ソクラテスの大問題

今日も今日とてプラトンを読んでみようと思って、
かの有名な『ソクラテスの弁明』を読んでみる。
あとそれとセットになっている『クリトン』も読む。

『ソクラテスの弁明』は、法廷での彼の演説が載っていて、
『クリトン』は、その後もうすぐ死刑になろうとするソクラテスのとこに
やってきた友人クリトンとソクラテスの対話である。

この『クリトン』を読んでいてはたと重大な問題に気がついた。
かなり大問題である。これをどう考えるかで、
そもそも哲学に意味があるのかどうかが違ってくる。

というのは、『クリトン』の舞台設定をより詳しくいうと、
ソクラテスには金持ちの友人クリトンがいて、
看守とかに心づけを渡して面会しにきた。
そして、彼はもうすでにソクラテスが逃げる手はずを整えていて、
あとはソクラテスがうんと言えば、
なんの心配もなく逃げられる状況になっている。
逃げたあとのこともクリトンはきちんと考えていて、
迎えてくれる亡命先、住居、それから去った後のアテネへの対応、
なども、彼の財力があればできるという。

でもその状況で、ソクラテスは、
「いや、わしゃ動かん」と言って、
これまた長演説をぶって、クリトンを説得してしまうわけですね。
結果死刑になる。ご承知のとおり。

ここが大問題である。
つまり、どういうことかというと、

「ソクラテスの哲学を延長していくと、
 最終的には不当な死刑でも受け入れるべしという結論が出る」。

それを現代にわかりやすく変形すると、たとえば
「ブラック会社であっても働き続けるべし」
「暴力をふるう彼氏であってもつきあい続けるべし」
「言論統制には従うべし」
ということになる。

むろん、ソクラテスが問題にしているのは「国家」と「法」と「個人」なので、
上のようなミクロな問題ではまた違う結論が出るのかもしれないが、
でも原理的には同じものをかかえている。

端的にいうと、
「ソクラテス哲学に従うとヤバい」
のではないか?

これはほかの哲学でもあって、
たとえばニーチェなんかは最後発狂しましたが、
これも読み方を変えれば

「ニーチェ哲学を延長していくと、
 最終的には発狂せざるをえなくなる」

ということになるのではないか?

だとすれば、彼らの哲学を学ぶことには、
いったいなんの意味があるのか?

という大問題です。

で、そこですぐに
「ほれみたことか、だから哲学なんて無意味だ」
とするのも、危険な答えであって。

だとすれば、たとえば社会的に成功した哲学者の考えこそが、
学ぶ価値のあるものであり、
ソクラテスやニーチェのような破滅者の哲学なんかは
無意味にすぎない、ということになる。

こういう例は山ほどあげられる。
ルソーは教育論を書いたけど自分の子どもを育てなかったし、
マルクスは経済学を書いたけど金持ちにならなかった。
カール・ポパーは「反証主義」を発明したけれど、
自分の批判に対してはあまり耳を傾けなかった。

なるほど、これらは正直全部無意味なのかもしれない。
だとすれば、だれの哲学を学ぶべきなんだろう?

もっとも自分の考えを実行にうつしていて、
かつその実行が社会的成果を出している人間。

たとえば、

スティーブ・ジョブズ。

あるいは、

ウォーレン・バフェット。
ジョージ・ソロス。
バラク・オバマ。
成功者A。
成功者B。
成功者C。

「結果を出せない哲学には意味がない」
という考え方は、必然的に、
「学ぶ意味がある哲学とは、成功者の哲学だ」
という結論に至ります。

その結果が今の書店の平積みコーナーです。

本当にそれでいいんだろうか。

本当に。

ソクラテスの一言よりも、
孫正義の一言のほうが、
93億円9600万倍の重みがあるのだろうか?
(孫正義の年収は93億円9600万円)
(そしてソクラテスはほとんど稼ぎがなかったと思われる)

話が孫正義とかウォーレン・バフェットにとどまるうちはまだよくて、
この問題を延長していくとさらに難しいことになります。

すなわち、ある一定の期間とはいえ、
1つの国を自分の思うままにでき、かつ、
自分の殺したい人はだれでも殺すことができた、
ヒトラーや、スターリンは、「成功者」だったんじゃないか?

だとすれば、彼らの哲学のほうが、
ニーチェやマルクスよりも、よっぽどありがたいのか?

ここまでくると、
「成功者の哲学」=「学ぶ価値のある哲学」なのかどうか、
さすがにちょっとあやしくなる。

もちろん、「私はヒトラーやスターリンみたいになりたくないから、
彼らの哲学を学ぶ意味はない。
しかし孫正義とかバラク・オバマには憧れるので、
彼らの哲学は学びたいと思う」
という反論のしかたはあると思う。

そう言われると、ならば『あんぽん』や『マイ・ドリーム』を
読めばいいじゃない、というしかない。
それはその人の考え方で、論破できない。
ソクラテスを読む人だって、少なからず、
ソクラテスに憧れるから読んでいるわけだし。

問題は、そのような考え方を延長すると、
ほとんどの哲学者は不幸な結末を迎えているので、
やはり憧れの対象になりにくいという点。
実際私もソクラテスを読んでみて、
ソクラテスは面白いけど憧れとは違うなあという感想を持った。
「ソクラテスに学ぶ成功術」なんて本が出たとしたら、
そいつは間違いなくソクラテスを一行も理解していないと思う。

なりたくない姿の人が書いた本を読むことが無意味なら、
ほとんどの哲学者が書いた本は無意味になってしまう。

たしかに、アリストテレスとかヒュームは、
割と社会的に成功したけれど、
「なので、彼らの哲学『には』意味がある」
というのもおかしいんじゃないか。
それとは関係なく、彼らの哲学は面白いのではないか。

もちろん、長々とこういう例をあげつらうまでもなく、
言論の世界と社会的成功の世界は、
まったく別次元だということはわかっている。
世の中にはたまたま成功した阿呆もいれば、
落ちぶれた賢人もたくさんいる。そういうものだと思う。

あと、たとえばブロガーの人などは、
その人が社会的に成功しているからとかではなく、
単にその言論がおもしろいから読まれているんじゃないか、
という反例もよくわかる。
実際自分にとっては、ちきりんの本だろうがプラトンの本だろうが、
どちらも「ふつうにおもしろいので」という理由で読んでいる。

たぶん、読むためにはその理由だけで十分で、
ほかになにか理由はいらないと思う。

ただ、たとえば何か具体的な問題を解決したくてプラトンを読むとか、
社会的成功のためにアリストテレスを読むとか、
そういうのは何か違うと思う。
役に立たない可能性のほうが、大きいかもしれない。
役に立つ可能性ももちろんあるし、
もしそれがハマった場合の効果は絶大だと思うが。

まあでも、内的な問題の解決にはよいかもしれない。

いや、とはいえ内的に破綻した哲学者も多いので、
やっぱり役に立たないのかもしれない。

要は、
「哲学書は小説と同じように読んだほうがいい」
ということです。
収益性の度外視。

そして、「成功した人の哲学はありがたい」という発想からは、
「ソクラテスの哲学には何の意味もない」という帰結が出てくること。
この2点が今日のところの結論です。

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