囚人のジレンマと臨界質量

社会心理学者の山岸俊男さんが書かれた、
『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』という本を読んだのですが、
いやぁおもしろかった。ひさしぶりに一気読みしました。
午後8時から10時まで、2時間ずっと集中して読んでました。
そのような集中力を発揮できたのが驚きです。

春休み中、私はヒマでヒマでしょうがない生活をしているので、
最近の朝の日課が、「ほぼ日刊イトイ新聞の過去記事を読みながら
ダラブッカのトンバク奏法の練習をする」というものなんですね。
だらだらやってる場合は1時間半ぐらいやってるんですが。

で、その「ほぼ日」の記事の中で、
山岸俊男さんの「正直者で行こう!」という記事がありまして。
糸井重里さんが、「ほぼ日の父を梅棹忠夫さんの『情報の文明学』とするなら、
山岸さんの『信頼の構造』はほぼ日の母です」とまで言っていたので、
じゃあちょっと読んでみよかなと思って、ほぼ日を読んだらそこそこおもしろくて。
もっと知りたいな、と思って、図書館に行って借りてきました。近くに図書館があるのはいいね。

で、今日ご飯を食べた後、することもないので読んでいたら、
ちょーーーど自分が知りたかったことがここに書いてあった。

最近私が気になってたことが2つあって、
「全員不幸状態」はなぜ起こるのか、ということと、
新米ミュージシャンのパラドックス」はどう解決できるか、ということです。
両方私の造語なのでアレですが、「全員不幸状態」はいわゆる「囚人のジレンマ」で、
「新米ミュージシャンのパラドックス」は、簡単に言うと、
実績のある人はより多くの実績を積むことができるが、
実績のない人間は、実績を積むことすらできない、という状態のことです。
そしてそれはどうやったら解決できるのか、というのがずっと気になってました。

で、その問題の答え、とまで言うと大げさなので、大いなるヒントが、
『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』には書いてありました。
実に論理的で読みやすい本なので、実際に1冊通して読んでもらえると
うれしいのですが、一応こちらでも内容ちょっと紹介します。

まず、「全員不幸状態」=「囚人のジレンマ」は、単純にいって、
人間どうしの不信感が強いことから起こります。
かといって、それを無くすために、「人を信頼しましょう」と
呼びかけたり、モラル教育を施すことには、実はなんの意味もない。
なぜなら、そういう状況下で人を信頼する人があらわれても、
もしその人に、相手が信頼できる人かそうでない人かを見抜く力が無ければ、
そういう人間は淘汰されてしまうからです。

となると、大事なのは、「見抜く能力」を教育することなのか。
というと、それも違う。そもそもそれは教えられるものではない。
教えたとしても、それを逆手にとって騙す人間が出てくるわけで。

で、興味深い実験データがあります。
詳しくは実際に本を読んでほしいのですが、ざっくり言うと、
「まず信頼」してみる人の方が、結果的に「相手が信頼できる人物かどうか」を
見抜く能力が高い、ということです。正確には「高くなっていく」。
これもまあ、実は当たり前のことで、人を信頼してみる人は、
当然信頼にこたえてくれたり、裏切られたりといった経験が豊富になりますから、
人物を選ぶ力も身についてくるわけです。

じゃあ、やっぱり「信頼しなさい」ということなのか、というと、
そういう結論に行かないのがこの人のすごいところで。
普通、「だから、みんなお互いを信頼しましょう」で終わりますよ。
そうじゃなくて、
「他者信頼傾向が低い人には、低い人なりの利点があり、
 それは今までの日本の社会ではむしろ有効な行動モデルだった」
ということを言っています。どっちがいいという話じゃない。
今の社会にそれが合っているか、合っていないか、という話をしていて、
そのへんは私が説明するより、本書を読んでもらったほうがわかりやすいです。
要は、「正直者がトクをする社会をつくろう」ということなんですけれど。

そして、私が気になってた2点目、「新米ミュージシャンのパラドックス」については、
「臨界質量」という考え方が大きなヒントになりました。

「いじめ」を例にした実験で、12人のクラスがあるとします。
1人がいじめられっ子、1人がいじめっ子、10人がその他だとします。
「その10人のうち、何人がいじめを止める側にまわったら、
あなたはいじめを止めようとしますか?」という質問が投げかけられる。

で、そうなると、いろんな人間がいますから、答えは分散しているわけです。
誰もいなくてもいじめを止めようとする人もいれば、
ほかの9人がいじめを止めようとしても我関せず、の人もいます。

で、例えば、「仲間がいなくてもいじめを止めようとする人」が1人、
「1人仲間がいたらいじめを止めてもいいという人」が1人、
「3人仲間がいたら(以下略)」が2人いるとします。
この場合、自然状態(ほっといた状態)では、
上から順番に2人がいじめを止めようとします。それでストップします。
しかし、その2人が頑張っているのを見て、「3人仲間がいたら(以下略)」の人が
「俺も仲間に加わろうかな」と思って、仲間に加わったとします。
そしたらもう1人の「3人仲間(以下略)」もいじめを止めようとします。
そうすると合計4人。
で、もしここに、「5人仲間(以下略)」が4人いるとすると、
そのうちの1人が動くだけで、一気に形勢が変わります。
その1人がいじめを止める側に入れば、ほかの3人も仲間に入るわけです。
となると合計で8人。突然急上昇します。

こういう、「ある一定の数を超えると劇的に参加人数が上昇する」ポイントがあって、
これを「臨界質量」という風に、たとえて言っています。もとは物理学の言葉です。

そういったことが、たぶん世の中のいろんなことに関して言うことができて、
この「臨界質量」をクリアすることで、一気に何かが急上昇する場合があります。

ただ、それは逆パターンについても言うことができて、
臨界質量にギリギリ届かなかった場合、むしろ下降して、
元通りの状態にあっさり戻ってしまう、ということも大いにある。
そのへんも踏まえているので、奥が深い理論だなあと思います。

それをさらに延長して考えていくと、
世の中にはいくつもの「臨界質量」があって、その周辺にはあまり人がいない。
人数を縦軸にとったグラフを描くと、いくつもの山ができている感じ。
階級社会といいますか、格差社会といいますか、
そういうのが自然に発生するようになっている、のかもしれません。

他にも、「日本人は、『他人は集団主義者だ』と思っている個人主義者の集まり」とか、
「日本人の方が、アメリカ人より人を信頼しない」とかいう話も出てきました。
これもなかなかおもしろい。安易な日本論はやめんといかんね。
あと、去年大きな衝撃を受けた一冊『市場の倫理 統治の倫理』の話も
少し出てきたりして、とにかくおもしろかった。ちょうどツボでした。
ま、よければ読んでみてください。

日本の「安心」はなぜ、消えたのか 社会心理学から見た現代日本の問題点
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