無駄に賢すぎる人々

働くことを考えることほど、今面白いことはない。

僕がなんで会社で働いてるんだろうなあということを考えると、
どう考えても「日本の働き方」っていうものについて、考えたいからなんだろうなあと思って。

結論からいえば、僕はもっと「働く」ということがネガティブなイメージではなくなってほしいし、
あまつさえポジティブなもの、たとえば「遊ぶ」や「愛する」みたいな単語と同じぐらい
「働く」っていう単語がいい意味になればいいと思う。

そのためには、いくつも解決しなきゃいけない問題があって、
たとえば日本の労働時間はなぜこんなに長いのか、
職務内容はかっちり決まっていた方がいいのか、
評価制度が働き方を規定するんじゃないか、
そしてなぜ多くの人はこんなにもつまらなさそうに働くのか、
てな調子でもういくらでも課題を出すことができる。

これを全部書いたら、たぶん本一冊が出来上がるんじゃないだろうかってぐらい、
僕は労働について考えたいことがいっぱいある。山盛りある。

それを考えるのに、「会社」ほど最適な場所はない。
というわけで僕はいまの会社にいるのである。

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会社で働いてみて、大学時代のイメージと違っていたことを、
ちょっとまとまりはないんですが、いくつかポンポンとあげていきます。

「会社で働くというのは、実はそんなに大変なことじゃない、
 と同時に、面白くなるかどうかは自分次第
 (「面白い会社」というのがあるわけではない)」

「ほとんどの社員は有能だけど、限定された有能さしか発揮したがらない」

「みんな残業を嫌だと言うし、実際そう思っているはずなのだが、
 どう考えても行動を見る限り残業が好きとしか思えない」

「社員は、お客様の価値とか満足よりも、
 『どうやったら自分が文句を言われないか』をまず考える」

「『俺/私だけがまとも』と思っている社員、99%」

「会社の人間は意外と公私混同したがる」

「新入社員は礼儀作法さえよければとりあえず大丈夫」

「なんでこんな頑張ってるのに給料が安いのか、とみんな思っているが、
 これだけの価値を生み出したという自信が特にあるわけではない」

「暇でも会社にはいなければいけない」

「すべての労働は肉体労働である」

「上の言うことには、驚くほど忠実」

「別に優秀じゃなくても大丈夫」

「報連相というのは、責任という爆弾をなすりつけあうゲームのコマンド」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これ、いろいろ挙げましたが、
まとめて見ると、けっこう一個のことに集約されますね。

「『本質的な価値』なんてもう別にどうでもいい」

ということ。

『価値』と『評価』は切り離されてしまっていて、
だからみんな『努力』で『評価』してもらおうとする。
『努力』は別に『価値』と結びついている必要はなく、
とにかく『努力』であればなんでもいい。

ということ。

これがたぶん、僕がもっている一番大きな違和感なんだと思います。

『評価』>『努力』>『価値』

これが現状の図です。
だとすれば僕の理想の図は

『評価』<『努力』<『価値』

こうあるべきだと思います。

「怒られたくないから○○する。」
「○○しておけば、失敗してもそのせいにできるから大丈夫。」
「長く残業していれば、頑張ってるように思われるし、
 営業成績が未達でも怒られないから大丈夫。」

こういうロジックにもとづいて、日本の(多くの)会社は動いています。

思うに、日本の労働の問題点というのは、
『価値』をはかる指標がなく、結局『努力』の量でしか認めてもらえない。
だから、ちょっと頑張ればすごくイノベーティブになれる人でも、
「会社から与えられた枠組みの中で優秀」であろうとする。

本当はもっと賢いのに、その能力をまったく活かさずに、
日々の単純作業をこなしているだけ。
僕は今の会社でそんな人ばかり見かけています。
そういう人を見るたびに、いつもモヤモヤした気持ちになります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

こういう状況を目の前にして、何ができるんだろうっていうと、
現状は何も思いついていなくて、僕自身もそのラットレースの中に巻き込まれているんですが。
まあでもヤバいよなあとは思っていて。

とりあえずヤバいよなあという中間報告です。
でも、たぶん現代で働いている人の多くは、
「ヤバいなあ」と思いながらも、「こうなりたい」という像があるわけじゃないんですよね。

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2 Responses to “無駄に賢すぎる人々”


  1. 1 たなか 2014年4月28日01:00

    100年くらい前までは(一般平民にとって)仕事とは「小商い」や「職人」もしくは「稼業を家業を継ぐ」というのが一般的だったよね。昔の一般平民は(医学的にも)生きる事が困難で、自分に能力がなければ「簡単に死んでしまう」世界だった。

    それから世の中も変わり「会社に勤める=働く」というのが一般的になって100年も経ってない。そんな中、今の日本の会社というシステムの一番良い点は、ここにも書かれている通り「別に優秀じゃなくても大丈夫」ということ。つまり「弱いものに優しい」システムなんだ。
    逆に言うと今の日本の会社システムは「強いものにはもどかしいシステム」かもしれない。だから、野望を持つ人は独立したり大出世のための動く。しかし独立しても「社会(世間)」に保護され続けるのは間違いないんだよね、これが…。
    『だからこそ、信念を貫け。欲しいものを具現化しろ』などと陳腐な事は言うつもりはない。だって、世の中は複雑だから(^_^;)。

    そこで、こういうジレンマに陥ったときは、ドラマ「LOST」のような想像シミュレーションをしてみよう。
    無人島に自分を含めた老若男女10人が漂着した。そこからサバイバル生活が始まるのだが、みんなの性格や能力はまちまちで、協調性のあるひとないひと…。その時自分はどういう立ち回りをするのかを真剣に想像すると「働く理由」と「生きる理由」がわかるかもしれない。

    みんなをまとめるリーダーになる?
    それとも誰かがリーダーになるのを待ってその人に従う?
    それとも、みんなの事はほっといて一人で生活する?
    それとも…

    • 2 opinoki 2014年4月28日08:16

      会社っていうシステムのよいところは、「稼ぐ」というある意味もっとも難しいシステムの開発を、誰かがもう既にやってくれちゃっていて、だからいろんな人がそこで生きていける、っていうことですね。
      国っていうのも、「公共サービス」なるものをもう誰かがやってくれちゃっているわけですし。
      そう考えるとありがたいですね、人がいることって。
      (もちろん、優しくされていない弱い人もいるとは思うのですが)

      LOSTは見たことがないのですが、ミニ国家として考えると、
      いいシミュレーションのような気がします。

      僕はそういうシチュエーションだと、ほかにリーダーになりそうな人がいない場合はリーダーになろうとし、
      リーダーがいる場合は、その人のサポートをしようとするんじゃないかな、と思いました。


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