貨幣が足りないという現象について

「マネーサプライ」
「外貨獲得」
「通貨供給量」

といった、経済学用語の意味が、いまいちよく分からなかった。

なかでも一番よくわからないのが「外貨獲得」で、
どうしても外貨が必要になったら、日本円で外貨を買えばいいんじゃないの?
という風に思っていた。

あるいは、「お金を刷れば経済が活性化する」というのも、
やっぱりいまいち意味がわからない。
お金を刷ったからといって、みんなの生産力が向上するわけじゃないので、
「要するに1円の価値が薄まるだけなのでは?」という風に思っている。
たとえばお金を刷って株価が上がるのは、単純に見た目上の現象であって、
「1万円」が「1万2千円」に薄まったから、上がったように見えるだけだと思っていた。
もっとも、そういう見た目上の現象が、人の心理に影響を与え、
結果として好況がやってくる、ということはあるかもしれない。

しかし、どうも、
20世紀の経済史を調べていくと、
「貨幣が足りない」という現象は存在するらしい。
どういうことだろう。
それについて考えてみたい。

――――――――――――――――――――

いわゆる僕らが普段の生活でいう「金がない」「お金が足りない」とは、
少し別のレベルで(とはいえ最終的には同じものらしい)、
「貨幣の量が足りない」という現象が起きる。

たとえば、3人の役者を登場させてみよう。
1人は農家。10万円ぶんのお米をもっている。
1人は鍛冶屋。10万円ぶんの鉄をもっている。
1人は道具屋。10万円ぶんの農具をもっている。

で、鍛冶屋はお米が欲しくて、
道具屋は鉄が欲しくて、
農家は農具が欲しいと考えよう。(それぞれ10万円ずつ)

もしこの3人がお互いに知り合いであって、
お互いの事情をよく知っているとすれば、
取引は非常にスムーズである。
米が鍛冶屋にいき、鉄が道具屋にいき、農具が農家にいく。
ここには貨幣が存在しなくてもよい。

3人がまったくお互いのことをよく知らないとしよう。
そして、それぞれが「お金を」3万円ずつしかもたないと考えよう。
それぞれ10万円の価値のあるものは持っているけれど、
「貨幣」が3万円ずつしかないと考える。

このとき、誰から始めてもいいのだが、
まず鍛冶屋が農家から3万円ぶんのお米を買う。
本当は10万円ぶん欲しくても、お金が足りないので我慢する。
つぎに、道具屋が鍛冶屋から3万円ぶんの鉄を買う。
最後に、農家が道具屋から6万円ぶんの農具を買う。

合計としては、12万円ぶんの取引がなされたわけで、
これは、3人が直接取引した場合の合計、30万円より小さい。
単純にいうと「非効率」である。
貨幣があるにもかかわらず「非効率」が生じている。
これが「貨幣が足りない」という現象である。

ちょっと取引の順番を変えてみよう。
鍛冶屋が農家から3万円ぶんのお米を買ったあとに、
農家が道具屋から6万円ぶんの農具を買うとする。
そうすると道具屋の手元には9万円のお金があるので、
鍛冶屋から9万円の鉄を買うことができる。

こうすると、合計取引額は18万円になるので、
多少は効率的になっている。
ということを考えると、貨幣の流れ方によって、
取引の効率性というのは変わってくることになる。

もちろん、この取引が一周しただけで終わるわけではなくて、
上の例でいうと、鉄を売って9万円を手に入れた鍛冶屋は、
足りなかった7万円分のお米を農家から購入するだろうし、
そのお金で農家は4万円分の農具を道具屋から購入するだろう。
以下同文。
そうすると、2周すればすべての取引がぶじ終わることになる。

もう1つ前の例だと、3周しないとすべての取引が終わらない。
貨幣の流れ方、供給量によって、こんなにも差が出てしまう。

ということを考えると、貨幣の流れ方をサポートする仕組みが必要である。

ここで大金持ちを登場させてみよう。
彼は無尽蔵にお金をもっている。
年利10%でお金を貸すとする。

さっきの状態、それぞれが3万円ずつしかお金を持っていないとする。
大金持ちはそれぞれに7万円ずつお金を貸す。
こうすると、鍛冶屋が10万円お米を買って、
道具屋が10万円の鉄を買って、農家が10万円農具を買うので、
取引は1周で終わることができる。
この取引をするのに1年かかったとしよう。
そうすると、取引後、みんなはそれぞれ77000円ずつ大金持ちに返すことになる。
その結果以下のような状態になる。

農家:所持金23000円、10万円の農具
鍛冶屋:所持金23000円、10万円のお米
道具屋:所持金23000円、10万円の鉄

そして、たとえばこの年、農家は10万円の農具を使って11万円のお米を生み出し、
鍛冶屋は10万円のお米を使って11万円の鉄を生み出し、以下同文としよう。
そうすると

農家:所持金23000円、11万円のお米
鍛冶屋:所持金23000円、11万円の鉄
道具屋:所持金23000円、11万円の農具

で、前年度と同じような取引をするには、
また大金持ちにお金を借りなくてはならない。
今度は少し増えて、87000円借りる必要がある。

前の年と同じような取引が終わると次のような結果になる。

農家:所持金14300円、11万円の農具
鍛冶屋:所持金14300円、11万円のお米
道具屋:所持金14300円、11万円の鉄

見ればわかるとおり、所持金がどんどん減っていく。
この減った所持金はどこに集まっているかというと、お金持ちのところである。
それぞれ所持金がどんどん減っていくので、
取引をスムーズにするには、ますますお金持ちに多くのお金を借りねばならない。
お金持ちに対する依存度が増えていくわけである。
つまり、彼にどんどん権力が集まってくる。

さっきの例では、お金の利子率(年利10%)と、
生産性(10万円のお米→11万円の鉄、要するに10%)が同じだったので、
この数値を変えて考えてみよう。

10万円のお米から12万円の鉄が作り出せる、と考える。
他も同様とする。そうすると、

農家:所持金23000円、12万円のお米
(ほか2人は省略)

なので、次の年には97000円借りる必要が生じて、

農家:所持金13300円、14.4万円のお米

になる。
合計金額で見てみると、

1年目:13万円(3万円+10万円のもの)
2年目:14.3万円
3年目:15.7万円

というわけで、順調に増えていっている。
これはちょうど、生産性(年20%)-金利(年10%)=年10%の割合で増えている。
だとすると、事業家というものは、少なくとも金利よりは高い生産性を維持しなければならない。
当たり前なんだけど。

しかも、この「生産性」というのは、
いろいろの経費をさっぴいた上での、純利益の割合を言っているわけである。
たとえば従業員に給料を払ったりとか、建物の家賃を払ったりとかしたうえでの、
純利益が金利を超えなければならないわけである。

そして、ここからが本題というか、メインの主張になるのだけれども、
世の中にできるだけよいことを増やそうとするならば、
「金利はゼロ」がもっとも正しい方策なのではないか、と思うわけである。

たとえば、金利が10%ならば、
長期的にみて10%以上の純利益をもたない企業は存続できないわけである。
「10%以上の純利益をあげられる効率のよい企業」だけが生き残れる。

もし金利がゼロ%ならば、
「損をすることはない程度に利益を出せる企業」であれば十分に生き残れるわけである。
しかも、純利益がゼロ%だからといってその企業が無意味なわけではなく、
その企業は人を雇ったり、空いている土地を有効活用したり、
あるいは街を活性化したりすることができるのだから、
広い目でみればかなりのプラスがある。

そして、こういうことを考えると、
「マイナス金利」というシステムも、あながち馬鹿げていないのでは、と思えてくる。

「マイナス金利」というシステムがある。
シルビオ・ゲゼルという思想家が、20世紀の初めに考え出したものである。
簡単にいうと、「金をもっていると、どんどんその価値が減っていく」というシステムであり、
「金をたくさんもっている人」よりも「金をどんどん使う人」の方が「賢い」という、
なんだか我々の世界観と逆転したような仕組みになっている。

これについて詳しく書くと非常に長くなるので、また別の機会に説明するけれど、
とりあえずこれが「馬鹿げていない」ということは考えてほしい。
少なくとも理論上はまっとうだし、実践上もけっこうな成果をあげていたりする。

とりわけ、失業率が異常に高まっているときや、大不況のときには、
この「マイナス金利」というシステムが有効だと考えられる。

というのも、「みんながみんな失業している」っていうのは、変な状態じゃないか?
そういう状態というのは、みんなあんまりお金がないからものを買えないし、
ものが買えないから、ものが売れないわけで、何かを売る人が減っている。
つまり「買う金もないが、買いたい商品・サービスも不足している」というわけである。

けど、その人たちは、働くことができるし、何かを作ろうと思えば、
作れるだけの能力がある。彼らの潜在的な労働力がムダになっているわけである。

そういうときに、マイナス金利を導入すれば、
純利益はあげられなくとも、ある程度人を雇用したり土地を使ったりして、
「収支トントンか、小さい赤字ぐらいにはできる企業」というのが生き残れるわけだし、
その結果徐々に経済がまわり始めるわけである。
今まで雇われていなかった人が雇われるだけでもだいぶありがたいし、
それは経済以外のいろいろな面でも大きなプラスになる。

多くの宗教は利子をつけることを禁止しているのは、
単純に「働いていない人が儲けるのは倫理的にどうかと思う」
という意識もあったかと思うが、
「それが経済をもっとも効率よくまわす方法である」
という理由も、あったのではないかと思う。意識していたかどうかは分からないが。

――――――――――――――――――――

もし金融というものが、
「お金を貸し付けてお金を増やすことを目的とする」ものであれば、
貸し付ける相手は必然的に決まってくる。

いざ失敗しても担保があるから安心できる、大企業。

もし金融というものが、
「お金が足りていないところにお金を一時的に貸してやることで、
 その一帯のお金の流れをよくし、経済効率を高める」ものであれば、
これも貸し付ける相手は決まってくる。

困っているが、優秀な中小企業である。

いまの日本の銀行や、アメリカの銀行が、
どういう人を選んでお金を貸しているのかについては、
手元にデータがないのでなんとも言えない。

ただ、もし大企業ばかりにお金を貸し続けているとしたら、
早晩に中小企業はつぶれていくだろうし、
その結果として経済はやむをえず下落するだろう。

リスクをとれとか、そういう話ではない。
どうしようもない中小企業には貸さなくてもいいと思う。
ただ、さっきの寓話で出てきた3人のように、
いい商品を持っていながらも、貨幣が足りないがために困っている人がいれば、
そういう人にこそ貸すべきである。
銀行家とはつまり、そういう人を見抜ける人のことである。
そういうことができなければ、
要するにそれは、「破綻しても相手から回収できるかどうか」
ということをチェックするだけのロボットである。

――――――――――――――――――――

最後に、いくつか細かい点についてちょっと付け足し。

「金利が10%ならば、
長期的にみて10%以上の純利益をもたない企業は存続できない」
という風に書いたけれど、
10%よりちょっと下でも大丈夫かもしれない。

というのは、純利益が10%の農家を例にとると、

初期状態:所持金3万円、米10万円

で、これがその後

1年後:所持金23000円、米11万円

2年後:所持金14300円、米12.1万円

で、合計をみると
13万円→13.3万円→13.5万円というふうに、
金利と生産性が同じ10%でも少しずつ増えている。

なので、単純に生産性≧金利じゃないといけないわけではないかもしれない。
あるいはどっかで計算間違いをしている可能性も?

たとえば所持金が4万円スタートの場合、

所持金4万円、米10万円

所持金34000円、米11万円

所持金26400円、米12.1万円

所持金16940円、米13.31万円

14万→14.4万円→14.74万円→14.95万円

ちょっとずつ増えている。
後年になるほど増え方がゆるやかなので、
この場合計算を続けていくとどこかで頭打ちになる?

「生産性と利子が同じ割合だと、最終的にある1点で止まる」
ということなのかもしれない。

ちょっとこのへんは、思考実験ということもあって、
あんまり厳密には突き詰めていません。
くわしく考えるにはケインズを読んだ方がいいかも。

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