演繹法の限界

経験論の限界について昨日語ったので、
やっぱりセットで演繹法についても書いておかないと、と思います。

そもそも、「なぜ人の考え方は硬直化するのか」というのは、
根っこのところでは「なぜ私の考え方は硬直しているのか」という問題意識から
スタートしています。
これは何に対してもそうで、だいたい私が何か考えてみたいと思うときは、
自分の身の回りに何かしら問題を感じているときです。

で、自分自身は、どちらかといえば行動よりも思考を重んじる、
演繹法的な人間なんですね。経験論的というより。
行動より思考がえらいとは思ってないんですが(むしろ逆)、
なぜかいつも行動より思考を選択してしまう人間です。
で、そのような演繹法的な人間でも、やっぱり思考の硬直化っていうのは
起こってしまっているので、きっと演繹法にも限界があるんだろうな、と思い、
今日もまたしばらく文章を書いていました。
そうすると、演繹法の限界が見えてきました。

まず、よく言われることですが、
演繹法はトートロジー(同語反復)である、ということ。
演繹法は、最初にある前提を決めてしまって、
その前提から導かれる推論をただただ発展させていく思考様式ですから、
極端に言うと、最初に言っていることと何も変わらないわけです。
たとえば、「独身男性」=「結婚していない男性」=「相手がいないor結婚以前の段階の男性」
というようにして、「独身男性というのは、相手がいないか、あるいは結婚以前の段階にある。」
というような言明を、いくつも重ねていくのが演繹法です。
これは、材料を調理するのには素晴らしい思考方法ですが、
逆に言うと、材料が変わらないかぎり、つねに同じものができてしまいます。

また、最初に決めた「前提」の中で閉じてしまっているがゆえに、
その「前提」が通じない世界では、当然導き出された思考も通用しなくなります。
そうなると、「前提」の通じない世界に入っていくためには、
新たにイチから思考を作り直さねばならない。
その面倒くささを耐え忍ぶぐらいなら、
そのような世界は「不合理な世界」である、として切り捨ててしまって、
今までの前提が通用する世界に閉じこもろう、としてしまうこともありえます。

そして、第三の理由。
個人的にはこれがもっとも大きな原因だと思いましたが、
「演繹法では最終的に判断できないものが大量発生する」ということです。
演繹法が適用できる領域というのは、理論の世界ですから、
実技の世界のことにまで理論を持ち込めないわけです。
どういうことか。とても卑近な例で言うと、
例えば私が映画『ヒューゴの不思議な発明』を見に行ったとして、
それが面白いかどうか、楽しめるかどうか、というのは、
最終的には考えても答えが出ないわけです。
このへんは以前「やってみないとわからない?」で書きましたが。
演繹法では答えが出せないジャンルというのが多々ある。
そうすろとどうなるか。
そのようなジャンルに属するものは、
「語りえないもの」になります。

私は「語りえないものについては沈黙しなければならない」という名言が好きで、
半分座右の銘にしているぐらいなんですが、こちらにも限界があった。

つまり、外の世界、あるいは自分に関することというのは、
最後のところで「判断不可能なもの」に分類せざるをえない。
そうするとどういう行動をとるかというと、
「判断可能なもの」を探そうとします。
「判断可能なもの」とはどういうことかというと、
「すでに経験していること」になります。

いうなれば、すでに食べたことのあるメニューの中からしか、
食事を選ぶことができなくなる。

自分の力で状況をコントロールしようとする思いが強いほど、
逆に「判断可能なもの」にすがってしまうことになる。

そのような行動が、考えの硬直化、行動のワンパターン化を、
引き起こしているのではないかと、思われます。

これは、昨日言った「経験に頼るから硬直化する」の裏面で、
かなり表裏一体のものです。
経験論と演繹法が結びついて硬直化を作っている。
化学っぽく言うと、より安定な状態に向かおうとする。
これが、つまるところの硬直化の原因ではないかと思います。

今日もまだ、硬直化を解決する方法については書けていませんが、
原因の分析が進んだので、わりと早く見つかりそうな気がします。
ではまた。

広告

1 Response to “演繹法の限界”


  1. 1 ジェラード 2012年3月28日19:16

    昨日はお疲れ様でした!

    哲学的な文章ですね。

    偉そうなこと言って、
    甚だ恐縮ですが、
    君は、硬直化するには、
    まだ早い、と思うよ。

    というか、
    今よりも昔のほうが
    硬直化してたかもね。

    昨日話した感じでは、
    もう思考を硬直化させることの退屈さや
    やり切れなさと戦う人になってきていると感じたよ。

    トンネルの出口は、
    もう見えてきつつあるんじゃないかな。


コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中





%d人のブロガーが「いいね」をつけました。