特攻隊にパラシュートを

タイトルなんてのはキャッチーでさえあればよくて、
中身を忠実に反映している必要なんかない。
このタイトルも、たいして中身は反映していない。

若者論の最近のブームは、どうも
「最近の若者は衝突を避けたがる」というとこに
落ち着いているらしい。
相手の言ったことにあまり納得がいかなくても、
波風を立てず、うんうんと聞き流すし、
自分と立場の違う人を巻き込んで何かをやろう、
ってなことには超がつくほど消極的らしい。

これが本当に「現代の」若者特有かどうかはわからないし、
おそらく中年はそんなことを調べたがらない。
いつだって昔はよかったのだから。
君たちより親の世代のほうが、親よりおじいさんの世代のほうが。
古代ギリシアなんてなんと素晴らしかったことだろう。
原始時代なんていったら、ああ。もう、素晴らしさしかない。
すべてが理想的ですべてがエコだった。

そんなふうにして、若者はいつだって低く見られるのはしょうがないし、
若者はいつだってかわいそうで愚かで傲慢だ。
だが、どうも最近の若者は傲慢ではないらしく、
むしろ極端に自信がない。あるいは自信があってもそれを表に出さない。
ナルシストは人前でもナルシストとは限らないのだ。
とにかく、今の若者は衝突を避け、傷つくのを恐れる。

という、まあ、新書作家たちの主張と分析が正しかったとして、
問題は、それで結局どうなのよ、ということである。

「傷つくのを恐れる」のは何も今に始まったことじゃないし、
あらゆる動物が基本的にはそなえているべき性質だ。
もしそれが問題になるとすれば、
恐怖のあまりエサも取りに行けない、という状況か、
あるいはフラれるのが怖くて子孫を残せない、という状況である。

が、人間は今のとこ、どちらの状況からも自由である。
エサはだいたいなんとか手に入るし(生活保護だってある)
子孫を残す必要を強く感じている人もあんまりいない。
日本人男性の生涯未婚率は20%にまで伸びてきているし、
総世帯数の3割近くは単独世帯だ。

傷つくのを恐れて損することがあるとすれば、
まあ仕事とか友人とか、そういった話になってくる。
けど、これだって、極力傷つかずに人とつながることは可能だし、
twitterなんてのはそういった快楽を与えることを専門としている。
あそこでは、人と人が関わり合うことなく、人と人がつながりあう。
関わり合わなくていいのにつながれるという、
実にやっかいで実に快適な時代がやってきた。

そう考えると、もはや我々に傷つく理由はない。
あなたがよっぽどのマゾヒストなら別だけど、
傷ついてまで何かを手に入れなくても全然平気なのだ。
すべてが安楽椅子の上で手に入る。

というと、新書作家たち(そして何人かの知識人)は、
「ネットで手に入るものなんて本当にわずかだ」と反論するだろうし、
私もそれは至極もっともだと思う。今のところは。
これから何十年か経って、本当にあらゆる人が
ネットにつながり始めた時、ネットで手に入らないものなんて
まだ存在しているんだろうか?とも思うけど、未来の話なのでこれ以上書かない。

私があの、薄っぺらい本にキャッチーなタイトルをつけることで
おなじみの人々の話を読んでいていつも思うのは、
彼らは自傷行為をおすすめしているということだ。
たぶん裏でカッター業界とつながっている。あとガーゼ業界からも金をもらっている。
もっとも大きな金をもらっているのは医療業界(とりわけ精神医療)だろうけれど、
何かしら業界の圧力を受けて、彼らは人々に自傷行為をすすめている。
新書のタイトルを『リストカットのすゝめ』に変えた方がいい。

なぜって、若者について書き散らした本を1冊見ればわかるように、
彼らのほぼ全員が「失敗」や「傷つくこと」をおそれるな、と書いている。
それ以上のことは書いてない。だいたいの新書にはイースト菌が入っている。
具体的に「失敗しないためにはどうすればいいか」
「なるべく衝突を生まずにプロジェクトを成功させる方法」について
書いてくれている人はほとんどいない。
かわりに、彼らはバカの一つ覚えのように、
「失敗しない方法。それは、何もやらないことです」という
使い古されたフレーズで、読者に「挑戦」をさせようとしている。

なにも日本人にかぎったことではないが(アメリカでもペーパーバックは大流行りだ)、
ああいう本を書く人の辞書には「リスクヘッジ」という言葉がない。
かわりに「背水の陣」「腹を切る覚悟」「不退転の決意」という言葉は太字で書いてあって、
失敗したら全てが崩壊する方がお好みらしい。
「桜」-「散る」-「美しい」という単純な図式に乗せるのは
やめておこうと思うけれど、まあでも失敗は美徳の一つだ。
失敗から学ばない。失敗を観賞する。

若者がそういった見世物になろうとするかというと、
まあ当然なるわけがない。
誰がすすんで自分の臓物ショーを見せびらかすというのだろう。
切腹は映画のなかだけで充分で、実際の人間がやるもんじゃない。
失敗を恐れず挑戦する人も、しょせんは映画のなかの住人だ。

実際の人間はもっとリスクに敏感で、失敗をこわがる。
確実に100万円もらえる選択肢と、
50%の確率で300万円もらえるけど、50%の確率で何ももらえない選択肢では、
前者を選んでしまうのがふつうの人間だ。それを「愚か」と呼ぶべきではない。
このリスク回避傾向は、賭けているものが大きければ大きいほど強くなる。

「失敗」や「傷つくこと」を目的にするのは人間の本能に反する行為だ。
それをたとえば成功者のエピソードといった情緒的な手段で説得しようとしても、
無理がある。一時的にだませても、いずれ反発がやってくる。

我々がもし失敗からしか学べないとすれば、人生はあまりにも短すぎるし、
衝突がなければ分かり合えないとすれば、
人間関係は非常にめんどくさいものになってしまう。
しかも、失敗してあきらめてしまったり(=学ぶのをやめたり)、
衝突して人間関係が途絶えてしまう可能性はけっこう高い。

そんなことをみすみす進んでやりたがる若者はいないうえに、
そもそも国民全員をリスクテイカーにするのは無理がある。
パラシュートがあったとしても、誰も特攻隊にはなりたくない。
宗教教育を受けているならともかく。

今大人たちが熱心にやっているのはもっぱら宗教教育で、
それを信じて玉砕している若者も数多くいるのだけど、
そんな荒っぽいやり方をしなくても、若者に挑戦させる方法もある。
「リスクのはかり方を教えること」だ。

もともと、リスクというのは計測不可能な部分を秘めていて、
完全に計測可能だと思って対処するとかえって痛い目にあう。
が、限界をふまえて予測するぶんには悪いことにはならない。
具体的な数値まではわからなくても、ある挑戦が
「わずかな確率で大成功するもの」なのか、
「ふつう成功するが、まれに大失敗するもの」なのかは見極められるし、
成功した場合にどういう影響があるのか、
逆に失敗した場合にどういう被害をこうむるのか、
といったことを考えるのは、落ち着いてやればそう難しいことじゃない。

ただ、こういうことを冷静に認識したからといって、
すべての若者が挑戦的になるかといえば、やっぱりそんなことはない。
われわれがリスクを認識する方法は非常にお粗末なので、
冷静な目で認識したときの考え方と、
いざ実際に行動してみようと思った時の考え方は食い違ってくる。
途端にマイナスのリスクが大きく見えて、結局やめてしまうことは少なくない。

反対に、比較的挑戦的な傾向のある人間は、逆の現象に襲われる。
すなわち、本当は大きなリスクがあるものを、安全だと思いこみ、
結果大きな失敗をしてしまう。こういう人のために命綱が必要だ。
でなければ、この一度の失敗が命取りになってしまう。

若者の挑戦を支えるには、こういったセーフティーネット的な側面と、
リスク認識論的な側面からの2つのアプローチがある。
前者は例えば生活保護や教育、ベーシックインカムといった話につながり、
後者は行動経済学、確率論、哲学、といった話につながってくる。
私は後者の話の方が得意なので、いずれ後者について書こうと考えているけれど、
なんにせよ、精神論で挑戦してはいけないと思っている。

リスクを認識し、リスクヘッジをした上での挑戦だけが真に継続的なものになりうるし、
当てずっぽうな挑戦をすすめるのは、かえって挑戦する人を減らす。

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