寝るのはしょうがない

会社員になっても、研修という形で、
ちょいちょい座学といいますか、
座って講義を聞くような場があります。

わが社のビジネスモデルは~、とか、
この部署の役割は~、とか、
このソフトの使い方は~、とか。

で、僕はこの講義で、かなりの確率で、寝るんですね。

おそらく100%寝ます。

うん、たぶん計算してみたけど、
コーヒーを飲んでるとき以外は、100%寝ますね。

100%寝る、ってのはすごい。
どんだけつまらないんだ、という話です。

ところが、僕個人の感想としては、
むしろすごくおもしろい。
すごくおもしろい話を聞かせてもらっていると思う。
楽しく聞いてます。仕事も楽しい。

じゃ、なんで寝るんだ、というと、
要するにこれは、講義という形式が苦手だからです。

というのも、講義という形式だと、理解度が一番遅い人にあわせて進むじゃないですか。
つまり、たまたまそのトピックの理解が速かった場合、
けっこう無駄な時間を過ごさざるを得ない。
「もうわかってるっちゅうねん」という話を聞かされることになる。

で、企業というのはどういうとこかというと、
無駄を減らすところです。

その無駄な時間をどう使うかは、いろいろあると思うんですが、
僕はとりあえずその無駄な時間を、「寝る」という休憩に使いがちなわけです。
休憩して、元気いっぱいで働けるようになるのは大事なことだから。

つまり、僕が寝るのは、無駄の削減です。
そういうことになります。

と思ってやっているんですが、
この「寝てる」ということが人事部からずいぶん問題になってまして。
割と偉い人というか、部長から怒られるレベルです。

もちろん、こんなロジックを正々堂々と言うと、
まあ人事評価ガタ落ち間違いないので、(もう下がるとこまで下がってるので別にいいんですが)
正面からは言わないわけですが、そうすると問題がいつまでも解決しない。

僕は結果、カフェインを買わざるをえないわけで、
まあそうしていたら体面は保てるんですけどね。

で、たとえばこれが、e-Learningとか、あるいは大学の大講義室だったら、
おそらくなんの問題にもならんのです。
つまり、「僕が寝ている」ということが、周囲に何の影響も与えない。
高校の授業もだいたいそうでしょう。
「寝てるなー」
以上です。

もちろん先生は不快かもしれませんが、
寝てて困るのは生徒自身なわけです。
で、実際のとこどうなの、というと、自分は寝たからといって全然困ってない。
内容はすごくよく理解できてる。
だからなおさら、直す気がないわけです。さあどうしよう。

まあ、そりゃ、話す方として不快なのは、わかりますよ。
講義室にはだいたい6人ぐらいしかいないから、
俺が寝てるというのはすぐわかるわけだし。
じゃあ、話す方から俺が見えなければいいんじゃないか。
なるほど。グッドアイディア。
しかしどうやったら実現できるだろう。

逆に、話す方が寝てればいいんじゃないか。
なるほどそれもある。

あるいは、寝ていてもあたかも起きているかのようにすればいいのではないか。
まぶたに目を書こう。それがいい。

―――――――――――――――――――――――

つまるところ、眠気というのは、不可抗力です。
眠気に襲われる立場からすると、そうとしか思えない。

で、眠気というものに特有の問題は、
まさにそれが「意識がもうろうとする」という性質のものであるため、
「眠くなってしまったあと」で、
「眠気を断ち切ろう」としても、不可能である、ということです。
すでに意識が眠気に支配されているのだから。

しかも、物理的な脱出手段(コーヒー、フリスクなど)がないと、どうしようもない。
講義中に「すいません、眠いのでコーヒー買います」
と言って出ていくわけにもいきません。そっちのほうがまだ礼儀として正しいのかな。どうなんだろう。

ああ、そうか、つまり、「講義」という場は、
「眠くなった時」にとれる「代替手段」の数が、
「圧倒的に少ない場所」なのか。

たとえば自席だったら、ちょっと立って歩くとか、
トイレで顔を洗うとか、そういうことはできるでしょう。

今考えたけどトイレで顔洗うのは別にアリだな。
今度からトイレに行こう。

とはいえ、トイレに行くと、確実にある部分は聞き逃してしまうわけじゃん、
それは寝るのと何が違うんだろう?

と思ったけど、目の前で寝るよりは、目の前にいないほうがマシかあ。
なるほどねえ。物理的脱出手段がないときは、トイレに行くのがベストか。

でも実際問題として、トイレに行きにくい雰囲気はあるからね。
そこは交渉でなんとかするしかない。

いずれにせよ、僕が言いたいのは、
眠気を我慢できると思ったら、大間違いだ、ということです。
眠気は我慢できない。なぜならその時すでに眠気に支配されているから。
眠気は物理的な手段(運動、カフェイン、香り)によってのみ覚まされる。

で、その物理的な手段をなるべく制限してくれるな、ということです。
それで寝るのはもはや不可抗力で仕方がない、ということです。

それは、敵が眼前にせまっているのに、防具をつけさせず、
「でも死ぬな」と言っているのと同じことです。それは死んでも仕方がない。

―――――――――――――――――――――――

そうはいっても、
「気合だ!気合さえあれば眠くなることなどありえない!」
と主張する人もいると思うので、
「眠気は物理的手段でしか防げない」ということをアピールすべく、
いろいろ理論武装をする必要があると思う。

そこでオススメなのが以下の3冊だ。

世界が認めたニッポンの居眠り 通勤電車のウトウトにも意味があった!
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ヒトはなぜ眠るのか (講談社学術文庫)
井上 昌次郎
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この3冊を読むと、むしろ「眠ったほうがいい」ということになると思う。
講義中の居眠りすら、実は学習のためかもしれないのだ。
というのも、

「人は睡眠中に記憶の重みづけ(タグづけ)をしていると考えられており、不要な記憶は遮断している。」
「最新の研究では、睡眠中に記憶が「強化される」ことが分かってきているそうだ。」
「テスト前や大事な商談の前は、よく寝た方がいいのである。」
「ハーバード大学の研究によると、睡眠によって、記憶だけでなく知的能力・認知力も向上するそうだ。」

(引用元:HONZ 『<眠り>をめぐるミステリー』

これを読んでると、もう講義中だろうがなんだろうが、
どんどん寝た方がいいんじゃねえの、って気持ちになってくる。

もはや「寝るな!」っていうのは、
単なる統治的観点の問題にすぎず、
効率的観点からは、寝た方がよいのである。
どうしても部下が寝るのを見たくないなら、個室にすればよろしい。

とはいえ、企業というところが、統治的観点をすごく大事にするのもよくわかるが。
それってなんのためなんでしたっけ、本来は効率をよくするためですよね、
というところを忘れてはいけない。

あれ、先ほど『価値観の移動について』で書いたみたいに、
自然と居眠りを反省する流れにはまったくなってないぞ。
どういうことだろう。どれだけ自説に自信があるのか俺は。

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