思考の枠組みが見えた話

今日、ある会話がきっかけで、
猛烈に自分の思考の枠組みが理解できまして。
それはもう、あまりにもくっきりと、
「あ!俺はこういうプログラミングで動いているのか!」
ということが理解できました。
その感動をちょっとシェアしたいので書かせてもらいます。

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いつ頃からかわからないんですけど、
あるとき気づいたら、「正しいものはなにもない」という考え方になっていたんですね。

で、きっかけはわからないんですけど(心当たりはいくつかあるけど)、
その考え方を熟成・育て上げたのが、
けっこう「ダラブッカの練習」にあると思っていて。

ダラブッカっていう、中東の変な楽器を大学時代からやっているんですが、
これがね、基本的に独学なんですよ。
いや、師匠はいるんですけど、
手取り足取り、というタイプの師匠ではなくて、
なんとなく理想像は示してくれるけれど、
そこに至るまでの方法は結構自分で考えなきゃいけない、
そういうものなんです。

で、そういうときに、
「どうやったらいい音が出るか」とか「どうやったらいいフレーズができるか」とか、
ってのを、自分で考えなきゃいけない。

それを考え詰めていったときに、
「そもそも原始時代はどうだったんだ?」
っていう考え方が出てきて。

原始時代、つまりその楽器が誕生してまもない頃、
その楽器の師匠なんて人はいなかったはずで。
その「一番最初の人」は、何かしらの方法で、
いい音が鳴る方法を見つけていったと思うんですよ。

だとすると、その方法ってのは、
ある意味誰に教わらなくても開発できるはずなんですよ。
もちろん、まったくのゼロから開発するのは相当難しいんですが。

なので、ある意味では、師匠から習ったことを全部忘れたってかまわない。
むしろ楽器と向き合うことが相当大事。
楽器に対してこちらが何らかのアクションを起こすことで、
楽器からある種の反応(かっこよく言うとフィードバック)が返ってくる。
で、また別種のアクションを起こすことで、別種の反応が返ってくる。
そうやってあらゆる種類のアクションを何十回も起こしまくることで、
「楽器のシステム」っていうのが理解できる。

で、その「楽器のシステム」がわかると、
あとはだいぶ楽に鳴らせるようになるし、自在に操れる。
新しい音を鳴らすこともできる。

そういう、「原始時代」を想定して、
「何百回ものアクション」と「何百回ものフィードバック」を経て
「システム」を理解する、という方法が、
すげえ身についたと思うんですよ。

ああ就活でこういうことを言えばよかった。

ともかく、まあそういう経験を経るうちに、
「何かしらのプログラミングがあれば、
 何十回も試行錯誤すれば答えは導き出せる」
っていうような考え方が身についたんですね。

もうひとつコアとなるのが、
もろに時代の影響を受けているんですが、
「昨日正しかったことが明日正しいとはかぎらない」
という考え方です。

これもいつ頃からか身についていたので、
きっかけはわからないんですが。

「何も正しいことはない」と、
「昨日正しかったことが明日間違っているかもしれない」と、
「何かしらのプログラミングがあれば、答えは導き出せる」
という考え方が3つ組み合わさっている。
これが思考の枠組みです。

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たとえば、自分は、具体的な事象にあんまり興味がないんですよ。
具体的な経済現象とか、具体的な政治の情報、具体的な音楽、
そういったものに、かなり興味がない。
あんまり覚えようと思わない。

それがなぜかというと、古くなるからです。
いずれ使えなくなるものを覚えても意味がない。
まして、記憶ということも、そもそも意味があるのか。
Googleで検索すれば出てくるじゃない。
そう考えると、全然そういった情報を摂取する気にならない。

でも、覚えておくと何かの役に立つかもしれないじゃない。
というのも、もちろんわかるんです。

わかるんですが、ここで
「何かしらのプログラミングがあれば、答えは導き出せる」
という考え方が絡んできます。

つまり、必要になった時には、必要になった時に取り出せる。
そういうプログラムさえあれば、別に情報をストックしておく必要はない。
なので、「必要になるまでまったく覚えない」という性質があります。

そのため、「事故が起きるまでまったく意に介さない」という、やっかいな性質もあります。
ミスをしないとわからない。

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あるいは、「若いのにずいぶん落ち着いているねえ」と言われることが多いです。
が、これも、「何も正しいことはない」という考え方のためです。
原始時代には、何も正しいことや権威なんてなかったんだから、
今目の前に座っている人だって、別になんの権威でもない。

いや、もちろん、その人の仕事とかやっていることが、
リスペクトできるものであれば、それなりの緊張感は持ちます。
が、だからといって、テンパったりとかそういうことをしない。
それは本質的には「同じ人間」だと思っているから。

だから、あんまり「先輩・後輩」っていうのが理解できなくて。
先輩は単に「何年か早く生まれていて、何年か早く経験を積んでいる人」だし、
後輩は単に「何年か遅く生まれていて、自分がした経験をまだしてない人」にすぎない。
偉いとまったく思わないし、下だとまったく思わない。

まあ、こういう性質が、会社に入った時に、
わりと損する性質ではあるなあと思うんですけど。

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あと、「何かしらのプログラミングがあれば、答えは導き出せる」というのは、
「何十回もの試行錯誤があった上で」という条件がつきます。

なので、「ミスできないもの」「一回性のもの」に関しては、
めちゃくちゃ弱いな、と思うことがあって。

たとえば人間関係って、基本的にミスできないじゃないですか。
あるいは、ミスできるのかもしれないけど、
ミスしたくないと思っています。
なので、人間関係で試行錯誤ができないから、
けっこういまだに苦手なところがあって。

まして、人間関係なんて、人によって正解・不正解が違いますし、
時間や状況によっても、どういうコミュニケーションをとればいいかわからないので、
僕としては「学習しようがない」という結論に至っている。

でも、最近会社に入りまして、で、
会社の人ってある意味どうでもいい関係なので、
けっこうそこでトライアンドエラーをやらしてもらっています。
ミスしてもやり直しがききますしね。

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ほかにも自分のいろんな性質が、
「何も正しいことはない」と、
「昨日正しかったことが明日間違っているかもしれない」と、
「何かしらのプログラミングがあれば、答えは導き出せる」
の3つの考え方から発生しているなあと思います。

この考え方が有効に働くことももちろんあって、
即興とか、あるいは有事のときには、かなり使える考え方なのだと思います。

ただ、安定した状況で、かつ、覚えるべきことが多い、といった場合は、
けっこう苦労します。ミスをしないとわからないので。

「限定的な時間・状況においてのみ正しい事」にまるで関心がない、
というのが、けっこう自分の弱点かなと思っています。
そこをもうちょっと直せれば生きやすいのではと思う。

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いま、というかちょっと前、『人を助けるすんごい仕組み』という本を読んでいて、
西條剛央さんという、簡単にいやあ哲学家みたいな人が、
東日本大震災に際して、なぜかものすごく有効なボランティア施策を思いつき、しかも実行できた、
という内容の本なんです。

で、その人のやっている「構造構成主義」という、
ものすごく抽象的な考え方があって。
これがなかなかおもしろい。

まさしくさっき言ったような、
「何も正しいことはない」
「昨日正しかったことが明日間違っているかもしれない」
「何かしらのプログラミングがあれば、答えは導き出せる」
の3つに基づいている考え方で、
「構造構成主義」は、その「プログラミング」を考える学問です。

次回、この「プログラミング」について書いてみようと思います。

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