働きながらぼくが思うこと

働きながらぼくが思うことを5つぐらい書いてみたいと思う。

1、サステイナブルな働き方というものはあまりない

僕らの業界は一般的に残業が多い。
定時で帰れる、というのは、レアな現象だ。
職種にもよるけど、だいたい8時まで残業はあるし、
人によっては10時、11時まで仕事をしていたりする。

その生活はたぶん40代になったら続けられない。
20代・30代はなんとか体力でカバーできる。

そういう意味では今のワークスタイルはサステイナブルではないと思うけど、
サステイナブルでないということがすなわち悪いということではない。
それは決して勘違いしないでほしい。

今はその働き方を楽しんでいる面があるし、
なんなら休日に少し仕事関連のことをしても別にいいかなという気持ちさえある。

そのぐらい仕事をガツガツやる時期があってもいいと思う。
それが一生になると嫌なのは間違いない。
というのは例えば外食は美味しいけど一生外食を続けるのは健康的に無理というのと同じだ。

でも、たとえば、毎日定時で分かりきった仕事をやるのもどうなんだろう?
それはサステイナブルなんだろうか?というと僕はそんな気がしない。
おそらく飽きて辞めたくなると思う。

人は飽きる。サステイナブルな働き方というのはない。

2、目標ありきの考え方はやはり好きではない

目標があって、それを達成するために逆算して、今の行動を考える、というのが、
自分が今いるところの企業文化なのだけれども、それはやっぱりどうも好きになれない。
好きになれないからといって辞めるとかそういう話ではない。これも勘違いしないように。

未来の目標のために現在を捧げるというのは、
それはいくぶん宗教的な生き方ではないか?あるいは終末論的な?最後の審判的な?

たとえばもしどこでもドアがあったとして、
「通勤路」「旅路」というものが消えてしまったら、
それはたぶん、限りなくつまらない世界のような気がする。

過程をすっ飛ばして結果にだけたどり着けるようになってしまったら、
そんなのは、オープニングとエンディングしかないゲームだ。
過程を楽しむために人は生きている。というと言い過ぎだけれど、
要するに、過程は目標の奴隷であってはならない。ノイズが許されなければならない。
寄り道は必要だ。それを殺さない程度であれば、別になんの問題もないけれど。

3、やろうと思えば、案外できる。役割が人を作る。

仕事をすると、たとえば自分ができるとは思ってもいなかったようなことが、
案外できるようになったりする。
それはまあ、もちろん会社の力を借りてできているような気分になっているだけなのだけど、
でも、たとえば独立して同じようなことをやったとしたら、少し慣れは必要だけど、
やっぱりできると思うのだ。

見ず知らずのアメリカの会社に頼み事をする、なんていうことも、
なんだかんだでそういう役割を与えられればできるようになったりする。

もちろん物理的にできないことはあるけれど、
仕事上のことというのは、だいたいの人はだいたいのことをこなせると思う。
あなたは営業ができないとは思わない。営業という役割を与えられていないだけだ。

逆に言うと、役割の与えられていない勉強は徒労で、
英語を使う機会のない人にとっての英語の勉強は、勉強のための勉強だ。
営業に行かない人が営業トークを学んでもしかたない。使えないし。

4、やりたいことはなくてもいい

間違いなく部長に怒られるのだけど(部長は目標設定してそれを逆算して…というのが好きな人だ)、
やりたいことなんてなくていいんじゃないか、と思えてきた。
もちろん僕にやりたいことがないわけじゃないけど、
たとえば数年後、数十年後にこういう大人になりたいといった像はクソほども持ち合わせていない。
たとえば数ヶ月後どうなっていたいかという目標はある。それでいいだろう。

数十年後に書いた目標は、絵に描いた餅だし、書くだけ無駄だ、という考え方は、
幸いにしていろんな思想家のバックアップを得て、だんだん自信がついてきた。
ハイエクだってそんなようなことを書いているし(各人が各人の最もよいものを知っているというのは完全な幻想だ、的な話)、
今日読んだ東浩紀さんの『弱いつながり』でもそういうことは書いてある。

壮大な目標を達成する人生が幸せな人生だ、というのはイデオロギーだ、ということを、
堂々と自信をもって思えるようにしておきたい。
別にその考え自体が悪いものじゃないから、否定する必要はない。それを押し付けられる必要もない。

5、やっぱり、働いてみてよかったと思う

僕の個人的な感想ではあるけれど、働くという場所に身を置いてみて、
できることが増えたな、と思う。
それは間違いなく、学校で過ごした1年間よりも、いい1年だったと思う。

僕は学問に対して何が嫌だったんだろう、というと、
それが現実社会に対して圧倒的なまでに無力なことが嫌だったんだろうと思う。
もちろんそんなことはないのかもしれないけれど、
こと人文系の学問においては、現実社会に関しては本当にさしみのパックに入っている緑色のギザギザ以下のものだと思う。
その認識が覆される日は来るかもしれないし、
人文系の学問の人が書く面白い本は本当に面白い。
少なくとも僕にとっては理系の学問の人の本より面白い。

たぶん、完全なおごりなのだろうけれど、会社で働いていると、
何かこう現実に触れているという感じがする。
現実に人々の生活に関わる何かをしているという感じがする。
それはほどよい距離で、たとえばコンビニの店員よりは圧倒的に遠いけれど、
でも大学の象牙の塔よりは現実に近い、中間的な位置だと思う。それがとてもいい。

ひとつ書いていて気づいたのは、僕はここで「働いて『みて』」という、
「〜してみる」という表現を使いたがるということだ。

今はすごく働くということにポジティブだけれども、
それを一生の仕事にするのか?というとどうなんだろう?という気持ちはある。
一生働いていたいとは思わない。人と関わっていたいとは思う。

だから「働くのはいいことだ」みたいにしてしまうと、
働く以外の世界観をすべて断ち切ってしまうような気がして、そこがすごく嫌なのだ。
働いてみると、案外いいもんだよ、というのにとどめておきたい。大学で頑張る友人もいるし。

そんな感じだ。
何が言いたいかというと東浩紀の『弱いつながり』は面白いってことだ。

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あと、これを読んで台湾に行きたくなった。
身近な異国に行きたい。特にポップな旅行先に。

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1 Response to “働きながらぼくが思うこと”


  1. 1 マリー 2014年9月25日04:29

    はじめまして。少し前からブログを読ませていただいてます。

    感覚がとても似ているというか…
    思うところがとても似ていて、コメントしました

    わたしは、社会人一年目、事務職をしています(*^^*)

    やりたいことはずーっと決まってないのですが、ただ、会社には憧れるひとや、尊敬できるひとは、いないです
    会社が嫌なわけではないけど、ここに馴染んではいけない気がしています
    だからなにをするというわけではないけど。
    その理由が、まさに、ここに書いてあることに集約されている気がします
    アウトプットがうまくて、うらやましいです

    また読ませてください。


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