時計の話

とある会社のエントリーシートで
「『時計』をテーマに、ちょっといい話を考えてください。」
ってのがありましてね。
「だが断る」で終わらせられたら最高なんですが、
そうもいかないわけでして、小説をふだん読まない私としては、
お話を考えるのとかむっず!!と、悪戦苦闘していたのです。

で、「それはそれは正確なテンポでリズムをきざむ太鼓叩き」の話とか、
「純朴な村にやってきた時間売り」の話とか、考えてみたりしたんですが、
どうもリアリティがない。リアリティがない「いい話」ってのは、
単なる絵空事ですから、「いい話」としても成立していないし。
ファンタジーな設定にすることはいいんですが、
その内部でちゃんと論理的に整合性がとれてないとダメで。

というわけで、話にリアリティをもたせようと、時計について調べてたら、
「時計の歴史」ってのが、これ結構おもしろいんですね。
科学技術史というジャンルは、アイディアの歴史ですから。
ちゃんと勉強したら、アイディアを発想する力につながることも、
なきにしもあらずなんじゃないか、と思いました。

たとえば、人類最古の時計は日時計なんですが、
日時計って意外に正確で、18世紀ごろまで使われてたらしい。
で、しかも、「日時計って単に、地面に棒立てて影を見るだけでしょ?」と
思ってたら、けっこう改良がなされてたらしい。
wikipediaに載ってるのだけでも、「コマ形日時計」「赤道式日時計」「垂直式日時計」
「庭日時計」「携帯日時計」「柱型日時計」「室内柱型日時計」「かげぼうし日時計」と、
けっこういろんな種類がある。実は奥深い世界のようです。

日時計には、「天気が悪いと使えない」「地球の自転速度が一定でない」と
いった弱点があったので、もっと天候関係なしに使えるものはないものか、
と考えて生まれたのが、水時計で。水時計もまた、奥深い世界です。
水滴の「ポタ、ポタ」という音が一定のリズムを刻んでいることは、
割と誰でも気がつくことですが、それを時計にしようとすると結構な苦労がいる。
というのも、水が流れ落ちる速度は、水の量が減ってくると遅くなるので、
つねに一定の水を補給しなければいけない。
でもそれを人間でやるのは難しい。
というところに工夫のしがいがあって、各国さまざまな水時計を生み出しています。

ただ、水時計にも、乾燥してると水が蒸発するとか、気圧の影響も受けるとか、
いろいろ問題はあったようで、やがて時代は機械時計へと進んでいきます。
ゼンマイとか振り子とか。そして、水晶振動子(クオーツ)の発見。

こういう風に時計の歴史をたどってみると、
「時間」が正確に測れるというのは、なんだか奇跡的なことであり、
そして、各時代の「時間」の考え方は、「時計」によって規定されていた、
ということが分かってきます。時計なくして時間なし。
江戸時代の人にとって、「分」という考え方はあまりなかったでしょうし、
そもそも「1時間」(一刻)が1年を通して同じものだ、という考え方もなかったと思います。
かつて、日本は「不定時法」を採用していて、季節によって1時間の長さが変わりました。
日の出から日の入りまでを6等分して、その時間を基準に生きていた。
その当時の人々はどういう時間感覚をもって生きていたのだろう、というのが気になります。

あと、日時計が誕生する以前の人々は、
どういう時間感覚で生きていたのか、も気になります。まず「時間」という概念があったのか?

「時間」というのはけっこう哲学でも好まれるテーマで、
ベルクソンの『時間と自由』や、ハイデッガーの『存在と時間』などがあります。
考え出すと、これは相当な大問題です。その視点から見てもおもしろい。

さて、話をエントリーシートに戻しますと、
800字以内という制限の中で私が書いた「いい話」は、こういうものになりました。
結局、小説を考えるのは自分には向かんということで、
事実に即した話を書きました。

――――――――――――――――――――――――――――――――
明治時代後期から、昭和初期にかけての話です。当時、日本の主力産業といえば生糸産業で、生糸を大量に輸出することで外貨を獲得し、日本が封建主義社会から資本主義社会へと脱皮する礎を築いたといわれています。
その生糸産業を支えたのが若い女性労働力で、女工たちの労働環境は悲惨なものでした。1日13時間は当たり前に働き、場合によっては18時間労働、すなわち寝るか働くかしかない、という状況にまで追い込まれていました。ヨーロッパでも工場労働者の長時間労働は当然のように行われており、児童や女性もその犠牲になったといいます。
それを解決するカギとなったのが、時計です。
当時、工場にも時計はありましたが、工場長が時計を支配していました。女工たちが見ていない間に、こっそり時計の針を戻したり、あるいはわざと進みをゆっくりにしたりして、事実上の労働時間を延ばしていました。彼女らは、気づかないうちに時間を盗まれていたのです。
そんな彼女らを救ったのは、意外なことに、アメリカ人でした。
アメリカといえば良くも悪くも大量生産・大量消費がお家芸ですが、その大量生産が幸福をもたらすことも、あったのです。アメリカ人は何も、日本女性を助けようと思ってやったわけではなく、単に儲けたいからコストカットに力を入れたのですが、その大量生産方式は、「ワン・ダラー・ウォッチ」と呼ばれる安価な時計を大量に作り出しました。
その安時計は日本にも輸入され、庶民でも買えるような値段で、時計を買うことができるようになりました。
そうなると、女工も時計を持つことができます。工場長が時間を盗もうとするものなら、証拠を持ちだして、堂々と文句を言える、そんな社会が到来しました。
悪の権化のように言われる、資本主義とグローバリズムですが、あながち悪いことばかりではない。貧しい国の人にとっては、助けになることもある。そんなことが、時計の歴史を見ていると、わかってきます。
――――――――――――――――――――――――――――――――

自画自賛ですが、割と自分でも、よく書けたと思います。
ほかにもうひとつ、「日本で最初のテレビCMは、セイコーのCMでした。」という話も
書いたのですが、なんか妙にイヤミになってしまったのでボツになりました。
広告代理店のESだったので、ある意味ど真ん中を狙った文章でしたが、
CMに詳しい人にCMの話をするのは、さすがになんか無礼だなと思って。

エントリーシートの期限は昨日までだった(もちろん提出しました)ので、
公開しても大丈夫かなということで今日公開しました。
これがルール違反に当たったらちょっと怖いですが、
まあたぶん大丈夫でしょう。著作権は自分にあるわけですし。

なんにせよ、時計について調べたらおもしろかった、という話でした。

――――――――――――――――――――――――――――――――
以下、時計の歴史について、日本語で読める参考文献。
『機械式時計 解体新書』 本間 誠二
『時計と人間―アメリカの時間の歴史』 マイケル・オマリー
『図説 時計の歴史』 有澤 隆
『時間の歴史』 ジャック・アタリ
『経度への挑戦―一秒にかけた四百年』(小説) デーヴァ・ソベル

以下、すべて織田一朗氏の著作。雑学的内容が多い。
『時計と人間―そのウォンツと技術』
『時計の針はなぜ右回りなのか―時計と時間の謎解き読本』
『時計の大研究-日時計からハイテク時計まで;時計のすべてがわかる!』
『時と時計の雑学事典』
『歴史の陰に時計あり』
『時と時計の百科事典―時間と時計に関する疑問を解く』
『時計にはなぜ誤差が出てくるのか』
『世界が見えてくる身近なもののはじまり 第2期2;時計』
『「時」の国際バトル』
『クオーツが変えた“時”の世界』
『時と時計の最新常識100』

あと、山口大学に時間学研究所というのがあるそうです。時間学会もあるよ。
http://www.rits.yamaguchi-u.ac.jp/
それから、Web上で読めるだいぶしっかりとした文章。
時計大好きな個人が趣味で書いているというからびっくり。
http://www.tokeizanmai.com/index-horology.html

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2 Responses to “時計の話”


  1. 1 砂押吉良 2012年9月6日17:46

    拝見させていただきました。小生も、「時間」について別な視点で考えたりしています。「時間」というのは人工的であり、それ以前は「とき」であった、ということです。13世紀から14世紀にかけて発明された「機械式時計」が、現代に受け継がれて、「時間」があたりまえのように私たちの生活の流れゆく日々を支配しているかのように大きな顔をしています。場合によっては、「時間」が体内の「バイオリズム」を崩壊させてしまうこともあります。古代の人々が、「日が昇り、日が沈む」という「とき」の流れの中で生活していたときを想像するにつけ、「こころ」はより大きな「見えない」ものを「見ること」ができていた、と思います。現在は、「時間」の中で生活しているために、「見えない」ものになんら価値を見出すことをせず、「見える」ものだけに価値を見出しているかのようです。
    より高価な品物を身に着けることが自らの価値を高めるかのように、「見える」ものだけがすべてのようです。

    • 2 砂押 2014年2月19日13:27

      ピノキオ様、貴重なご意見ありがとうございます。だいぶ前に書いたもので、返事が遅くなり失礼しました。最近は、真木悠介著『時間の比較社会学』(岩波書店1997年)を読んでおります。だいぶ難解な文章表現で四苦八苦しております。
      しかしながら、著作の中で、「牛の時間」という表現で、人が人の生活の中だけで「時間」をとらえたのではなく、四季については生活環境の中の動植物の観察や天空の観察で、また一日の「時間」は家畜化された動物の生活リズムの中で「時間」をとらえていった、というような指摘があり、なるほどといった調子です。ここでは小生「時間」という表現をしましたが、いわゆる「バイオリズム」ですね。その「バイオリズム」つまり「とき」が、時計の誕生以来、時計時間に私たちが支配され、「とき」が解体され、「とき」から疎外されていると感じています。単純化するのはよくないですが、定年退職してそれまでの忙しさから本来は解放されるわけですが、趣味や特技がないと、なすすべもなく空虚さに襲われるのも、本当は、「時間」から「とき」へのゆれ戻しにであって、それを意識することが大事だと思います。また現在問題の「時間外労働」の大幅増加は、人間をぼろぼろにするのも、「とき」を破壊しつくすからだともいえます。(2014.02.19)


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