各国の紛争観についての仮説

うかつに書くのはよくないかもしれませんが、
各国の紛争処理の考え方について考えてみたいと思います。

西洋法制史と東洋法史で、「ルール型」「非ルール型」の法のありかたが
存在するということがわかり、それは紛争処理の場面においては、
「事前に決定されているルール(ある種の運命?)に従って、
 人為的判断ではなく、自然の摂理にしたがって裁く」
「さまざまな要素をごちゃまぜにしながら、
 その場で『中立的な人間の判断』を作り出す」
という感じの態度となって現れます。
書いててちょっと、あまりに短絡的にまとめすぎた感がありますが、
今とりあえず思いついてることを、短絡的にまとめていきたいと思います。

『罪の文化 インド史の変遷』っていう本があって、
まだ全然読んでないんですけれど、
どうやらインドにおける罪と罰の考え方というのは、
「汚れ」と「それを清める作業」のことらしい。
法というのは「罪の書」と「清めの書」のことであって、
その「清め」を行わなかった者は、社会から排除されねばならない。

「汚れ」(ヨゴレ)とは別に、「穢れ」(ケガレ)という軸もインドにはあるらしくて、
「穢れ」は伝染しないけど、「罪=汚れ」は伝染するらしい。
泥と病気のイメージ。泥は洗えばすぐ落ちるけれど、
病気はしばらく寝込まないと治らない。そんなような感じ。

ちょっと紛争処理とは違うテーマでしたが、
でも「罪と罰」が「汚れと清め」という関係になるってのは、
おもしろい考え方だなあと思います。あとでじっくり読んでみますが。

で、こっから先は単なる思いつきなんで、
根拠は薄弱、理論は脆弱という感じですが、
日本とアフリカについてもちょっと思いついたことがあります。

日本型の紛争処理というのは、もしかしたら、
「なかったことにする」
ですべてが片が付いている気がするんです。
その「なかったことにする」には二種類あって、
「争い自体がなかったことにする」と
「加害者がもともといなかったことにする」の2つ。
前者は妥協や和解、後者は排除です。

もちろん村八分的なムラ社会というのはどこの国にもあって、
罪を犯した人間がコミュニティから排除されるというのも普遍的な現象ですが、
それとセットになって「争い自体がなかったことにする」という仕組みが
もうけられているところが、日本の特色かもしれない。

「かもしれない」レベルなので深入りすることはやめておきますが、
「なかったことにする」が日本の特色だとすると、
けっこういろんなことが説明できてしまうように思います。
それが必ずしも、仮説の正しさを証明するものではないですが。
たとえば、なぜ総理大臣は短命なのか、なぜ政治的無関心がはびこるのか、
なぜ学生はそろいもそろってリクルートスーツを着るのか、などなど。
まあ、歴史的に実証的に調べていくと、
あっさり反証される可能性もおおいにありますが、
なんとなくこんな仮説を考えています。ちょっと。

そしてもうひとつ、アフリカの紛争処理についての仮説ですが、
もしかしたらアフリカ人にとって、
「争い」とは否定的なものじゃないんじゃないか。
「紛争処理」という場面につきものの暗いムードではなく、
むしろ人間の中で「争い」が起こることを自然に認めていて、
その「争い」を通じて社会が発展していくイメージ。

このへんのイメージは、もっぱらジャズやヒップホップなどの音楽からきています。
音楽にあれだけ「バトル」という概念が密接に関わっているのは、
たぶんなかなか無いので。
西洋音楽でも音楽バトルはありますが、あくまでそれは余興であって、
本筋は争いのない平和な世界だと思うんです。(あるいは、一人ずもうをとっている。)
でもアフリカ音楽は「争い」を前提として発展している。
とすれば、おそらく「紛争処理」の形式もまるで違ったものになるのではないか、
というイメージ(妄想)を、勝手に考えています。

たぶんそこには、西洋の裁判や中国の仲裁のように、
中立的な人間がしゃしゃり出てくるという形式ではなく、
基本的にその争っている2人なり2グループの間で解決させる、
そしてそれだけのコミュニケーション能力と共通認識があることを前提にしている、
のではないか、というふうに、考えています。

イメージ論で根拠が薄弱なのが申し訳ないですが、
「なかったことにする」説と「争いが肯定されている」説は、
けっこう正しいような気がするんです。まだ全然未確認ですが。

イスラーム圏での紛争処理はどのように行われるのか、ということも気になりますが、
とりあえず、この2つの仮説(あとインドの考え方)を調べていきたいと思います。
アフリカの法について書かれた資料ってなかなかないんですけどね。

あとまあ、大前提として、アフリカってのは異常に大きな大陸なので、
そりゃあ場所によって考え方も違ってくるだろう、というのもあります。
中国の3倍ぐらいでかいですから。地域別の特色も、そら当然あるでしょう。
そのへんも、調べていってわかったらおもしろいな、と思います。

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