リスク恐怖症

お金とかリスクの話って、
「善や正義とはなにか」という話より
はるかに切実で身近なのに、
なんで書いてる人がこんなに少ないのか。

たぶんアリストテレスの著作とかを熱心に読みこんでいくと、
お金について記した箇所もどっかにあるのかもしれませんが
(実際あった。お金がお金を生むのは道理に反するという話)
あんまり金銭論とかをまじめにやった哲学者は
そんなにいないような気がする。

最近になってようやく「金融教育」というものが
出てきているそうです。
これは結構歴史上みてもあんまり例がない教育だと思うので、
なかなかおもしろい。
ただ、これも、単に「家計のお金を投資市場にもっと流入させたい」
という思いでやっているのか、
「個々人がお金を賢く使えるように」という意図でやっているのか、
はわかりません。それによって内容も違いますし。

ふつうの人は、たぶん投資なんてやらんほうがいいし(そもそもそんなお金は無い)、
それよりかはどこをケチってどこに支出すべきなのか、
ということの考え方を学んだほうが役に立つ。
その意味では「金融教育」よりも「金銭教育」に興味があります。

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お金を使うってのは基本リスクのある行為で、
とりわけまとまったお金を使うとなると恐怖を感じます。
そのお金で買ったものが果たしてどれぐらいの幸せをもたらしてくれるのか、
買った時点ではわからないので。
たとえば、私が今から20万円払ってトルコに行くとして、
果たして私は20万円ぶん幸せになれるのだろうか、
という不安が残ります。

この「20万円ぶん幸せ」ってなんなんだ、という話ですね。
主観的な幸福をそもそもお金ではかれるのかという。

そう、そこがまさしく問題で、
前に「労働価値説」と「効用価値説」の話をしたと思いますが、
今の世の中は「効用価値説」で値段が決まっているわけです。

でも、そもそも「効用」ははっきりした値段のかたちをもっていないのだから、
ある幸せが100円といえば100円だし、1000円といえば1000円ということは、
平気で起こりうる、ということです。

つまり、効用価値説にもとづいて値段を決めると、
いくらでも自由に値段を決定することができる、ということ。

もちろん、完全競争市場であれば、より安く質のいいものを作った方が
売れますから、競争システムによって値段はだんだん下がっていくわけです。

でもこれがもし、独占市場であったならば?
いくらでも値段を設定できる。

「ブランディング」っていうのは、
いわば独占市場を作り出すことに似ていて、
例えばシャネルのバッグが大好きな人にとっては、
シャネルが10万円と言おうが100万円と言おうが、
買わざるをえない。だってシャネルなんだもの。

それと同じように、どうしてもトルコに行きたい人にとっては、
トルコ航空券がたとえ8万でも20万でも出さなければならない。
とりわけ、「時期」「場所」が限定されている場合、
かなり強い独占市場となります。

航空券や燃油サーチャージの値段っていうのも、
これまたかなり議論したいものなんですが、
今は知識がないのでひかえます。
まあでもあんまり納得はいかんよ、航空券って。

プラシーボ効果ではないんですが、
行動経済学によれば、「払ったお金と満足度は(ある程度)比例する」
というのはあるそうです。
つまり、これくらい払ったんだからこの商品には
これぐらいの価値があるはずだ、という風に期待すると、
実際そんなに満足度がなくても、これでよかったのだ、
と思えちゃう。
逆に、ある商品に関して「まずい」という先入観をもって食べると、
実際おいしくても「まずい」と思っちゃう。そういうことはあるらしい。

(参考文献:『予想どおりに不合理』の「予測の効果」の章より)

つまり、我々の「効用」(=幸福感)なんてのは
いいかげんなもんだ、っていうことです。

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何かを購入するという時、3つの要素が絡んできます。

「価格」「期待効用」「事後効用」

価格…値段のこと。
期待効用…それを買ったらどれぐらい幸せになるかという期待。
事後効用…実際、それによってどれぐらい幸せになったか。

で、我々がモノやサービスを購入するとき、
ほぼ必ず「期待効用>価格」の式が成り立ちます。
価格以上の値打ちがないと思ったら、ふつうは買わないです。
「どうしても必要だから買う」という場合でも、
一応は成り立っている。その価格が正当かどうかはおいといて。

買ってもらうためには、つまりこの
「期待効用」を上げるか、もしくは「価格」を下げるか、
どちらかにしなければいけません。

で、もしモノが売れなくなっているとしたら、
価格が高すぎるのか、あるいはこの
「期待効用」が極端に下がっているからではないか、
というふうにみることができる。

あるいは、価格ゼロの商品があるとしますと、
それはもう間違いなく「勝ち」なわけです。絶対に損をしない。
で、この商品を購入する(ってか「もらう」)と、
どれだけトクをするかというと、
「事後効用」-ゼロ=「事後効用」がまるまるトクするわけです。

ライブやCDがYouTubeに勝つためには、
このYouTubeにおける「事後効用」ぶんを上回る
お得感(というといやらしいので、満足感)を与えないといけない。

「効用」-「価格」=「満足感」という風に考えますと

ライブの効用-チケット代>YouTubeの効用

という状態が必要になります。

そして、ライブに実際行く以前の時点では
「ライブの期待効用-チケット代>YouTubeの期待効用」
が成り立たないといけない。
もしライブに対する期待感が低い場合、
ライブの期待効用-値段の差額がYouTubeを上回らないので、
ライブに人が来ない、ということになります。

というか、ここではYouTubeだけを意図的に取り上げましたが、
本来ならほか全部の商品と競合します。
つまり、オシャレカフェに行ってオシャレ音楽を聴いて過ごすことや、
オシャレコンサートホールでオシャレクラシックを聴くことなど、
すべての商品と競合して勝たねばなりません。
実際、人間はほかのすべての商品と比較して
ベストなものを選んでいるわけではないんですが、
まあでもある程度は他の商品に勝たなければいけない。ということ。

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いっぽう、リスク回避的な社会では何が起こるか。
リスクに背を向ける日本人』という本があるので、読んでみてほしいですが、
他の国と比べても、実際日本人はリスク回避的なようです。

「リスク回避的」という言葉をなんの説明もせずに使っていますが、
カンタンに言うと、リスクのある選択をしたがらない、ということ。そのまんま。
たとえ幸せになる可能性が高そうな選択でも、
そこにリスクがあるなら選択したがらない、という状態になると、
リスク回避傾向がかなり強い、ということができます。

さきほどお金を使うことはリスクである、と書きましたが、
リスク回避的な傾向とお金の使い方はかなり結びついているのではないか、
というふうに思います。

リスク回避的ということは、つまり、
「うまくいく可能性を低く見積もっている」ということです。
客観的にみたらもうちょっと高いのかもしれないけれど、
やや低めに見積もっておくことで、質のいい選択だけを
選べるようにしようと、そういう戦略で生きている。
言い方を変えると悲観的である。

ものごとに対する期待度が全般的に低いならば、
当然さきほどの「期待効用」も低い。
するとどういうことが起きるか?

「期待」が「価格」を上回らない。
つまり、商品の購入を買い控える。
あるいは、「すでに知っているもの」しか
購入しないようになる。

ある人が、たまには牛丼屋じゃなくて、
ちょっと高級イタリアンでも行ってみるか、となるには、
こういう状態が必要になります。

高級イタリアンの効用-3000円>吉野家の効用-400円

そして、吉野家については何回も行っているので、
あらかじめどのぐらいの効用をもたらすかわかっています。
それが400円を上回ることもわかっている。

高級イタリアンについては情報がないので、
本当に3000円を上回るかどうかわからない。
もし期待効用を低めに見積もる人ならば、
3000円を下回るか、上回ってもちょっとしか上回らない。
たとえばイタリアンの効用が3300円であると予想しても、
吉野家の効用が700円ぶんだとしたら、イタリアンは負けます。
書いててなんだかアホらしくなってきましたが、
いちおうこういう計算ができます。

要は、リスク回避的な社会では、
「商品が売れなくなるのではないか?」
「新しいものが売れなくなるのではないか?」
ということです。

そして、ものを売る典型的な手段が値下げです。
それも、「もとの価格を表示した値下げ」です。

本来なら15000円のスーツが、
なんと今回9800円に!

という場合、スーツにはもともと1万5000円の価値が
そなわっていた、という期待を形成します。(理論上は)
実際はもうちょっと低くみつもって、
1万2000円ぐらいだとしても、9800円より上です。
だとすれば、そこそこお得な買い物なのかしら、
というふうに考えられる。
この手段はすっかり飽きられていますが、
それでも無くなりません。一応の有効性があるのでしょう。

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もちろん、経済以外にも、リスク恐怖症は
いろんなところに影響を及ぼします。
時間に対するリスク恐怖症、人間関係に対するリスク恐怖症。
僕自身もリスク恐怖症なので、
今トルコ旅行の手配をいろいろとやっているんですが、
非常に不安です。果たしてうまくいくのか。
航空券が14万円と聞いてショックでしたからね。
はたして俺は14万円(+滞在費8万?)ぶんも
幸せになれるのか、という。

14万円の航空券(トルコ航空だよ)を買う以前に、
エティハド航空の航空券が8万5000いくらというのを見ていたので、
なおのことショックですね。
トルコまで飛ぶことの価値って要は9万ぐらいじゃん!
この5万の差額はなんなのさ!という気持ち。

今のとこは、考え方として「トルコまで飛ぶことの価値」ではなく
「トルコ航空に乗る価値」というふうに考えて、
それなりに納得はしてみていますが。
「ターキッシュ・エアライン」っていう名前は好きなので。

フランク・ナイトや、ウルリッヒ・ベックといった人々が
リスク論の古典として知られていますが、
そういうのも読んでみたほうがいいのかしら。
ピーター・バーンスタインの『リスク 神々への反逆』しか読んだことがないです。
まあまあおもしろい1冊。
山口浩さんが書いた『リスクの正体!』は、
一般向けで読みやすく、松岡正剛さんも褒めているので、
ちょっと読んでみようかなと思います。

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