死について

昨日の京都は雨だった。

私は自転車に乗っていた。

今出川通りは狭い。
歩道は、2人で横に並ぶといっぱいになる。
その中を自転車で通り抜けるのはとても難しい。

学校に急いでいた私は、自転車に乗って、
その歩道を突き進んでいた。
前に人が立っている。
よけよう。

よけることはできた。

が、もっと悪いことが起こった。

私の自転車は思いっきりすべってしまい、
横に倒れた。
「すべる」というのは怖いことだけど、
実際体験するともっと怖い。会話ですべる方がよほどよい。

で、頭をぶつけた。

そっからの記憶はちゃんとあるのだけど、
細かく書いてもあんまり楽しくないので、
省略する。

頭をぶつけたからといって意識が飛んだりしたわけではなく、
また、頭蓋骨にヒビが入るようなこともなかった。
CTスキャンもしてもらったところ、
特に脳の出血は見られなかった。
表面の皮膚が切れただけで、
中の筋肉までは傷ついてないらしい。

だから、まあ大丈夫っちゃあ大丈夫なのだけど、
それでも5針縫うケガだった。血はけっこう出たしね。

が、医者によれば、
「数か月経ってから症状が出ることもあります」
とのことらしい。

マジか!

今のところ特に異常はないけれど、
もしかしたらあとで異常が出るかもしれないって、
なんと不便な作りになっているのだろう。
エラーがあるならエラーがあるとはっきり言ってほしい。
人間の体は不便なものだとつくづく感じた。

で、この「数か月経ってから症状が出ることも」と
言っていたけれど、その確率をお医者さんは明言しないのだ。
というより明言できないのだ。

というより、そもそもこれは、そんな確率論の話じゃない。

確率論でよく出てくるのが期待値の話だ。
(こんな文章を書いている時点で、
 意外に自分の脳は大丈夫なのかもしれないとふと思ったけど)

たとえば、サイコロをふって、
1,2の目で-100円、3,4の目で-50円、5,6の目で+200円という
賭けがあったとする。
この場合の期待値は、
(-100-50+200)×1/3で+50/3円、およそ+16円になる。
この賭けが無料でできるなら、一応やってみた方がいいということになる。

けど、無限大がここに絡んでくるとどうなる?
たとえば、6の目が出ると死にますという状況ならどうなるか?
無限に1/6をかけても無限は無限なので、期待値がプラスになることがけっしてない。

無限が絡んできた時点で、どんなに少ない確率であっても、
それはすさまじく大きな影響をもたらす。
今回の震災で放射能を浴びた人も、たぶん同じような恐怖をもっている。
今は大丈夫だけど、数年後経ってから急に発症するかもしれない。
その確率がとても少なかったとしても、
それはすさまじい恐怖以外のなにものでもない。

で、いざ自分がこういう「無限大」の危険性にさらされてみて、
初めて「宗教」が存在する意味がわかった気がする。
「無限大」が絡んでくることに関して、科学は対応できない。
人の心を落ちつかせるには、ありがたいお言葉とか、偉人の名言の方が、
行動経済学の知見よりもやっぱり役に立つ。
いや、行動経済学の知見も大変役に立つのだけど。

そして、こういう時は統計的データよりも、
逸話やストーリーの方がはるかにありがたい。
たとえば身のまわりで5針や2針縫ったけど今も元気で生きている人や、
あるいはインターネット上でそういうエピソードを持っている人を見ると安心する。

http://music-1000.blog.so-net.ne.jp/2009-10-31-1
上のは、私と同じように5針縫って、
CTスキャンを見てもらったところ、出血も骨も異常なしだった、という人で、
今も元気にしておられる人のブログ。
音楽活動(フルート奏者)をしておられることもあって、
なんとなく親近感もわく。
この人1人の物語というのは、統計データとしてはまったく意味がないが、
でもなぜか不思議と勇気がわいてくる。
そういうものだ。

あと、久しぶりに文章を読んで泣いた。
http://youpouch.com/2012/02/06/53534/
『ナースが聞いた「死ぬ前に語られる後悔」トップ5』
たぶんいろんなところで紹介されたので、
皆さんも一度は見たことがあると思う。私も見た。
で、この事故に際してもう1回見たところ、実に泣けてきた。

ガラにもないことを言うけれど、
人生は本当に短い。
正確には、「ちょっとしたことで短くなる可能性がある」。
平均寿命はぜんぜん長いのだけれど。

あ、そういえばふと思い出したけど、
友人S氏もなんか頭を打って血が流れたことがあった。
それでも彼女は元気に生きている。
なあんだよかったよかった。
こういう風に、人間は自分が安心する材料を見つけるのが本当にうまい。
それは今まで「損な性質」「ダメな性質」だと思っていたけれど、
ここにきて「必要な性質」だと思うようになった。
そうでなければ生きていけないのだ。

とにかく、人生は短い。
やりたいことをやって生きていかないと、
あっという間に死んでしまうかもしれないと、
心底思った。
さっきの「ナースが聞いた『死ぬ前に語られる後悔』トップ5」は、
病気とかケガをしたときに読むと本当にしみじみと入り込んでくるので、
みなさんもぜひ読んでほしい。
原文(英語版)はより詳しく書いてあるので、
英語が読める人はそちらも読んでほしい。

まあ、割となんか深刻に書いてきたけれど、
なにも数ヵ月後に死ぬと決まったわけではない。
でも死なないとはいえない。後遺症が残らないとはいえない。
可能性がゼロかゼロじゃないかってのはすごく大きい。

ただ、ふだんの生活でも、死にいたるリスクはあるし、
今平穏無事な人が突然ケガをする確率もゼロではない。
その確率をなるべく少なくしてほしい。

なので、私からもっとも言いたいことは3つある。(また昨日と同じ形式)

1.雨の時に自転車に乗るな(自転車操縦能力を過信するな)

2.今出川通りを自転車で走るな(せまい)

3.急がなくていいスケジュールを組め(というか急ぐな)

の3つになる。
とりわけ1番がもっとも大事。

あと、自転車専用道路ってのはマジ必要だと思ったね。
それでも事故が起きる可能性はあるけれど。
それから、自転車に傘をとりつける装置は、
もう必須にしてもいいんじゃないかと思う。
片手傘さし運転ほど危険なものはない。傘は視界をさえぎるし。

『ミックマック』という映画の主人公は、
「脳の中に銃弾が残った男」なんだけど、
ハッピーに生きている。
もちろんフィクションなのはわかるけど、
なんかあれを思い出すと元気が出る。
映画としても非常におもしろいし。群像劇が好きです。
では。

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