余命100日なんて言わせるな

誰に見せるわけでもなくブログを書こう。
(と思って書いたのですが、割と熱い文章になったので公開します)

最近、学生としての余命がおよそ100日っていうことに気づいて、
かなり愕然としているんですが、
この100日をいったいどう過ごそうか。

とりあえず無駄なことはまあしたくない。
といってもなんていうの、無駄っていうのは無駄じゃなくて、
つまりなんにもしないという意味の無駄はしたくない、ということ。

それからまあ、いつでもできるじゃん、ということも、
あんまりしようとは思わない。時間は貴重だからね。

しかしここで気づいたのだが、
なんで私は「余命100日」というふうに考えているんだろう?

つまりもっと簡単にいうと、
「大人になっても死なない方法があるんじゃねえの?」
ということです。

『ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方』という本がありますが(読んでないけど)
まさしく人生を盗まれないためにはどうしたらよいのだろうか?

割と身のまわりにはフリーターとかフリーランスみたいな人が多いので、
その人たちは確かに人生を盗まれていないような気がせんでもないのですが、
でもその働き方が40代以降続けられるかというとちょっと微妙なので、
マジで考えなければならないのは、
継続することができて、かつ人生が盗まれない働き方なのです。

そう、昔からずっと疑問なのは、
「なんでこんだけ技術が発達したというのに、
 むしろ昔より労働時間が増えているんだ?」という話です。

「本当に労働時間が増えているのか?」という反論がありますが、
たしかに、産業革命初期から比べれば、
人類の労働時間てのはちょっとずつ減っていたはずです。たしか。
なんかそういう統計があったはず。
今手元にないのが残念ですが。

でも、中世の人々と比べると、今の我々のほうがいそがしい。
これがなんでなんだ、ってのはずっと疑問で。意味がわからない。

「はたらきたくない」にも段階があって、
(そういえば『はたらきたい。』という本がありますが)
「まったく働きたくない」とか
「残業はまったくしたくない」とか
「多少の残業はやむをえないが、しかし多すぎるのはイヤだ」とかあって、
まあそれぞれの間がグラデーションになっているわけです。

それぞれを「NO労働」「NO残業」「NO過労」と省略すると、
僕は心情的には「NO残業」寄りなんですが、
自分の実際の行動をみてると「NO労働」のような気もする。
なにせ継続的なアルバイトをほとんどしたことがないので、
たぶん労働忌避的な性質はかなりあるのではないかと思います。
時間が拘束されるってのがたぶん何よりイヤなので。

そもそも僕が持っているもう1個バカな疑問っていうのがあって、
「みんなアルバイトってどう耐えているのか?」ということです。

つまり、アルバイトにおいては、拘束時間に対して給与が発生するのであって、
その時間のあいだにどれだけの価値を生み出したか、ということに対しては、
(ほぼまったく)問われないわけです。

そこに「少ない労力で多くのものを手に入れるのが賢い消費者である」
というマインドが入り込んでくると、結果はもうあきらかで、
「なるべく手を抜いて叱られない程度にダラダラすべし」
という結論が出てくるわけですねん。

つまり、アルバイトというものは構造的に、
労働者の労働意欲をスポイルするようにできている。
(内田樹っぽい言葉づかい!)

ということを考えると、
僕はもうとてもアルバイトなんてものができなくて、
少なくとも毎週何時間かをそういう不毛な作業に拘束されるというのは、
これはもう刑罰以外のなにものでもない、
という、まあバカみたいな考えなんですが、でもそう思ってしまう。
ので、4年間まあ継続的なアルバイトをせずにやってきたわけですが。

こういうマインドの持ち主が会社に入るとどうなるのか。
たぶん相当やばいのではないか。

少なくともアルバイトに関しては、
「金を得る以外の何の目的もない」という風に考えているので、
つまり、単純に「時間&労力」と「金」の交換としてとらえているので、
なるべく「質の悪い労力」を提供して金を稼ごうという、
まあこれはバカというか単に卑しい考えですけど、そういうふうになっています。

会社で働くっていうのを、
そういう「時間&労力」と「金」の交換ではないものとして
とらえられるのかどうか。
でも逆にそういう風にとらえてしまったら、それはそれで、
「時間」や「労力」がどんどん盗まれていく気もしている。

じゃあ「労力」と「時間」が「金」に比例するような、
そういう成果主義だったらいいのか、っていうと、
そういうことでもないというか。
成果主義というのは、評価基準がありますから、
その評価基準の中でいかに評価されるかに自分の労力が向いてしまう、
ような気がせんでもない。
あとまあ、そういう成果主義をかかげた場合、
おそらく会社の構成員のほとんどのメンバーは
「俺(私)の労力が正しく評価されていない!」という風に思うであろうので、
これも結果として労働意欲をスポイルするのではないか。

あ、スポイルってさっきからなんとなく使っていますが、
「腐らせる」とか「ダメにする」とかそういう意味です。
内田樹さんが割とちょいちょい使います。

まあいいや、でも自分個人としては、
まったく働きたくないってわけじゃない。
人間、働かずに生きていくということはまあ難しいですし、
働くことそのもに関してはやぶさかではない。
もし働くことというのが、今度のライブのために
バンドメンバーが一丸となって練習するようなことだったとしたら、
それはもう全然苦にならない。むしろやりたい。練習は好きです。

ただ、「不当に働かされる」のがとにかくイヤである。
そして、現代日本において「はたらく」ということは、
イコール「不当に働かされる」ということになっているので、
(少なくとも大学生のイメージ上は)
たぶん「はたらきたくない」という心境になってしまうのではないかと、
思います。

なので、もし大学生の「はたらきたくない」マインドを変えうるとしたら、
3つの方法があるのではないかと思います。

(とりあえず「3」といえばなんか見つかるだろうのパターン)

1.「はたらく」イコール「強制労働」、ではない。正社員であっても。

これは僕の目線からして、本当にそんな会社があるのだろうか、とも
思いますが、まあでもはたらくということがそんなに耐え難いのなら、
みんな会社やめてるはずですしね。(とはいえ、まわりにやめてる人が割といる)

最後に「正社員であっても。」と書いたんですが、
むしろアルバイトとかの方がある意味では強制労働感があるかもしれない。
いや、わからんけどね。

「毎月定額料払えば使い放題なものはなーんだ?」
「正社員」
というブラックジョークがありますが、
まあどうなんでしょう。そういう会社ばかりであってほしくはない。

2.「はたらく」イコール「時間&労力と金の交換」、ではない。

たとえばまあ、これは僕も容易にイメージできるのですが、
はたらくことで何か勉強になることもあるだろうし、
はたらく中で何かしら仲間が見つかることもあるだろうと思う。
また、会社に入っていなければけっしてできないプロジェクトというのも
やっぱりあるとは思っていて、(とりわけ商社なんてのはいい例だ)
そういうものは、「金」以外の報酬だし、
それはたぶん「はたらく」以外で得るのは難しいのかなあと思います。
ところで俺は誰目線で語っているのだ?これは?

3.「はたらく」イコール「終身刑」、ではない。

これはもしかしたらすげえ夢物語なのかもしれませんが、
大学出た後は一生365日働き続けなきゃいけない、ってわけではない。
「やめたほうがいい」と思えればやめれるし、
「別の会社に行こう」と思えれば転職もできる(かもしれない)。
僕の身のまわりにはわりと転職経験者が多いので、
とりわけそういう、なんというんだろう、王道からのアウトサイダーというか、
「いったん仕事やめた」という人は多いです。
そういう人を見ているので、まあそんなに一生棒に振るというか、
会社で働くということは終身刑ではないのかな、とも思います。
そもそも終身雇用の時代でもないですしね。

とはいえ、20代という貴重な時代を無駄なことで棒に振るのは
やっぱりイヤなので、なるべくは楽しんで生きたいですけれどね。

あとまあ、そういった変更にはすげえリスクが伴う、というのもあるので、
なかなかリスクテイカー以外にはむずかしい選択かもしれません。

ーーーーーーーー

こうやって書いてはみたものの、
やっぱりちょっとポジティブな感じは持ちにくいなあ。

とにかく俺は何が嫌いかって、
「社会人になると海外旅行とか行けないから、
 今のうちに行っといたほうがいいよ~」っていう言葉です。

いや、その言葉をいう人自体はなんにもおかしくないし、
むしろ親切心から言ってくれてると思うんですが、
それをその人が言わされているということに腹が立つ。
そうじゃないだろう、
おかしいのは「学生時代に海外旅行に行かなかった人」じゃなくて
「社会人になると海外旅行に行けなくなる世の中」だろう。
それがおかしい。どう考えても。
「海外旅行に行きたい」という需要があるのに、
なぜそれを満たすサービスをつくらない。
なぜそういう働き方をつくらない。
そんなんだから消費が落ち込むんだよ。
馬鹿じゃねえの。

まあ、実際には大人になってからも海外旅行に行ってる人はいますが。
(とくに会社をやめることもなしに)

あとまあ妙にふだん使わない言葉づかいをしたので
若干照れくさくなっていますが。

俺の要求していることはそんなに難しいことじゃなくて、
「残業があまりなくて、(ゼロにしろとは言わないし、繁忙期はしょうがないと思う)
 きちんと完全週休2日制になっていて(できれば土日以外にもスライドできるとよい)
 行こうと思えば2週間ぐらい海外(ヨーロッパ含め)に行ける程度の休みがとれる」こと。
2週間ていうのは控えめで、本音をいえば1ヶ月ぐらい行きたいんですが、
まあでもふつうに考えたら2週間ぐらいで充分かなという。

むろん、労働法上はそうなっているんですよ。
労働法上は「週40時間労働が原則です」ということになっているし、
有給休暇も最低10日ある。
しかし現実にはそうなっていない。
毎日だいたい残業は2時間ぐらいあるし、
10日まとめて休むなんて使い方はほぼゼロです。
そうなっていないからこういう法律が制定されたんだとも思いますが。

マルクスは「労働日の短縮が根本条件である」ということを言いましたが、
私はもう諸手をあげてこれに賛成したい。
ただそれを実現する手段がなかなかないのだ。
いや、世界を探せばあるのかもしれないけど。でもそれは一部の会社です。
これを全世界に広げることはできないものか。

いずれにせよ僕は、「余命100日」なんて言い方をしたくないし、
社会人になったからといって死ぬようなことがあってはならない、と思います。
ふつうにそこそこの音楽活動ができて、会いたい人に会えて、
たまには長めの旅行ができて、という生活ができれば、それでいい。
そういう社会がなぜ作れないのか。あるいは作りうるとしたらどのように作るのか。
これからも考えていきたいと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
追記.
「学生のうちに海外旅行行っといたほうがいいよ」という言葉は、
なんというか、「自由や人権を主張するとゲシュタポにつかまるよ」というのと
あんまり変わらない気がする。
たしかに今の社会情勢では、学生のうちに海外旅行に行った方がいいのだが、
しかしそれを正当化すべきではない。

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2 Responses to “余命100日なんて言わせるな”


  1. 1 しんた 2012年12月3日14:01

    そういう人は起業したほうがいいよ。もしくはフリーランス。
    俺の当時の友人にもそういう人たくさんいたし。

    でも、断言しよう。

    (どんなジャンルでも)第一線で働きたい(社会的居場所を確保したい)のであれば、最初の数年間は力のある組織に所属して、理不尽なことに耐えながら馬車馬のように働くことだね。それから独立したほうがいい。
    俺の友人統計では、最初からフリーの人は歳をとるごとに貧乏になっていく。最初に組織に所属してそれからフリーになった人は社会的出世をしているか、現状維持。

    どっちが幸せかは知らない。個人的な感覚だからね (; ^ω^)。

    • 2 opinoki 2012年12月4日10:11

      そうですかー。
      僕もまあ「まずは会社に入れ」ということをめっちゃ聞かされてきたので、
      とりあえず何年かは素直に会社にいようと思います。
      いるうちに何かしら独立のヒントが見つかるかもしれませんしね。


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