大学時代にした苦労などない

今日、某社のインターン面接に行ってきまして、
そこでまあ当然のように聞かれるわけですね、
「学生時代、最も力を入れたことはなんですか?」「一番苦労したことは?」と。
その場はまあ、わかったようなわからんような答え方をしてしまったんですが、
あとあと振りかえってみると、気づいたんです。
「大学時代にした苦労などない」と。

苦しみはあっても、苦労はなかったなあと思います。
苦しみってのは例えば、音楽仲間が長いこといなかった苦しみや、
お金がなくてほしい楽器が買えない苦しみなどいろいろありますが、それは苦労ではない。
苦労ってのは自ら動いたときに生じるものであって、
私はそんなに自ら動くことをやっていない。
確かにホームページは作りましたし、記事更新もがんばりましたが、
それは「苦労」と呼ぶほどのものではありません。
僕よりもっと苦しい思いをしている人はいっぱいいますから。
それに比べれば、これを「苦労」と呼ぶのはおごかましいぐらいです。

そもそも、努力せず、苦しまず、で何が悪いのか。それでいいじゃないか、と思います。
幸福が保証されていないのに、どうして苦労する必要があろうか?
それよりは目の前の確実な幸福を追っかけていた方が、
生存戦略としてはむしろ正しいような気がします。
ただ、その「目の前」の距離が今はものすごく狭くなっていて、
近視眼的に生きざるをえないようなところがあります。
それを遠くまで見えるようにすることは、そう簡単にはできないと思います。
確実性と不確実性の中間がだんだん無くなってきている社会なので。

話を「苦労」の話に戻しますと、
何を苦労と感じるかもまた、人によって違うわけです。
同じことでも、1人は苦しいと思うのに、別の1人は楽しいと思うことはある。
その差はなんなのか、といえば、
向いてるか向いてないか、ということでしょう。
そして、向いてないことをがんばるよりも、
向いてることをがんばった方が圧倒的に得です。
それは内面的にも楽しいから得だし、外面的にもその能力は秀でているから、
他人の評価も自然と高くなる、という点で得です。

向いてないことをやって苦労する時間があるなら、
向いてることをやって楽しんだ方がよい。
そう思って今まで生きてきたと思います。おそらく。
ゆえに私は一度も苦労をしていません。

「向いてないこと」は、やらざるをえない状況になった時だけ
やったらよいのであり、今までそういう状況に追い込まれたことはありません。

ああ、つまり人というのは追い詰められんと苦労はせんのですよ。
そら当たり前ですよ。
今の若い人が苦労知らずだというなら、
それは現代がより安楽な社会になったからだと思います。
それを目指したのは前の世代です。

ただ、我々にとって本当に安楽な社会かといえばそんなこともなくて、
前の世代より幸せかと聞かれれば「うーん」と悩んでしまうような状態です。

それはなぜかというと、最低限の生活(娯楽含めて)だけは
どうしようもないぐらい絶対的に保障されているからです。

つまり「追いつめられる機会」がない。

にもかかわらず、「一歩上の生活」を手に入れるのは相当難しい。
みんなが「最低限の生活」に甘んじなければいけないような、
そういう状況になっています。あるいはそれに近い状況。

とはいえ、理論上では「最低限の生活が保障されているなら、
人はチャレンジに勇敢でいられる」はずなんですけどね。
で、実際それを行動にうつしている人もいますが。

なんでなんだろう。また次回。

広告

0 Responses to “大学時代にした苦労などない”



  1. コメントする

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中





%d人のブロガーが「いいね」をつけました。