムはだいたい以下のような材料からできています。

・青パパイヤ
・にんじん
・いんげん
・プチトマト
・干しエビ
・にんにく
・唐辛子
・ナンプラー
・ライム汁
・パームシュガー

ただ、もろもろのレシピを調べてみると、
人によってかなり意見がバラバラではあるんですね。それぞれ以下のように変更可能です。

・青パパイヤ⇒大根でもいい
・にんじん⇒なくてもいい(あるいは青パパイヤなしでにんじんだけでもいい)
・いんげん
・プチトマト⇒なくてもいい
・干しエビ
・にんにく⇒なくてもいい
・唐辛子
・ナンプラー
・ライム汁⇒レモン汁でもいい
・パームシュガー⇒単なる砂糖でもいい

となるとソムタムの「本質」とはなんなのか?と考えたときに、
「大量のシャキシャキっとした千切りの野菜(主に青パパイヤ)といんげん、そしてちょっとの干しエビを
 唐辛子・ナンプラー・ライム汁などの酸味・砂糖などの甘味の4つがそろった調味料で和えて
 ひたすら叩いて味をしみこませていくサラダ」という感じになります。

で、こういう情報というのは例えばクックパッドの個々のレシピを見ていてもわからないわけですね。
クックパッドでいろんなソムタムのレシピを見た結果、
「あ、パームシュガーは砂糖でいいんだ」とか「にんじんはなくてもいいのか」とかわかるわけです。

こういう「その料理にとって何が本質的か」が可視化されているレシピサイトって、
実はあんまりないなあとも思っていて(あるのかもしれませんが)、
実際クックパッドを見て料理作る人も「いろいろレシピを見て必要なものを検討する」という過程を
踏んでいるのではないかと思うわけです(想像)。

これが可視化されると面白い、あるいは可視化する方法を考えられたら面白そうだなあという予感を持っております。
まあひとつ考えられるのは「ソムタム」というカテゴリーの中のレシピ(クックパッドには現在136件あります)で、
それぞれの材料の登場頻度を自動的に集計し、「89%のレシピが青パパイヤを使用しています」みたいなデータを抽出し、
ある一定の登場頻度の閾値(例えば50%?)を設けて、それ以上の数値になっているものを「本質的レシピ」みたいな形で紹介する、
というのができたら、まあ実用化するにはハードルもあるかもしれませんが、面白そうですよね。

で、逆に本質的なレシピがわかると、それに何を足してもよいか、というのもわかるので、
そうなるとかえって自由も広がる。たとえば砕いたピーナッツを足してもけっこう美味しいとか。

これは「レシピ」という「構成要素を明確に書くことができる」ジャンルだからこそできる技かもしれません。
たとえば絵画に関して青色が何%で緑色が何%、といったことを情報化してもおそらくあまり意味がないように。
(もし情報化してそこから何か発見できたら、それはそれで面白いのですが)

データを扱う仕事の面白さってたぶんそのあたりにあって、
「人間の目ではパッと見わからないこと(あるいは理解するのに膨大な労力を必要とすること)」を
「データという別の視点」から見ることで新しい事実や因果関係を発見すること、なんでしょうなあ。

2015年はどんな年でしたか?という質問に答える方法

年末年始です。
年末年始になると必ずといっていいほど聞かれるのが
「2015年はどんな年でしたか?」と
「2016年はどんな年にしたいですか?」の2問で、
それに対する答えを準備しておかないと会話がスムーズにいかない。面倒である。

今年最初に読んだ本(というか論文)が、大学サークル時代の先輩から勧められた
ビッグデータvs.行動観察データ:どちらが顧客インサイトを得られるのか』という本で、
簡単にいうとクレジットカードやポイントカード、ネット行動、センサーなどによって集められる「ビッグデータ」と、
いわゆる行動観察調査、アンケート調査、グループインタビュー、などの「行動観察データ」は、
どこがどう違っていてどういう風に使い分けるべきか、ということが書かれた本だった。

「2015年はどんな年でしたか?」と聞かれたときに、ビッグデータで振り返るとどうだろう。
今年は何キロ走りました、何冊の本を読みました、Twitterでこのような言葉を何回つぶやきました・・・など。
ライフログをまめに収集している人であれば、こうやって答えることもできる。
で、他の人のそういうデータを読むのも面白いと言えば面白いが、どうにも味気ない。
結局それであなたは楽しかったのか、どういう発見があったのか、それらをどう捉えたのか、といったところが抜け落ちている。

ということで行動観察データが必要になるわけですが、
アンケートにしろインタビューにしろ、直接「あなたはどういう商品が欲しいですか?」と聞いても
あまり有益な答えが得られないというのは、マーケティングやリサーチに関わっている人であればよく知っているところなので、
そもそも「2015年はどんな年でしたか?」「2016年はどんな年にしたいですか?」と聞くのはあまりよろしくない。
けどそれを言うのもまたそれはそれで無粋なので、結局は自分で前もって準備が必要である。

では準備に何をしたらよいかというと、まさにビッグデータ&行動観察データの考え方が使えて、
何をしたかという行動履歴と、どういう文脈で、どういう目的/理由で、という行動観察を
掛け合わせて考えればよりもっと面白い発見ができるんじゃないか。

でも「面白い発見」ってなんだ?
この本の最後に書かれていたのが「データや手法ありきでは有効活用できない」ということだった。
まず目的とイシューを明確にせよと。

で、なぜ我々は1年を振り返ったり今年をどうしようと思ったりするのか、と考えると、
それはやっぱり「去年と同じ1年だとつまらない」からである。
何もしなくても去年とは違う1年になるのだけれど、去年失敗したことを今年も失敗するのは癪なことだし、
去年あげた成果よりもよりよい成果をあげた方が面白い。
そのために去年の1年という直近のデータを使うわけです。
必ずしも1年という単位である必要はなく、半年でもあるいは3年でもよいのですが。

ただ「他の人に話す」ということを主目的とするのであれば、単純に物語的に面白いことを振り返ってみる、
あるいは自分の1年をストーリーとしてとらえる、というのも良いかなと思います。
他人からすると「自分の昨年はここが反省点だ、だから今年はこうしようと思う」と聞いてもあまり面白くないかもしれないので・・・
この記事で紹介されている「4人1組で1人が60分ずつ自分の1年を振り返る」という方法も面白そうですね。
1年を振り返るためのフォーマットも用意されているので使いやすい。

てなことで去年を振り返ってみようと思います。
良いお年を。

音楽を(できれば効率よく)収集したい

音楽について調べたり話を聞いたりしていると、
やはり自分は全然音楽というものを知らんなあ、というか、
まさに大海の一滴でしかないなあ、というような感想を持つことが多く、
近頃はなんとか音楽知識の幅を広げたいなと思っております。

しかしながら、音楽知識の幅を広げるのもまたなかなか難しいものでして、
自分はイヤホンが嫌いなので基本移動中に音楽は聞かないですし、
かといってヘッドホンを買うのもなあ、というか、そもそも耳に何かを装着するのが苦手なので、
空き時間でひたすら音楽を聞くようなライフスタイルにはならないのです。

となると家にいる時に音楽を聞くとなりますが、
家に帰るのが割と遅い仕事柄、そうそう遅い時間に大きな音量で音楽をかけることもできない。

結果的に今は仕事がつらい時に、Flying LotusかThundercatをイヤホンで聞いて
「鬱だわ~、ええわ~」というのが音楽を聴取する唯一のポイントとなっています。
これではもったいない。
もちろんBrainfeederの音楽は最高だし、最高でもありますし、そして最高なことは間違いないのですが、
まあいろんな音楽を聴いていた方が人と音楽の話がしやすいし、楽しみの幅が増えるかなと思ってます。
あと人に「なんかいい感じの音楽かけてくれや」と言われた時に対応できる幅を広げたい。
というのもあり、(できれば効率よく)音楽を収集したいと考えています。

―――――――――――――――――――――――――――

話は変わり、最近上述のとおり”Thundercat”というアーティストが好きすぎて、Wikipediaの日本語版を作りました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/サンダーキャット
基本はWikipedia英語版を翻訳しただけなのですが、
翻訳するにはやっぱりその背景となる繋がりや経緯を知らないといけないので、
これを作成するに当たり、いろいろ調べました。

サンダーキャットの家族にロナルド・ブルーナー(父)とロナルド・ブルーナー・Jr(兄)という2人のドラマーがいること、
サンダーキャットが16歳からスイサイダル・テンデンシーズに所属していたこと、
アルバム『The Golden Age of Apocalypse』は70年代フュージョンからの影響がある(らしい)こと・・・

こうして調べていくと、いろいろとつながりのあるアーティストが見えてきたので、
それをたどって聞いていくのも面白いかな、と思いました。

アーティストの関係性にもいろいろありますが、
大まかに分類するとこの3種類のベクトルなのではないか?と考えています。

「AはBから影響を受けた」
「AはCに影響を与えた」
「AはDと共演した」

たとえばサンダーキャットは70年代フュージョンから影響を受けており、
まあ具体的に誰に影響を与えたとかはちょっと出てこないんですが、
フライング・ロータスやスイサイダル・テンデンシーズ等と共演していると。

で、またそのフライング・ロータスは音楽家族やゲーム音楽やらから影響を受けており、
後のビート・ミュージックのミュージシャンに影響を与えており、
カマシ・ワシントンやエリカ・バドゥ等と共演していると。

そしてこういうベクトルをたくさん集めていくと、
一種のすごい音楽マップができるんじゃないか?という構想を持っています。
まあマップというにはあまりに複雑すぎるので、
どちらかというと「ネットワーク理論」の問題に属するものになるかと思いますが、
この音楽マップ上で近い位置に属するアーティストは、おそらく好きな可能性が高いと思うんですね。
仮に好きではなかったとしてもなんらかの学びは得られるように思う。
あるいは聞いていくうちに好きになる可能性は高いと思う。
好きなアーティストが影響を受けたものだったり、あるいはその系譜につらなるものだったりするから、世界観としては近いはずで。

そういうサービスができればすごいことになると思うんだけどなあ。
まだ出会っていない音楽を探す旅が断然早くなる。

―――――――――――――――――――――――――――

さて、上記のようなサービスは今後の開発が待たれるとして、
いま時点で我々にどういう「音楽のあさり方」があるのか?
可能性を考えてみました。

■ランダム、もしくは直感で探す
以前『興味のない音楽を聴こう』というサイトをやっていて、
これはなんとなくでたらめでYoutubeから音源を拾って聞いてみて、
「これも意外といいじゃない」という音源を載せていた音楽サイトだったんですが、本当に意外とよかったです。
なんなら今もう1回やってもいいと思います。何がいいって幅が広がりました。

今これに近いものとしてやっているのが、
「レコード屋になんとなく行ってなんとなくピンと来たものを買ってみる」というものなんですが、
金がかかるし当たり外れが大きい。あと買う前に結局ネットで調べますしね。
とはいえ当たったときは嬉しいですし、ある意味「レコードジャケットを見てなんとなく作風とサウンドを予想する」みたいな
変な直感が身につくような気がします。でもなかなか手間がかかる方法なので、効率よく広げていくのは難しいです。
街で聞いた音楽でふっといいものがあって、そこからはまっていくとかもいいんですけどね。

■ジャンルで探す
これは少し前までは有効な方法だったと思うのですが、
いまやジャンルがミクスチャーしまくっていて、「音楽ジャンルに意味はあるのか」という時代になりつつあるので、
なかなかこれだけで探すのは難しいと思います。
フライング・ロータスはジャンルが意味不明だし、サンダーキャットはむしろゴスペルに近いと思うんですけど、
それをいまのジャンル分けで拾うことはできない。

とはいえ、たとえば「ゴリゴリのダブステップが好きやねん!あのボワワワワというシンセが聴きたいねん!」というときには
「ダブステップ」というジャンルで区分けして探してみるのはひとつ分かりやすい手段ですよね。
ジャンルがすごく確立していて比較的アーティストが少ないものに関しては良いのではないかと思います。
(たとえばジャズは確立していますがアーティストが多すぎて結局良く分からない)

■人気があるものを探す
あんだけ売れてるってことはそれなりに良い音楽なんだろう、
ということで聴いてみる、という、そういうのもありだと思います。

ただ、「人気がある」ってどこベースで?世界ベースで?日本ベースで?となったときに、
じゃあ私の好みと世界の好み、あるいは日本の好みはある程度一致しているのか?というのが問題になります。
一致していない音楽好きにとっては、この手段はなかなか(あるいはまったく)使えません。

■キュレーターで探す
これがいまApple Musicなんかで行われていることですね。
この人の音楽センスはいい、あるいは共感できる、ということで、
この人から勧められる音楽は聴いてみよう、というスタイル。
「音楽好きの友人」や「店員」「DJ」も広義のキュレーターではあります。

ただ「キュレーター無限後退問題」というのがありまして(勝手に名づけました)、
キュレーターがあまりにも大量に出てくると、どのキュレーターが自分にとってよいキュレーターなのかをさらにキュレーションする必要があって、
結局そこの問題は解決していないんじゃないか、という話。
それがうまく機能していない場合、その人にとってベストではないキュレーターを
仕方なくフォローせざるをえない、みたいな状態はありえますよね。

■レーベルで探す
これも広義でいえばキュレーターなのですが、
このレーベルが出している音楽がツボにはまる可能性が高いので、
このレーベルから出ている作品を重点的に聴こう、という戦略です。
特にレーベル色をはっきり出しているところに関しては有効なものかと。

■関係性を自分で調べる
先ほど述べた通り、まず「好きなアーティスト」を中心におき、
「AはBから影響を受けた」
「AはCに影響を与えた」
「AはDと共演した」
の3つの軸を起点として、関連性のある音楽を聴いていくことですかね。

あとこの3つはちょうど時間軸にも対応していて、
「AはBから影響を受けた」⇒時代をさかのぼる
「AはCに影響を与えた」⇒時代を下っていく
「AはDと共演した」⇒同時代を探す
という感じになります。

なので「昔のヒップホップについて勉強したいわ~」という人は、
まず現代の好きなアーティストを置いて、その人が影響を受けたものにさかのぼって行くとか、
あるいは「今のジャズについて知りたいわ~」という場合は
昔のジャズミュージシャンで好きなもの、そしてそこが影響を与えたものを調べていくとか。

あとこうやって調べながら聴いていくと、おぼろげながらその音楽シーンの歴史や関係性という全体像が出来上がってくるので、
それができていくとなおのこと深堀しやすいだろうなあとは思います。

―――――――――――――――――――――――――――

究極的には「俺はおもしろい音楽をもっと聴きたいし、
おもしろい音楽はメジャー・マイナー問わず売れるようになってほしい」
というのが単なる願いでこういうことを考えています。

で、そのためにはおもしろい音楽が適切に薦められるシステムが必要で、
本当にそこにフォーカスしたものが開発される必要があると考えています。
そういうことに関わりたいですね。