みみっちい話

僕は基本的にドケチなので、
料金体系に対してものすごくうるさいです。
ものすごくうるさくて、ありえないほど近いです。
公正な取引とは何か、適正価格とは何か、
みたいなことは常に考えています。経済学バカですね。

で、世の中の料金体系について考えてみると、
実に納得のいかないものが多い。

「モノやサービスの価値」というものを考えるとき、
主に2つの考え方があります。

ひとつは労働価値説、もうひとつが効用価値説。
正式にマルクス経済学を勉強したことがないので、
ややいい加減な解説になりますが、
労働価値説ってのは、その商品を作るために
投下された労働が、その商品の価値である、という話。

効用価値説というのは、
その商品(やサービス)によって、
利用者がどれくらい幸福を得るかどうか(=効用)、
ということが「価値」である、という話。

で、どうも今の世の中のシステムを見ていると、
おおむね「効用価値説」に基づいて動いているらしい。
つまり、あなたがたはこの商品によって、
だいたい2000円ぶんぐらい幸せになるんだから、
2000円は支払いなさいよ、というような仕組みになっている。

ただ、でも効用価値説だけで考えていくと、
どうも納得できない点が出てくるんですね。

たとえば、製造者がいくらでもタダで製造できるものに、
お金を支払うのは、なんかシャクな気がしませんか?
あるいは、服を一着自分で作ろうと思うと相当な手間がかかるのに、
なぜユニクロではあんなに安く売っているのか?
Tシャツって、1000円と言われれば1000円な気もするけど、
3000円って言われたら3000円な気もしないか?

僕が納得いかない料金システムは主に2つあって、
「鉄道」
「カラオケ」
です。

――――――――――――――――――――

鉄道について。

鉄道にかぎらず、バスや飛行機なんかもそうですが、
基本的にああいうものは、
「人が乗ろうが乗るまいが走っている」わけです。
もちろん、乗る人がゼロならその路線は廃止されますが、
乗る人が150人だろうが151人だろうが、
たいして変わりはないわけです。
乗客が1人増えることによるコストはものすごく少ない。
もちろん、乗客が増えることによって、
他の乗客にとってのコストは上昇します。
たとえばイスに座れないとか。
満員電車で新聞も読めないとか。
そういうことはあります。

しかし、鉄道会社側はそれによってコストを負わない。
もちろん乗客が何百人単位で増えると重くなりますから、
電車を動かすのにより多くのエネルギーは必要になりますが、
それも微々たるものです。乗客数で割れば大したことにはならないでしょう。

っていうことを考えると、
鉄道の「原価」ってなんなんだ?
ほぼゼロじゃないのか?
という気すらしてきます。

そしてもうひとつ、鉄道やバス特有の料金システムがあります。
それが「初乗り運賃」。
電車に乗って隣の駅まで行くのに、150円。
隣の隣の駅に行くのに、160円。
おやおや?

出発する駅をA駅、
隣の駅をB駅、
隣の隣の駅をC駅としましょう。

AからCまで行く切符を買いました。
「AからCまで電車に乗って行く権利」を我々は購入しているわけです。
そして、「AからCまで」というのは当然、
「AからBまで」と「BからCまで」を足したものに他なりません。
間にはなにもないのですから。

「AからBまで行く権利」はいくらで買えるでしょうか?
150円です。

では、「BからCまで行く権利」は?
160円から150円を引いて10円のはずです。

しかし、B駅の改札を出て券売機を見てみると、
B駅からC駅まで行く権利はやっぱり150円です。

150円+150円=160円。
こんなおかしな計算があるのか?

詭弁といやあ詭弁なのですが、
アキレスのパラドックスばりに一度じっくり考えたい問題です。
どうして初乗り運賃は150円で、その隣の駅に行くのには
わずか+10円するだけでいいのか。どうして?

――――――――――――――――――――

もうひとつ納得のいかない料金体系。
カラオケについてです。

カラオケというのは、あるひとつの集団で、
あるひとつの部屋を占有して、その中で専用の機械をもちいて
歌唱行為にいそしむ娯楽です。
難しく言いましたが、
要は「ひとつの集団につきひとつの部屋が与えられている」
ということがポイントです。

極端な話をしましょう。
ここに、1曲歌うたびに人格が変わるA君がいたとします。
すごいですね。
で、このA君が1時間ひとりカラオケを楽しんで、
そのなかで15人の「A君」が登場しました。
料金はいくらかというと、A君ひとりぶんです。当たり前です。

いっぽう、別の部屋には、
15人のグループがやってきました。
その15人が入れ替わり立ち替わり、ときにはデュエットで
1時間歌っていました。
この場合料金はいくらかというと、
15人分の料金をとられます。

これがどうも納得いかないんですよ。

つまり、「ひとつの部屋を客に占有されている」
「ひとつの機械を客に占有されている」
という点では、
客が1人だろうが15人だろうが一緒だろう、と。
お店側はそこでなんのコストもかかっていないわけです。
ドリンクバーがあれば、確かにドリンク代は15倍かかるかもしれませんが、
それはもう別料金で換算すればいいだろうと。
それよりも問題なのは、
歌った曲数もあまり変わらないし、
ひとりひとりの歌った曲数はむしろ少ないにもかかわらず、
なぜ15人それぞれがA君と同じ料金を払うのか、ということです。

たとえば、「カラオケとは、歌うことに対してではなく、
その部屋にいること自体に対して料金が課されるのだ」
という説明が可能でしょう。

実際、さっきの15人グループの中の1人が井上陽水だったとして、
井上陽水の歌をほかの14人がひたすら聴いていた場合でも、
やっぱり15人ともが料金を払わなければいけないわけですから。
井上陽水ふくめ。カラオケ店に払うわけです。

ただ、やっぱり客側の意識としては、
「部屋に滞在するため」というよりは、
「歌うため」ないし「聴くため」にいるわけです。
この「聴くため」を考えれば、「部屋にいること自体に対して料金が課される」
というシステムもわからんでもないですが、それでも不満は残ります。
つまり、原価のないものになぜお金を支払わなければいけないのか、と。

――――――――――――――――――――

「鉄道」、「カラオケ」、いずれも
「原価がほぼゼロのものに対してなぜお金を払うのか」
ということについての不満でした。

しかし、よくよく考えると、
私はよくライブやコンサートに行きます。
もちろん値段にはうるさいですが、それらにお金を払うことに対して、
比較的なんの不満もありません。

ライブやコンサートで、客が1人増えようが増えまいが、
運営側の負担するコストは全く同じです。
確かに客が座るイスは1つ減るかもしれませんが、
満員でないかぎり、イスが多少埋まっても埋まらなくても、
会場にとってのコストはゼロです。
こちらも同じく、「原価がほぼゼロ」なのにお金を支払っているわけです。

でも、私は鉄道やカラオケにお金を払う時よりも、
コンサートにお金を払う時のほうが、なんとなく納得している。
それはなぜなのか?

「原価」について考えてみましょう。
カラオケや鉄道に対する不満とは、すなわち、
「原価に対する不満」でした。

原価にも2種類ありまして、
「固定費用」と「限界費用」があります。
固定費用というのは、カラオケでしたら、その土地代、建物代、
機材などの設備費、冷房費、社員の給料、などなど。
鉄道でしたら、鉄道敷設費、土地代、車両代、電気代、社員の給料、などなど。

ちなみにこれを延長してコンサートに適用すると、
コンサートの固定費用は、
会場の空調・光熱費、機材代、ミュージシャンがその曲のために費やした時間、
などなどといったものが入ってきます。

要するに、「その事業を始めようと思ったら絶対にかかるお金」が
固定費用です。客の入りとは関係なくかかるお金。

限界費用というのは、「客が1人増えるごとにかかる費用」です。
(正確には、生産量が1単位増えるごとに追加される費用)

これが、カラオケ、鉄道、コンサート、すべてにおいて、
非常に少ない。これが大きな特徴です。
農産物や工業製品の場合も、もちろん固定費用はあるのですが、
限界費用も大きいです。
そして、ビジネスとは、いかに限界費用を安くすませて、
限界費用と販売価格の差額で固定費用を回収するか、
という戦いでもあります。
固定費用さえ回収できればビジネスはまわっていくので。

そして、自分がもつ不満っていうのは、
どうもこの「固定費用」と「限界費用」がごっちゃになっていることから
来るのではないか、という風に思います。

たとえばひとりカラオケをしに来た人がいて、
その人が来たことによって店側がこうむるコストは、
「カラオケの機材を使わせるコスト」
「その部屋の空調・光熱費」
「ドリンクバー」
等です。
このコストに、何割ぶんかの収益を足した値段を支払っているわけです。

2人カラオケをしにきた人がいて、
その人が来たことによって店側がこうむるコストは、
「カラオケの機材を使わせるコスト」
「その部屋の空調・光熱費」
「ドリンクバー」×2
です。
つまり、増えたコストはドリンクバーしかない。
ドリンクバーしかないにもかかわらず、
ひとりカラオケ客と同じ値段を払っている。
このことがすげえ納得がいかない。
本来カラオケとしては多くの客が来てくれたほうがありがたいにも関わらず、
ひとりカラオケ客よりグループ客により多くのお金を払わせている、
このことがね、なんか納得いかないんですよ。みみっちいけど。

コンサートだと何が違うかっていうと、
たった1人しか客がいなくても、50人の観客がいても、
かかるコストが(ほぼ)まったく変わらないということです。
つまり、コストとかそういうことじゃなくて、コストとは無関係に、
ただ音楽に対して支払ってる、その感じがなんか潔いと思う。
みんな同じものに対して同じお金を支払ってるわけですから、
観客間の平等が保たれている。これはすげえいいと思う。

鉄道も、実はその意味でいえば、コンサートと変わりません。
客が十数人しかいないローカル線と満員電車では、
そりゃコストも違ってくるでしょうけども、
でも乗客が50人でも100人でも、
かかるコストはまったく変わりません。
で、コンサートに対して納得するのと同じように、
僕も電車で1駅移動するのに150円かかることに対しては、
まったく不満はありません。

ただ、なぜもう1つ隣の駅に行くのにはたった160円ですむのに、
初乗り運賃が150円なのかということです。そこだけが納得いかない。

あともう一個言うと、
僕この前福岡から大阪に新幹線で向かう機会があったんですが、
福岡から小倉で途中下車しようとすると、
特急券が別々になって、要はよけいにお金を払わないといけないのね。
ここがめっちゃめちゃ納得できない。
「福岡から大阪へ行く権利」は
「福岡から小倉へ行く権利」+「小倉から大阪へ行く権利」ではないのか?

仮に「途中下車権」というものがあるとしたら、
途中下車によっていったいJRはどのようなコストを負うのか?
たぶん完全にゼロなんですが、ここでもやっぱりゼロのものに対してお金が発生している。

それから、青春18きっぷで特急列車に乗れない理由もよくわからない。
青春18きっぷで、サンダーバードとか白鳥に乗ろうとすると、
特急料金だけでなく、乗車券料金も別に払わないといけない。
特急料金を支払うのはまだ納得できるんですが(速い列車に乗る権利)、
移動する権利(=普通乗車券)は既に青春18きっぷに含まれているのでは?
ここがよくわからないんですよね。

――――――――――――――――――――

効用価値説に基づいて考えれば、
こういうおかしな料金体系も、納得できんわけではありません。
たとえば、1人カラオケする人と、
5人とかでカラオケする人では、
「カラオケする幸せ」という点ではあまり大差がないのかもしれない。
(それでも、1人と5人ではだいぶ内容の質が違うと思うけど)

あるいは、自分にとっては、
小倉で途中下車できることは確かに大事だし、
(正確にはそこから乗り換えて門司港に行ったのだが)
そのためにお金を払ってもいいとは思う。

でもやっぱり、原価が無い。
原価がないものに果たしてお金を払うべきなのか?
ってことを考えると、どうも納得いかないものがあります。

とりわけ鉄道のような独占市場では、
いくらと言われても我々は払うしかありません。
そういう市場において、原価にもとづかない値段設定が
許されていいのか、っていうのはなかなか疑問です。

世の中のモノの値段がどのようにして決まるか、
については、なんかおもしろい本があった気がするので、
またそれを読みつつ考えてみたいですが、
とにかく、経済学を学ぶと、
こういうみみっちいことをよく考えるようになります。
もともとケチはケチですが、拍車がかかりましたね。
ビッグなことを考えたいものです。ではでは!

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2 Responses to “みみっちい話”


  1. 1 じぇらーど 2012年9月3日18:16

    なるほどねー。

    でも、価格って最終的には、
    売り手と買い手の合意で決まるもんで、
    多くの場合、売り手が考えているよね。

    そういう意味では、カラオケや鉄道の料金体系って、
    買い手の納得感を得つつ、
    売り手が決めた価格だよね。

    もちろん、
    気づいた人にとっては不合理な価格体系かもしれないけど、
    多くの人が納得している、
    より正確には、納得させているのなら、
    それが販売価格になっちゃうよね。

    そして、それを打ち破る人はたまにいるよね。

    ユニクロの柳井さん、JINSの田中さんなどは
    良い例だと思う。

    そういう視点では、
    不合理な価格体系に、
    ビジネスチャンスありってことだよね!

    疑問を持つことは良いことだね!

    • 2 opinoki 2012年9月3日21:53

      「不合理な価格体系にビジネスチャンスあり」ってのは
      本当に僕もそうだなあと思っていて、
      LCCとかライフネット生命とかも、そのいい例だなと思います。
      時代が進むにつれて、そういった不合理さは、
      たぶんちょっとずつ無くなっていくんじゃないかと期待してますね。


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