ドラムンベース偏愛手記

何をさしおいてもドラムンベースである。

どういうわけか、今や私はすっかり、ドラムンベースという音楽にハマっているのである。

ドラムンベースという音楽は、
音楽の歴史でいえば、本当につい最近登場したみたいな音楽だ。
きちんと「ドラムンベース」というジャンルが打ち出されたのは、1995年。
Goldieの”Timeless”というアルバムが「最初のドラムンベース」と言われている。
そのルーツとなる「ジャングル」という音楽も、1980年代後期に生まれたといわれる。

そして、その「ジャングル」というのは、間違いから生まれた音楽だ。
あるレゲエのDJが、レコードの回転数を間違ってかけてしまい、
異常に速いテンポになってしまったのを面白がったのが始まりと言われている。

まあ、そんな発祥の話はどうでもいい。
発祥がなんであろうが、素晴らしい音楽は素晴らしいのだし、
素晴らしくない音楽は素晴らしくないのだ。

ドラムンベースの最たる特徴は、
とにかくその複雑さだ。
ある意味ではもっとも複雑な音楽と言っていいかもしれない。
ジャズが音階の複雑さを最高に極めた音楽だとすれば、
ドラムンベースはその生き別れた双子なのだ。
リズムを壊し、再構築し、壊し、再構築し、とやっているうちに、
もとの音楽とはかけ離れた音楽が出来上がった。
それがドラムンベースなのだ。
腕が顔についていて、鼻が足についているような、
そのような「異なった文脈への破壊」が何より素晴らしい。
そういう意味では、別にブレイクビーツでもいいのだが、
ドラムンベースはことリズムについてそれをやり尽くしている。

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一番シンプルなドラムンベースの作り方は以下のとおり。
まず、なんでもいい、ソウルでもヒップホップでもいいのだが、
歌やギターが抜けて、ドラムだけになっている瞬間を見つけて、ワンフレーズ抜き出してくる。

で、そうしてドラムだけの部分を抜き出したのちに、
そのテンポをおかしくする。
簡単にいうとものすごく速くする。
速くすることで、音質も変わってくるし、音の持っていたグルーヴ自身も変わってくる。
これだけでもずいぶん別の音楽に聞こえることが多い。
もちろん、ただの早回しに聴こえることも多々あるけど。

そうしたら、その速度がおかしくなったテープを切り貼りする。
1拍目を3拍目にもってきたっていいし、
4拍目を3回続けたあとに1拍目をもってきてもいい。
ここの切り方は案外適当でもなんとかなる。
あまり頭で考えず、適当に切って適当に貼ってみるのだ。

そうすると、もとあった音とはまるで別のリズムが完成する。
こうして、ドラムンベースのドラム部分が出来上がる。

もちろん、ドラムパターンはいくつか作っておくのが望ましい。
曲が進むにつれそれを使い分けていこう。

ドラムだけだと少し味気ないので、たいていは何らかの味付けをする。
たとえばエフェクターで音を潰したり、エコーをかけたり、
上にシンセサイザーを乗っけたりする。

そうするととりあえず、ドラムンベースはできちゃうのだ。
あら簡単。実は誰にでもできるのがドラムンベース。

もちろん、本当にこれだけだとシンプルすぎるので、
いろいろといらない工夫やいらない音を足したりするのだけど。

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もうひとつのドラムンベースの作り方としては、
もっと切り貼りを細かくする、というのがある。

具体的には、ドラムパターンを抜き出してくるところまでは同じで、
そのあと、個々の音ごとにサンプリングする。
バスドラムの音、ハイハットの音、スネアの音と。
これは完全に分かれている必要はない。
むしろ少しかぶっているぐらいのほうが変なグルーヴにつながったりする。
扱いは難しいけれど。

で、そうして音が採集できたら、
あとは自分のセンスにまかせて、打ち込んでいく。
音を加工して、もとあった文脈からさらにバラバラにしたりすると、
より一層面白くなったりする。

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このようにして、「加工」ということが、
何をおいてもドラムンベース・ミュージックには不可欠なのである。
もとあった文脈の破壊と再構築。
それは技術の間違った使い方で、ある意味では曲解だ。
よくいえば解釈の自由、精神の自由を表現している。
というと言いすぎなのか。

ドラムンベースは、聴いても面白いが、作っても面白いのがまさにここで、
「文脈をおかしくする」というところに醍醐味がある。
それは、美術界でいうなら、コラージュアートのようなものかもしれないし、
ポップアートのようなものかもしれない。
だから、ドラムンベースを作るに当たって、
その辺も研究する必要があるなと思っている。
文脈の破壊と再構築ということはなぜこんなにも面白いのか。

それは、もしかしたら「自由」を表現しているからかもしれない。
ゼロから自分で音楽を作り出すことより、ある意味では
もっと自由な音楽たりえるのかもしれない。

DJは文脈を破壊しない。いや、破壊する人もいるけれど。
曲自体が持っている文脈を大事にしながら、
自らの文脈・フロアの文脈とマッチさせていくのがDJだ。
しかし、ドラムンベースは文脈を破壊するのだ。
そこに自由がある。危険な自由かもしれないが。
僕らがこんなにも文脈に縛られている中で、
もっとも文脈からかけ離れていて、それでいて意味をなしている、
それが最高のドラムンベースだと思うんだ。

ドラムンベースは、自由の音楽なんだ。

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