プラトンブーム来襲

最近読んでいる本のラインナップがおかしなことになっている。

10/12 『プロタゴラス』著:プラトン
10/14 『メノン』著:プラトン
10/15 『その正義があぶない。』著:小田嶋隆
10/16 『ゴルギアス』著:プラトン

プラトンブームが来ているのだ。

私はもともと原書が嫌いな方で、
ドイツ語でマルクスを読む奴は狂ってる、ぐらいの認識だった。
ドイツ語で読むということは、日本語に訳されたものを読むよりも
誤読してしまう可能性が高くなってしまうし、
(間違いなく訳者より独語レベルが低いのだから)
ましてわかりにくい原書を読むとなると、
さらにその誤読の可能性は大きくなる。

そんな手間をとるぐらいなら、
たとえば『世界一かんたんなマルクス経済学』を
読んだ方がどれほどためになるか。
そういう考えのもとで読書をやってきていた。

ところが、ある日、とある友人に
「原書を読まないのはもったいないよ」と言われ、
そうかー、いやー、そうですかねぇー、ぐらいの気持ちで、
その時は聞いていた。
解説書のほうが分かりやすいやん、と思っていた。

その数日後、地元の図書館に行って、
いつものようにポップス本を借りようとする。
内田樹とか、小田嶋隆とか。エッセイ本は読みやすい。

けど、そこでふと何を間違ったのか、
文庫本のコーナーに行ってみようと思い立った。

文庫本のコーナーには、哲学の古典なんかも置いてあり、
ボリュームが小さくなっている(ように見える)ぶん、
「俺でも読めるんじゃないか」という気がしてくる。
本のサイズってこういうとき重要かもしれない。
文庫本だったらなんだか読めそうな気がするのだ。

そこにハイデガーの『存在と時間』(アホみたいに難しい本)が
あったので、「よーし、俺もこういうの読んじゃおうかしら」と思って、
手に取る。
3ページぐらい読む。

これはあかん。

なんていうんですかね、僕がブラジル戦に出るぐらい無理ですね。

たぶんありがたいことが書いてあるとは思うんですが、
とりあえず今の俺には読めまい。

そう思って、でも何かしら原書を読んでみようかと思ったので、
そのへんの背表紙を眺めてみる。

するとそこに「プラトン」「アリストテレス」の文字が。
「そういえば古代ギリシア系の哲学は読んだことないなあ」
と思って手に取る。
3ページぐらい読む。

読める、読めるぞ!

古代ギリシア系、とりわけプラトンの著作には、
専門用語が一切出てこない。
「弁証法」も「脱構築」も「生政治」も「エクリチュール」も無い!
やったね!これぞ哲学!
「専門用語が出てこない哲学書はちょっと」という立場もわかるが、
でもプラトンですよプラトン!プラトン大先生が書いたんだから、
そらあ含蓄があるでしょう。
ハイデガーだってアリストテレス研究からスタートしたんだから、
古代ギリシアの本を読むことはけっして無駄にならんでしょう。

そう思って借りて、電車の中でプラトンの『プロタゴラス』を読む。

するとまあ、これが意外にもおもしろい。
「ふつうに」おもしろいのだ。
図書館で借りた他の本そっちのけで、
iPhoneを触ることもせずに、読みふけった。

しかも、90分ぐらいで読めた。
ありえないほど読みやすい。
90分で読める哲学の古典、というのはなかなかない。

それ以来、「古代ギリシア哲学っておもしろいじゃん」ということで
古代ギリシア系の本を立て続けに借りる。

アリストテレスや、かの『ピュロン主義哲学の概要』で有名な
セクストス・エンペイリコスなども借りてみましたが、
案外プラトンほどには読みやすくなかったので、
今はとりあえずプラトンを中心に読んでいます。

とりわけ、『プロタゴラス』と『ゴルギアス』はおもしろい。
『法律』はちょっとむずかしかったので途中で中断。大作だし。

『パルメニデス』とか『メネクセノス』はもうタイトルの時点でカッコいい。
『ゴルギアス』もまあカッコいい。ちょっとポケモンっぽい。
ポケモンだとしたら間違いなくドラゴン系のポケモンだろう。たぶん強いと思う。

話が関係ない方向に行ったので少しもとに戻すと、
プラトンが読みやすい理由のひとつは、単純にそれが、
小説(戯曲)として書かれている、というのがある。
実際にこんなセリフだらけの劇が上演されたのかどうかはわからないが、
ともかく文語ではなく口語で書かれている。
いや、口語とはいってもだいぶ文語っぽい口語なのだが、
(例:「ああ、それにしてもソクラテス、君という人は全くの分からずやだね」)
熟語だらけの文章よりはるかにわかりやすい。

そして、そういう対話形式をとっていることの2つめの利点として、
順を追って理解するのが非常にやりやすい、というのがある。

たいていプラトンの著作には、
かしこい奴(プラトンかソクラテス)と、
素朴な考えの奴、ちょっとひねくれた奴、ソフィスト、とかが出てきて、
読者はそのいずれかに感情移入できるようになっている。
読者がソクラテスに対して「でもここは違うんじゃないの」と思うと、
ちょうどそこで反論をしてくれたりする。
そうするとソクラテスがそこでまたうまい返しをするので、
読者は納得できる。そういうシステムになっています。

そして、プラトンが読みやすい3つめの理由は、
「テーマが意外に現代的」ということ。
およそ哲学の古典と呼ばれるものは、読み解いていくとたぶん
現代にも通用する普遍的な何かを持っているのでしょうが。

「善とは何か」「人生いかに生きるべきか」
という、ど直球すぎて恥ずかしい、けどみんな実はそこそこ知りたいテーマも、
古代ギリシアですからなんのてらいもなく論じていますし、
プラトンの著作では「弁論家」(≒ソフィスト)が批判されているんですが、
これってよく考えると「女子力」とか「就職力」のことに近い。

「弁論術」ってのは、つまり弁論の技術のことですが、
それはいったい何の弁論についての技術なのか。
医者ならば医術や人体の仕組みについて滔々と語れるし、
料理人ならば素材やその組み合わせについては、
何も知らぬ弁論家よりも上手に語ることができる。
弁論家とは何についてよく語る者なのか。

と、ソクラテスに問い詰められると、
「たしかに、なんの技術なんでしょうねえ?」
という気がしてくる。
「ひょっとして虚業なのではないか」と思えてくる。
あたかも本人たちは弁論の技術を身につけたように思っているが、
しかしその実は何も知らないのではないか。
弁論の技術を身につける暇があるのなら、
医術や体育術、建築術を身につけたほうがよいのではないか。

これと同じように、女子力というのは、
いったいなんなのか。それは誰に対して効力を発揮するものなのか。
あらゆる男子を対象とするのか、一部の男子を対象とするのか。
一部の男子であれば、それはどのような男子のことなのか。

就職力というのは、どの企業に就職する力なのか。
それさえあれば弁護士にもなれるというのか。
ある一部の業種であるとすればどのような業種なのか。
また、善い人を善い人と見抜けないのであれば、
そのような企業は賢い企業であろうか。

ソクラテス&プラトンの言いたいことって、
要は、「よく考えろ」ということだったと思う。
「ソクラテスはこういうことを言ってる人です」ってのは少し違う。
プラトンも、「イデア論」のイメージがばりばり強いですが、
そんなにイデア論ばっかり言ってるわけじゃない。

むしろ、本の中で、けっこう現代哲学に近いことも書いてあって、
イデア論的なものの見方と衝突するんじゃないかという面もあります。
『テアイテトス』の内容はほぼそのままハイデガーにつながってる。

なので、「イデア論はアホの発想だ」と思って読まないのももったいないし、
「ソクラテス=無知の知だろ」で読まないのもやはりもったいない。

われわれは実際のところ、
過去の歴史的遺産をあまり受け継いでいないので(とくに思想の面で)、
その意味では原始人に近い。
なので古代ギリシアみたいな原始哲学が、
逆に今の問題感覚にしっくりくるのではないか、という風に思えます。

「哲学なんてしょうもねえ」という考え方も、
きっちり『ゴルギアス』の中でカリクレスが主張しているし。
そこがすごいと思った。哲学書なのに。
しかもカリクレスを論破しきれてない感じがすごい。

あと「洞窟の比喩」はだいぶマスメディア論っぽい。
なぜあの時代にこんなことを思いつけたのか謎である。

『プロタゴラス』の「勇気とはつまり知識のことである」という結論とかは、
正しいかどうかは置いといて、「おぉ~」と思いました。
そういう見方もできるわ、は~、と思った。

意外におもしろいよ、古代ギリシア。

広告

0 Responses to “プラトンブーム来襲”



  1. コメントする

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中





%d人のブロガーが「いいね」をつけました。