知識を減らす本

わたしは本を読むのが大好きで、
電車に乗っている間(毎日およそ2時間半)はずっと本を読んでいる。
徒歩の時間はだいたいラジオを聴いているのだけど、
面白い本があれば、読みながら歩くこともある。
それを加えると、毎日3時間ぐらい本を読んでいる。

通学時間は往復でおよそ4時間かかっているのだが、
読書という楽しみのため、あまり苦にならない。
むしろ、読書時間が確保できる、という点からすると、
この長い通学時間はたいへんありがたいし、
おかげで読書に集中できる。
家やカフェなどで本を読むこともしばしばあるけれど、
移動時間など、「他に何もすることがない状態」で本を読むのが
一番はかどる、とやってみて気づいた。
暇であればあるほど読書はすすむ。

最近は以前にもまして暇な時間が増えており、
それにしたがって読書量もだいぶ増えた。
調子がのっていると1日1冊読む。平均すると2日に1冊読む。
読書量を自慢するのはバカのやることだし、
『純粋理性批判』を1冊読むのと新書を10冊読むのとでは
得られる知識の種類がまるで違うのは分かっているが、
たぶん今までの人生で一番貪欲に本を読んでいる。
そして、読む本読む本がことごとくおもしろい。
(実際には、おもしろくない本は途中でやめている)

そして、先々週『ブラック・スワン』という本を読んだ。
この本が、タイトルにある「知識を減らす本」である。

『ブラック・スワン』と聞いて、多くの人は、
ナタリー・ポートマン主演の、精神を病んだバレリーナを描いた
2010年の映画を思い出すと思うけど、この本はそれと全く関係がない。
著者はうら若きバレリーナではなく、50代のヒゲ面のおっさんで、
レバノン生まれウォール街育ちの元投資家である。
ティーンエイジャーの頃にレバノン内戦を経験していて、その後MBAを取得、
デリバティブトレーダーとして成功を収めて、
今はなぜかニューヨーク大学でリスク工学の研究者をやっている。

タイトルの「ブラック・スワン」というのは
オーストラリアにいる黒い白鳥(コクチョウ)のことで、
「黒いなら白鳥じゃないじゃないか」という批判がすぐに飛んできそうだが、
いちおう白鳥の仲間である。事実、シルエットは白鳥そのものだ。
英語には「無駄な努力」を指すことわざとして、
「黒い白鳥を探すようなものだ」という言い回しがあるのだけど、
黒い白鳥が見つかってしまった以上、このことわざは少し時代錯誤だ。

「すべての白鳥は白い」という命題を証明するには、
何百万匹と白い白鳥を連れてきてもしょうがない。
「もしかしたらどこかに白くない白鳥がいるかもしれない」
という可能性は決して消滅しないからだ。

いっぽう、「すべての白鳥は白い」をぶっつぶすには、
黒い白鳥を1匹連れてこればいい。
法則を証明するより、法則を反証する方がはるかに簡単だ。

にもかかわらず、我々は、
白い白鳥がたくさんいるだけで、「すべての白鳥は白い」と思ってしまう。
へたをすると、3匹いるだけで「すべての白鳥は白い」と思いこむ。
わたしの経験で言うと、「最近○○してる人多いね」と人が言う時、
その人は「○○してる人」を2人しか知らない。
2人同じようなことをしている人がいれば、たちまち人は法則を作り上げ、
「黒ぶちメガネにはムッツリスケベが多い」
「ヒップホップ好きの男はだいたい一重まぶた」とか言い始める。

われわれは法則を作り出すのが大大大大好きで、
まさしく1万年と2千年前から法則作りを愛している。
(人類誕生は10万年前だが、日本列島誕生は1万年と2千年前だ)
目の前のものごとを解釈し、理由を見つけるのが非常にうまい。
人間はどんなことにでも必ず理由を見出すようにできていて、
自分はキリストの生まれ変わりだと信じている精神病患者を
3人引き合わせたところ、彼らはそれぞれユニークな解釈をひねり出した。
ただし、そのどれもが「自分は本当にキリストの生まれ変わり」
というところは譲っていない。
精神病患者でなくても、われわれはごくふつうに、
自分の信じたい信念と一致しない証拠を無視するし、
自分の主張をくつがえすことにはあまり熱心になれない。

『ブラック・スワン』は、こういった人間の認知バイアス、
そして事物の根源的認識不可能性について書かれた本だ。
「根源的認識不可能性」なんて仰々しい九文字熟語を使ったけれど、
要は、どうしても知りえないことが世の中にある、ということだ。
それが具体的にどういうことなのかは、本文を読んでもらったほうが早いけど、
そういう、根源的に分からないものについて、
予測しようとすることの有害さ、
数理的モデルの役立たずぶり(LTCMファンドを見よ)、
「私たちは学習しない、ということを学習しない」
「確率論はカジノだけでやっておけ」「お遊びの誤り」
「みんなプラトンが大好き」「地図と地面を取り違える」
なんてことが書かれている。

私たちが知っている、と思っていたことの多くが、
あまりにも不安定な根拠の上に成り立っている。
知識でできた家の耐震強度は低い。
耐震強度は低いけれど、それを補強する方法はあまり無い。
そもそも補強しようとすることが間違いなのだ。
せめて選ぶべきは、あまり大きな家を建てようとしないこと。
あるいは、家の外に出ること。でも、家の外では暮らしていけない。

これを読んで以来、私はなるべく小さな家に住むようになったけれど、
本を読んでるうちに勝手に家は大きくなっていく。
ナシーム・ニコラス・タレブ(著者)はこう言っている。

「私たちの知識は増えていく。でも、一緒に自信のほうも増えていってしまう。
 おかげで、知識が増えれば、同時に混乱も、思い上がりも、うぬぼれも増える。」

知識はいいものだけれど、必ずうぬぼれもついてくる。

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