おそれずに考えたい

ヒトは、基本的には考えたがらないものなんじゃないかなあと、
最近思っています。今日それがほぼ確信になりつつあります。
それは、他の人を見ていて、ということではなくて、
自分を観察していて、そうだと思ったんですけれど。

私みたいな哲学好きで、いかにも考えるのが好きそうな人間でも、
やっぱり考えるっていう行為はめんどくさいんです。
むしろ行動してる方がよほどラクです。

「思考より行動を」「発言より実行を」という風潮は、
震災以降ますます強くなってきましたが、
そのスローガンがますます人を思考から遠ざけているような気も、
するんですねえ。どっかで。
私自身も、世の中を動かすのはそら確かに行動だし、
行動を重視できる人間になりたいわぁと思う方なんですけれど、
でもやっぱり、思考というのも無視してはいけない。
「思考」も「行動」のひとつに含まれるからです。
たとえば計画を立てること、利害関係の調整をはかること、
コンセプトを明確にすること、仕事のやり方を考えること、
これらすべて「考える」に属する行動です。
そして、何よりめんどくさいのはそういう種類の「思考」です。

こういうタイプの思考は、抽象的・哲学的思考とは異なります。
事実に即して考えなければならない。
科学的思考といった方がやや近いのですが、
しかし科学ほどの確実性を持ち合わせていません。
蓋然性、限定合理性の中で判断をしなければならないから、
それは「思考」というよりは「判断」の問題です。
直感が関わってくる領域です。論理的には解決できない分野。

そのようなものを「考える」というのは、大変なことです。
考えても答えが出ないものを、考える。
ベストがわからないものを考える。
一見ベターに見えるものが、「一見」なのか本当にベターなのか、
それを検証する時間を与えられていない。

たいていの現実の問題というのは、
考慮すべき事情が3つ以上あります。だからこそ問題になるのですが。
それらを、明確に把握できない状態で同時に考える、というのは、
むしろ哲学的思考・科学的思考に慣れ親しんでいる人間にとってこそ、
逆に耐えられないものだと思います。
だから、私が日々の生活で解こうとしてしまう問題は、
考慮すべき事情が1つか2つしかないものです。
それらはいわば、喉がかわいたから水を飲むという程度の問題解決です。

で、私が春休み中ずっとヒマだヒマだと言い続けていた原因は、
どうもこのあたりにあるのではないかと。
すなわち、考慮すべき条件が3つ以上の問題を全部放り投げているから、
大半の問題が未解決のまま放置されているのではないか、と。
たまにカンタンな問題を解いているから、一応何かしている気にはなるが、
でもそれ以外の時間が圧倒的にヒマになるんじゃないかなーと。

つまり、複雑な条件のもとで具体的に思考するチカラ、というのが、
今私にはもっとも欠けていて、それがあればだいぶ変わるのではないかと。
そういう風に思っています。それは性格の問題というより、能力の問題です。

性格として、普遍性を追求する志向があるので、
普遍性→一般性→抽象性、という経緯で、なんとなく抽象的な物事を好む傾向は
良くも悪くもたしかにあるんですが、それはまあしかたないかなと。
「良い影響もあれば悪い影響もある」というのはいわば性格の問題なので、
無理に改善しても、良い影響が消えてしまいますから。
「改善してもプラスしかない」というのは、改善したらいいと思います。

「おそれずに考える」ということ、「考えるのをおそれない」ということ、
このあたりのことが、最近のテーマになっています。

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