明日の美徳

昨日、とある意識の高い集まりに行ってきたんですよ。
そこで感じたことが、「そもそも僕らは幸せにならんとあかんのか」
ということだったので、それについて考えてみたい。

「意識の高い集まり」とはなんぞや、というと、
まあ、あやしげな自己啓発セミナーってわけでもないんですが、
簡単にいうと、がんばろう新社会人、みたいな集まりですね。
あやしげな自己啓発セミナーかもしれない。やっぱり。うーん。

まあ、簡単にいうとですね、
いわゆる「成功する人はここは違う」系のことを話すようなやつです。
僕はまあおもしろ半分というか、
どういう人が集まってて、どういうテンションで話してるのかなー、
と思って行ってみたんですけども。

話してること自体は、まあ文面はあやしいけど、
当たり前といえば当たり前のことで、
なるほどそれやってたらまあ出世するでしょうな、
というようなことでした。

で、じゃあ、それ聞いたからといって、
今すぐそうしよう、という風にはならんわけですね。
今すぐバリバリ働いて、成功して、
いい車といいマンション買うぞー!って気持ちには、ならんわけですね。

これってなんなんだろう、と考えてみると、
「いや、そもそも俺らは別に成功とかそういうのしたくないのでは?」
というとこがメインの理由なんじゃねえのかなあ、と。

――――――――――――――

最近、仕事をやってみてる中で、
猛烈に思っていることがあるんですけど、

「あれ?個々人の能力って実はそんなに差がないんじゃない?」

ということです。

営業成績とかあるじゃないですか。
で、それは当然人によって差がつくわけです。
けっこう大きな差もつきます。

でも、その中で下位にいる人と、上位にいる人を比べてみても、
「うわ!!あの人超有能!!」とか、「あの人、超無能!」とかには、
あんまりならんのです。
「え、このふたり何が違うの?同じぐらいじゃない?」
というような感覚がする。

あるいは、会社の先輩とかいるじゃないですか、で、先輩は当然営業がうまいのですが、
それを見ても「天才だ!!」とは思わない。
「あ、何年か地道に頑張ったらこのぐらいになるんだなあ」と思う。

あるいは同期で、たまにずば抜けて仕事がうまい人もいるんですけど、
それを見ても「天才だ!」という感じは、実はあんまりしなくて。
「あ、この人はそれだけの努力をしているなあ」という感じがする。

俺に人の仕事の能力がわかるのか、という疑問はありますが、
素朴な感覚として、「めっちゃ優秀」とか「めっちゃ無能」ということは、
あんまりないなあ、と思ったんですよ。意外に。

さっきから4段落ぐらいずっと同じことを言い続けているので、
まとめますと、
「みんな割と優秀じゃね?」ということです。
それはなにも、弊社の社員だから優秀、とかいうことではなく、
「ほとんどの人に能力の差がたいしてない」ということです。
ほかの会社の人、あるいはまだ大学生の人でも、
能力にはたいして差がない、と思った。

もちろん、スポーツ選手とかの世界だと、
極端な実力の差というのはあるかと思いますよ。
でも、日常生活ではそこまでの差はないし、
まして営業なんていう、ある意味では「誰でもできること」について、
そこまでの差を感じることはまあほとんどないでしょう。

じゃあ、実際に成績の差がついてるのはなぜか、というと、
要するに環境なんじゃねえかと。
環境と意欲が問題であって、能力はなんとかなるんじゃないか、という。

――――――――――――――――――――

で、環境については今いったんおいておこう。ややこしいし。
意欲です意欲。

そして「意欲の問題」を、究極的に一言で表すと、
「僕らは幸せにならなくてはいけないのか?」
という問いに集約されます。

ずいぶん変な問いです。
幸せになれるなら、なった方がいいだろう。

じゃあ、「そこそこ幸せ」の人は、
「ものすごく幸せ」にならなくてはいけないのか?

同じように、なれるならなった方がいいでしょう。
でもまあ、「ならなきゃいけない!」っていうほどではない。
だってある程度は幸せだし。
幸せになるのにも努力が必要だし。
その努力を別のとこにまわすのも、それはそれで幸せなんじゃないか。
本当にそこまで頑張る必要があるのか。

―――――――――――――――――

そもそも、いま僕らにとって美徳とされるのは、
「足るを知る」なのか、
「ハングリー精神」なのか?

とりわけ環境問題がさかんな時代に、
「ハングリー精神」は本当に美徳なんだろうか?
エコをしながらハングリー精神って、相当おかしくないか?
消費行動を促進させるためのビジネスは、本当に善なのか?

このへんの矛盾、
簡単に解決する方法は、もちろんあります。
「いや、だから俺は、ハングリーに能力を伸ばしていって、
 最終的に環境問題を解決したいんだよ」と。
カッコいいじゃないですか。

ふつうはそこまでいかない。
そこまで献身的ではないからだ。
ふつうの人と言うのは、
ほどほどに自己中だし、ほどほどに献身的である。
自分の生活をうまくまわしていって、
かつ、ちょっとばかし社会にいいことができればな、と思っていて、
環境問題を解決してやろうとか、そんな大それたことは考えない。

という風に考えていくと、
ある程度の仕事があって、
ある程度の能力がある人っていうのは、
ハングリーになる必要がないんです。

年齢が上の人から
「いや、若いうちはガムシャラに働いた方がいいよ~」と言われても、
「はあ、そうですか、そうかもしれませんねえ」としか言えない。
自分らの10年後がイメージできないから。
この国のかたちが大幅に変わっているかもしれないし、
あるいは自分のやりたいことが大幅に変わっているかもしれないし。

もちろん、やりたいことに向かって何かを実現していくというのは、
まあカッコいいことですし、美徳です。
けど、ある意味でそれはハイリスクな生き方であって、
それが実現できなかったら、けっこう落ち込むと思うんですよ。
それまでに身につけた能力も、無駄になるかもしれないし。(たぶんならないけど)

「俺はどうしてもこれをやるんだ!」って決めてしまうと、
それ以外の未来が受け入れられなくなる。
そうでなく、「まあ、こういう未来でもいいし、こういう未来でもいいなー」という姿勢だと、
割とどういう未来が来ても、けっこう受け入れられるし、
そこそこ幸せな生活が送れる。

「猛烈にやりたいことを1つ持ってしまうことはある種のリスクである」

という、そういう考え方が、
われわれの中にあるんじゃないか。

そういうところで、我々は、何かに一生懸命になったり、
ハングリー精神を持ったりすることを、ためらうんじゃないか。

という風に思っています。

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