プライドとか自信とか自己愛とか自尊心とかこの辺の言葉の意味合いをスッキリさせようぜ

twitterを読んでいたら、元陸上選手の為末大さんが、
プライドについてすごくおもしろい話をしていて。

daijapan140524
https://twitter.com/daijapan

で、最近仕事をしていて、俺って悪い意味でプライドが高いなあと思うことが多くって、
どうやったらプライドというものを減らせるんだろうか、ということを、
ちょいと考えてみているのです。

そうしたら、この議論が、もうとんでもなく袋小路で。
考えているうちに何が違うのかわけがわからなくなってくる。

僕は、「プライドが高い」ということを、
「自己評価が過剰に高い」のに「自信がない」こと、だと定義したのだけれど、
これは読んでてまるで意味がわからない。
表現としてはしっくりくるが、意味として理解ができない。

自己評価が高いなら、それは自信があるってことだし、
自信がないなら、自己評価は低いってことなんじゃないか?
だとするとこれはもうとんでもなく矛盾しているんじゃないか?

しかし、矛盾というのは、だいたいは、言葉の定義が原因で起こるものだ。
「身長が高い」のに「背が低い」という矛盾している状態があったとしても、
それは二つの状態が混在しているからそうなっているのかもしれない。
たとえば、彼は「日本人にしては身長が高い」が「白人や黒人と並ぶと背が低い」など。
二つの言葉が用いられているシチュエーションが違えば、あたかも矛盾しているように見える。

そこで、僕は「自己評価が高い」と「自信」がどう違うかを真剣に考えてみた。

しかし、これがもう本当に袋小路で、
友人とも(twitter上で)議論してみたのだけれど、だいぶわからない。
だいぶわからないぞこれは。

あまりにもわからなくなったので、
第一印象で、自信とかプライドとか自尊心とか自己愛とかこの辺の言葉の意味を書いてみた。
第一印象は意外と本質をついているかもしれない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

自信:
自分を信じること。自分が過去にやってきたことというよりか、
これからやることについて、失敗しようがしまいが、肯定的にとらえている。挑戦を促す態度。

プライド:
自己評価が高いこと。自分は間違えないと思っていること。
もし間違ったとしたらそれはどうしようもない(=俺のせいじゃない)ことだと考えている。
これは肯定というより、あくまで「間違っていない」「悪くない」という形で現れる。間違いを許さない態度。

自尊心:
自分を尊重すること。それはつまり、行為というより、自分という存在を、自分できちんと扱おうとする態度。
体をちゃんと洗おうとか、部屋はちゃんと片付けてあげようとか。

自己愛:
これはいい意味でも悪い意味でも使われるので正直わからない。
が、自己を愛することだと考えると、自分の外に一瞬自分が立ったとして、その自分が自分を見守っている状態。

自己肯定感:
自分に対して特に理由はないけど肯定感があること。自信にだいぶ近い。
「○○だからいいと思う」というよりは、なんとなく俺っていいよね、ぐらいの気持ち。

自己評価:
これと自己肯定感がどう違うのか正直微妙だけども、
たぶん「○○を持っているから俺は素晴らしい」というのは自己肯定感ではなく自己評価に属すると思う。
自分というより自分が持っているものに対して肯定感がある状態。

虚栄心:
だいぶプライドに近い。要するに、ハリボテだとわかっていても、
その見栄えだけは守らなくてはならないとする態度。

ナルシシズム:
自分で自分を素晴らしいと思う態度。と書くと自信もプライドも一緒のようなのだが、
なんだろう、世間と隔絶されている感じがある。世間評価にまったく耳を塞いだ状態でのみ成立する自己肯定。
いや、でもどうなんだろうね。世間から美しい美しい言われて発生するナルシシズムもあるんじゃないかな。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

こうやって書いてみると、ひとつ気づいたことがある。
「プライド」というのは、「肯定」ではなく、
あくまで「間違っていない」「悪くない」という形で現れる、ということだ。

いっぽう、「自信がある」人は、適切な批判を受けた場合、
その批判を受け入れることができるだろう、ってことだ。
自分が「○○できない」ということを真摯に見つめられるだろう、ということだ。
その上で、「自分は○○できる」ということを言えるだろうということ。
できることとできないことが適切に分かっていること。

つまり、プライドが高いことの病理というのは、
「批判を受け入れられない」ことである。

ではなぜ、「批判を受け入れられない」のか?
プライドの高い人は批判を受け入れたらどうなるのだろうか?
自己が崩壊するのだろうか?
それで自己が崩壊するということは、つまりその人の自己というのは、
「自分は一回も間違えない」ということを根拠にして成り立っているのだろうか?
そのルールが崩れてしまってはいけないのだろうか?
なぜ間違えてはいけないのだろうか?
あるいは、そもそもその人は、一度も「間違えた経験」がないのだろうか?
あったとしても、それらをすべて正当化しているのではないか?

だとすると、プライドの病理を解決するには、
この「正当化」のメカニズムを見るのがよさそうだ。

プライドが高い人は、ミスをした場合に、どのように正当化するか。

基本的には「人間だからそら間違えることもあるさ、しょうがない」
という風に正当化をする。
あとは、「たまたま運が悪かった」とか「知らなかった」とか。

あ、でもこの正当化の仕方は、別に誰でもあるな。
ありふれているな。

だとすると、「正当化」よりも、その後に目を向けるべきじゃないのかな。
つまり「反省」と「改善」である。
プライドが高い人が成長しないのは、この「反省」と「改善」のメカニズムが停止しているからである。
逆に言うと、「自信がある」人は「反省」と「改善」のメカニズムがうまく働くのは、なぜなのか。

次回へ続く。

広告

0 Responses to “プライドとか自信とか自己愛とか自尊心とかこの辺の言葉の意味合いをスッキリさせようぜ”



  1. コメントする

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中





%d人のブロガーが「いいね」をつけました。