思い込みと思考の違い

抽象的な話をしよう。

たとえば僕らが自分の頭で考えているようでいて、
実は過去の誰か(自分含む)が言ったことを忠実になぞっているにすぎない場合、
それは「思い込み」である。

「こうでなければいけない」あるいは「こうであるはずだ」という
枠組みの中で考えているがゆえに、自由な発想が生まれず、
何も新しいものを生み出せない。

いっぽうで、自由な思考というものがある。
そういう思考ができる瞬間というのがごくたまにある。
そういった思考をしているときは、すごく気分がいいし、
何かこう本質と直接向き合っているような感覚がある。
何者にも強制されていない感じである。

出だしからよくわからない感じでつまづいてますが、
このまま進めていきます。

思い込んでいるとき、その思考の前提となっているものは何でしょうか?
あるものに対する無条件の信頼です。
もしくはある議題について不問に付す態度です。

枠組みのない思考というものは、基本的にないのですが、
ある人が思い込みに基づいて思考しているとき、
その人は自分の思考よりも自分の思い込みを信頼しているわけです。
それは過去の自分か、もしくは他人を主人とする態度です。

と考えると、ある人が思い込んでいるか、それとも考えているかは、
主人をどちらに置いているか、によって決まるといってもいいでしょう。
もしある人が知識をもとにして考えているのであれば、
それはまぎれもなく、思い込みです。
科学的知識であっても、思い込みです。
そのような思い込みが悪いことだとは限りません。
思い込みは悪ではない。伝統が悪ではないのと同じように。

でも、考えたいのであれば、私たちはやはり、知識を捨てるところから
始めるしかないのではないでしょうか。
別に捨てなくてもかまわないのですが、玉座から降ろすことが必要です。

そういった思考には後ろ盾というものがありませんから、
非常に怖いものです。サルトルが木をじっと見て吐き気を催したように、
知識を捨てた思考もまた、吐き気を催すアトラクションのようなものであることは間違いがありません。

実際に今、私もここで文章を書きながら、
いくつかいささか衒学的な書き方をしています。
文体は圧倒的に最近読んだミヒャエル・エンデに影響を受けているし、
さっきはサルトルの『嘔吐』なんていっちょまえな作品を持ち出しました。
つまり私もまた知識をもとにして書いている。
それでも、私はこの文章を「安心して書いていない」という確信があります。
この文章の正しさを裏付けるものが何もない、というところに立って、
文章を書こうとしています。それは不安でありつつも楽しげな試みです。

何より、この文章を書くにあたって、私は論理的なつながりというものを相当省略しています。
いつも長々と書いているような「こうだからこう、〜〜なのでこうといえる」といった
冗長なものをなくしてみようとしている。

考えるというのは、まさしく博打の類に属するもので、
合っているか間違っているか、誰も分からないところにある。
他人の言っていることに従えば、まず間違えません。
なにより、間違ったとしても、誰かのせいにできる。
そういった「後ろ盾」をなくしたところに初めてその人が現れる。
そのような状態で考えられたものこそ、
人間が考えるものの中で最も面白いもののひとつであることは、疑いようがありません。

「後ろ盾をなくすのがよい思考の条件だ」というのも、
これまた一つの思い込みじゃないか、という意見もあるでしょう。
それはそのとおりです。ただ、この思い込みは、その思い込み自体に適応することが可能です。
すなわち、「後ろ盾があったっていいんじゃないか?」と考えることもできる。
これは「後ろ盾がなくてはならない」という思考とは別種のものです。

なにより、「最終的に人のせいにすればいいや」と思っている思考と、
「これは自分の考えだ」と思っている思考では、
どちらのほうが実り多くなりうるでしょうか?

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