現在主義者との対話

ソクラテス「するとペシミウス、きみは、
  現在の情報のほうが、過去の情報より価値があるというのかね。」
ぺシミウス「そのとおりですよソクラテス。
  時代は刻一刻と変わっているのですから、
  さっき正しかったことが今も正しいとは限らないでしょう。」
ソ「なるほど、それは一理あるだろうね。
  しかしきみ、それはあまりにも歴史を軽視しすぎというものだよ。
  よく『時代が変わった、昔の考えは通用しない』なんていう人がいるが、
  そういう人のどれだけが歴史を学んでいるのだろうか。」
ぺ「たしかに、そういう人の多くは歴史を学んでいないかもしれません、
  しかし、確かに時代は刻一刻と変わりつつあるのですから、
  やはり過去の情報をもとに判断することは危険なのではないですか」
ソ「ではきみ、たずねるのだが、
  それではわれわれは何をもとに判断すればよいのだろうか。」
ペ「それはまさしく、現在の情報ですよ、ソクラテス。
  twitterやFacebookなど、リアルタイムの情報こそが、
  判断をくだす指針としてもっとも重んじるべきものなのですよ。」
ソ「なるほど。ゆえにきみはアイフォンばかりを見ているのだね。」
ペ「そのとおりですよ。
  しかしもちろん、わたしも、まったく歴史を重視しないというわけではありません。
  過去の事実は確かに役に立たないでしょうが、
  過去の考え方は役に立てることができます。
  それらは時代を超えるものなのですから、現在でも使えるはずなのです。」
ソ「それは確かに、そうだろうね。
  しかしきみ、本当に過去の事実は役に立たないのだろうか。」
ぺ「それはもちろんそうですよ。
  時代とともに人も変わり、世も変わっているのですから。」
ソ「ではきみ、たずねるのだが、
  水というのは何度で沸騰するのだろうか。」
ペ「それは、われわれがどういったところにいるかによりますが、
  おおむね100度といってよろしいでしょう。」
ソ「それはなぜなのかね。なぜきみはそう言えるのかね。」
ペ「なぜって、さまざまな科学者たちが実験して、
  そうなっているからですよ。」
ソ「しかしペシミウス、先ほどきみは、
  過去の事実は役に立たない、と言ったのではなかったのかね。」
ペ「それは、たしかにそのとおりです。
  しかしソクラテス、それとこれとは話が別ですよ。」
ソ「なぜ別だと言えるのかね。
  世界が刻一刻と変化しているというのなら、
  水が沸騰する温度も100度とはいえないのではないかね。」
ペ「ああ、ソクラテス、あなたはなんという屁理屈をこねるのでしょう。
  もう少しそのような癖をおさえた方がよき生活ができると思われますよ。」
ソ「すまないが、これはぼくの治らない病気なのでね、
  少しでも疑問に思ったことはとことん考えてみないと気がすまないのだ。」
ペ「わかりましたよ。
  たしかに僕の言っていたことには間違いがありました。
  そのような科学法則については、時代が変わっても変わらぬものなのです。」
ソ「それはなぜ、そのように言えるのかね。」
ペ「なぜって、それらが科学法則だからですよ。」
ソ「科学法則とそうでないものはどこがどう違うのかね。」
ペ「それらがそう呼ばれているか否かです。」
ソ「しかしたとえばきみ、マルクスなどは自分の理論を科学法則のように言っているのだが、
  それらは科学法則なのだろうか、そうではないのだろうか。」
ぺ「それはやはり、科学法則ではないでしょう。
  人間にかかわることがらなのですから。」
ソ「するときみは、人間にかかわることは、法則になりえないというのかね。」
ぺ「そのようです。人間と社会こそはもっともうつろいの激しいものですから。」
ソ「なるほど確かに、僕も先ほどまではカレーが食べたいと思っていたのに、
  昼時が近づくと天丼が食べたいと思うようになった。人間というのはうつろうものだ。
  ここらで一度昼にして、また続きをあとで話そう。」

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ソ「それではペシミウス、きみのいうように、
  過去の情報があまり役に立たなかったとしよう。
  だとすれば逆に考えなければならないのは、
  現在の情報をそこまで信じるべきなのか、ということだよ。」
ペ「といいますと、どういうことでしょうか。」
ソ「つまり、きみは現在の情報をもとに判断をくだすのが
  もっともよい、と言っているのではないかね。」
ペ「そのとおりです。」
ソ「それらはなぜよいのかね。」
ペ「なぜって、それはまさに現在だからですよ。
  人はうつろいやすいものですが、現在のことは現在に聞くのが一番よいでしょう。」
ソ「しかしきみ、その『現在』というものもまた、
  すぐに『過去』になってしまうのではないかね。
  それこそ砂時計のつぶがひとつぶ落ちただけでも、現在は過去になるのだよ。」
ぺ「ソクラテス、それはたしかにそうですが、
  しかしこちらのほうがより近い過去なのです。
  より近い過去であれば、まだ現在のことを判断するのに使えるでしょう。」
ソ「なるほど、要するにきみは、
  現在から近ければ近いほど、その情報には価値がある、と言っているのだね。」
ぺ「そのとおりです。」
ソ「すると、たとえば何十年とある技術を極めてきた人がいたとしても、
  その人の技術(テクネー)というものは、次の瞬間には役立たなくなるかもしれないのだね。」
ペ「まことにそのとおりです。」
ソ「では聞くが、きみは『熟練』という言葉を知っているかね。」
ペ「もちろん。」
ソ「その意味も知っているかね。」
ぺ「もちろんです。」
ソ「もし君のいうことが本当ならば、熟練というものは存在しないだろうね。
  なにしろ過去の経験はまるで役に立たないのだから。」
ペ「たしかに、そういうことになります。」
ソ「するときみ、新人とベテランのあいだにはなんの差もないということになるね。」
ペ「そのとおりです。」
ソ「では、きみはいますぐなんにでもなれるのだろうか。
  テレビに出て笑いをとることもさぞや容易なのだろうね。」
ペ「これはずいぶん、おかしな結論へとたどり着いてしまったようです。
  いきなり私がM-1チャンピオンになれるわけはないのですから。」
ソ「これはどうやら、ぼくたちの考えてきたところに、
  なにかまちがいがあったようだ。」
ペ「そのようです。」

―――――――――――――――――――――――――

よく、Jポップの歌詞でとりあげられるテーマとして
「先のことなどわからない」「人生どうなるかわかんない」
という風潮がある。
あるいは、マスメディアが毎日欠かさず言っているのが
「変化の激しい時代」「これまでのやり方が通用しない」
ということである。

我々はいささかこれを強調しすぎてしまったのではないか、と思う。

変化の激しい時代で、なおかつ先がどうなるかわからないんだから、
つまるところ「過去なんて学ぶ意味ねえじゃん」という結論に至ってしまう。

私も前段についてはとても正しいと思っている。
しかし、だからといってその結論に安直に降りていっていいのか。
何かを見落としていないか。

「先のことはどうなるかわからない」という一言で、
過去のデータの集積を全部消し飛ばしてしまうのは、
なんというか、ずるいんじゃないか。それはないだろう。

それ以外の結論に至る方法が何かないか、
と思ってこの対話を書いてみたのですが、
けっこう平行線になってしまう。

ペシミウスの方は「現在に近いほど確実」ということをゆずらないし、
ソクラテスの方は「そうでもないよね」ぐらいしか言えない。

たとえばここで「過去の情報も大事」ということを言ったとしても、
「いやでも現在の情報もやっぱり大事だよね」ということになってしまう。

となると、前段の「先のことはどうなるかわからない」がそもそも間違っているのではないか。
大いに間違えることがありうるかもしれないけれど、
予測の力というのにもう少し頼ってみてもいいのではないか。

ということを考えています。

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