値札のない世界

自分は交渉ごとがとにかく苦手で、
ゴキブリよりも交渉の方が苦手かもしれない。
会ったことのない外国人とメールでやりとりするより、
TOEICで900点取るほうがはるかに簡単だと思う。

じっさい、語学能力と、交渉能力は、
まったくの別ものだ。

交渉能力とは、間違いなく学校で教えられないもので、
たとえ学校で「交渉術」「交渉学」の授業をやって、
模擬的に「交渉」をやったとしても、それは全然交渉じゃない。
場があらかじめ設定されていて、
2人が同じような年齢、同じような立場ということは、
ふつうの交渉ではほとんどない。

今回トルコ旅行に行く前、実はタイもいいかなと思って
タイ旅行についてもちょっと調べていたら、
なんでもタイでは、スーパーマーケットを除いて、
ほとんどすべての商品が「交渉」で値段が決まるらしい。
タクシーとかも交渉するらしい。メーターではなく。
行こうと思っていた時は浮かれていたので、
そんなことは考えてなかったけど、
実際行くと考えるとかなり怖い。毎日が交渉だ。

日本でものを買うのに交渉する機会はほとんど無くて、
値引きをお願いすると「ケチくさいやつだ」「無礼なやつだ」
「そんなに金が欲しいのか」ということになる。
交渉を持ちだすこと自体が悪である。

もちろん、地域・年齢によって差はある。
(例:大阪のおばちゃん@ヨドバシカメラ)
が、たとえば都会で若者が何か買おうってなったとき、
おそらく日本語をほとんど発さずに買い物する。
値段は決定されていて、
我々に決められるのは「その値段を払うのか払わないのか」だけである。
日本ではそれが普通で、
ヨーロッパやアメリカでも、値段交渉というのはあんまりしないようだ。

それは、「値段交渉」というプロセスが、
「取引コスト」に含まれるからだと思う。
その取引コストをなくすことで、お互いにとってコストカットをしているのが、
そういうところでの商売のやり方なんだと思う。

じゃあ、東南アジアの人々はなぜ、
「値段交渉」というプロセスをもうけているのか?
「これ以上の値段では売れませんよ!」というとこまで下げて、
あとはいっさい値段交渉に応じない方が楽なのではないか?

じっさい楽なのはそちらの方だと思う。
が、「楽」だというだけで、売れるかどうかとは関係がない。
もしかしたら、「値段交渉」があったほうが売れるのかもしれない。

たとえば、5000バーツの商品を、値段交渉した結果2000バーツまで
下げられたとしたら、「3000バーツ得した!」という快感が
得られるわけで、それが購買意欲につながる可能性はある。
また、「せっかくこんだけ時間かけて交渉したんだから」
という理由で買う客もいるかもしれない。
取引コストが逆に買わせるきっかけになっている。

また、お店としても、
「最低限の売ってもいい価格=2000バーツ」で
「最初に提示する価格=5000バーツ」だとすれば、
価格はかならず2000~5000の間におさまるのだから、
単に「2000」としておくよりも儲けが得られる。
仮にそれをちょっと欲張って「3000」としておくと、
「2500バーツなら買ってもいい客」を逃してしまうことになるので、
お店にとって損失が生じる。

こう考えていくと、「値段交渉」がある世界も、
あながち不合理ではない、というのはわかる。

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「値段交渉」がない世界を、かりに「値札のある世界」、
「値段交渉」がある世界を「値札のない世界」としよう。

値札のある世界で暮らしてきた人が、
値札のない世界に行くと、非常に困ることになる。

まず、そもそもここは値段交渉していいシーンなのかどうか。
タイは値札のない世界だけれど、あらゆるものに値札がないわけではなく、
一部の場面では値段が没交渉的に決まっているとこもあるので、
そこを読み違えて「ペーン クーン パイ(高すぎる)」なんて言うと
えらい恥をかくことになる。

そして、今自分がどちらのシーンにいるのか、というのは、
タイで暮らしてきた人でないとわからない。
それを見極めるのもけっこう大変だ。

つぎに、仮に値段交渉していいシーンだったとしても、
どこまでの値段交渉なら許されるのか、という問題がある。
つまり、むこうが「5000バーツだよ」と言ってきているのに、
いきなり「高い!100バーツにまけてくれ!」と言っちゃって
いいのかどうかが問題である。
100バーツという値段が常識外れすぎるなら、
店の人にまともに交渉する気がないと見なされるし、
あるいは値下げしすぎることの問題もある。

たとえばタイのタクシーは値段交渉できるのだが、
ねばりにねばってかなり安く値段を設定することができたとしよう。
それでもやはり「交渉に失敗」する可能性はあって、
たとえば運転手があまりの安さに、
乱暴な運転をする可能性なんかがある。
あるいはトロトロと適当な運転をする可能性もある。

「値引き」するかわりに、「質の悪い商品を渡される」
「サービスが悪くなる」というのはある。

このような状態では、結局値引きに成功したとはいえない。
相手が許すラインを踏み越えてはいけない。

しかし、「相手が許すライン」というのを、
値札のある世界からやってきた人間がそう簡単に
見極められるわけがない。
これが難しい。

―――――――――――――――――――――――――――

交渉というのは、
そもそもお互いの希望するものが異なっているので、
必然的に対立するゲームです。
どちらかが負け、どちらかが勝たざるを得ない。

という見方もある。

いっぽうで、

交渉というのは、
お互いに意見が違うことをわかりつつも、
共通のゴールに向かって意見のすり寄せを
行っていくゲームです。

という見方もある。

たとえば、値段交渉においては、
「安く買いたい」「高く売りたい」ということで、
2人の希望するものが完全に相反している。
けど、同時に、
「この商品を買いたい」「この商品を売りたい」
という点においては、共通している。

そういう考え方に立てば、
あながち「交渉」というものを
「全部怖い」と見なすこともないかなとは思うのです。

このへんの考え方については、
実践!交渉学 いかに合意形成を図るか』という本が
よくまとまっていて読みやすいので読んでほしい。

この本の中で、
2つの印象的なキーワードが出てくる。
「BATNA」と「ZOPA」。

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「BATNA」とは、
「Best Alternative to a Negotiated Agreement」。
「交渉決裂時にとりうる最も良い代替策」。

たとえば、トルコ行きの飛行機がありえないほど満席で、
往復で30万円かかります!という状態だったとする。
30万円はちょっと無理だわ、でも旅行には行きたいなー、
という場合、
「タイに行く」「アテネに行ってそこから夜行バスでトルコ入りする」
「トルコ人を日本に呼ぶ」「日本中を旅行する」
といったことが考えられます。
こういうことを考えずに、
とにかく幾らであってもトルコに行く、ということをすると、
非常に金がかかります。そういう話。

タイでの値段交渉であれば、
「何バーツ以下で買えないなら別のお店に行く」といったものが
BATNAとして考えられます。

「ZOPA」とは、
「Zone of Possible Agreement」。
「合意可能な領域」。

たとえば、ある服について、
買い手は2000バーツより安ければ買ってもよく、
売り手は1000バーツより高いなら売ってもいいとすると、
1000から2000のあいだがZOPAになる。
この領域で売り買いできれば、お互いWin-Winの関係になる。

問題は、相手の「ギリギリOK」がわからないことである。
もし「ギリギリOK」をバラしてしまったら、
「じゃあ1000バーツでいいじゃん、1000バーツね」
ということになってしまうので、交渉が成り立たない。
なので、ふつう交渉では「ギリギリOK」ラインは隠される。
だから面倒といえば面倒である。

なので、こういうのはどうでしょう。

中立的な第三者が登場して、
売り手・買い手が、「ギリギリOK」ラインを紙に書いて見せる。
で、お互い同じだけ得するように、さっきの例なら、
1000と2000の中間、1500バーツで決着をつける。これなら理論上は文句ない。

問題は、売り手と買い手がよっぽど正直じゃないと
この手が使えないということで、
売り手が「5000バーツ以上」
買い手が「100バーツ以下」とか無茶苦茶な価格設定をするかもしれない。
そこまでいかなくても、本来の「ギリギリOK」ラインよりは、
ちょっと内側にせばまるはずだ。
同じだけせばまればいいけれど、そうはならないと思う。

なので、実際のところ「ZOPA」というのは、
「存在するけれど決して目に見えないもの」である。
交渉中にZOPAがわかることは、決してない。

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この、BATNAとZOPAという考え方は、
理論モデルとしても非常にすっきりしているし、
実際に使うことができる。
値札のある世界で暮らしてきた人でも使えるし、
値札のない世界で暮らしてきた人は、
無意識にBATNAとZOPAを身につけている。

交渉にあたってまずすべきなのは、
この「BATNA」を決めよう、ということらしい。
どこまでならギリギリOKなのか。
ギリギリOKを踏み越えられたら、
他にどういう代替策があるのか。

これを準備して交渉に臨めば、
最低限の利益は確保できる。

ただ、そうはわかっていても、
なお交渉には何かしらの難しさというか、抵抗感があって、
それはたぶん、コンテクストとか「空気」の問題に
かかわってくるものだと思います。
とりわけ日本人ではその問題が強いのかもしれません。

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