やりたいことは結局考えなければならない

結論から申し上げると、「やりたいこと」というのは就活の時だけ考えればよいものではなく、
社会人になってからも常に考え続けなければいかんのですなぁ、ということですよ。

「将来どういう風になりたいの?」等といった質問を受けるたびに、
ばつの悪さというか居心地の悪さというか、「そんなこと聞くなよ」と思っていて、
毎回お茶を濁し続けてはいたんですが、そうもいかないんだなあと思うことが最近ありまして、
まあ考えなければいけないんだろうなあという風にはなってきています。
なんてめんどくさいんだ。

しかし、そもそもこの「やりたいことを聞かれた」ときに
「めんどくせえ」と感じること自体が不思議な現象なのではないか?
そして自分の性格上、そもそもその現象自体を考えてみる方がよいのではないか?と思いましたのでそちらについて考えてみます。

まず「やりたいこと」を考えるのが「めんどくせえ」と感じない人もいるだろうと思うのです。
基本的には自分にとってプラスなことを考えることですし、
夢について思いをめぐらせるわけですから、どちらかといえば楽しい部類の想像のはずです。

でも、真剣に「やりたいこと」を考えるとなると、
すなわち「そのためにやらなければならないこと」もあわせて考えなければならない。
それは何も迂遠な目標には限らなくて、たとえば単に海外旅行をしたいとしても、
そのために旅費をこれぐらい稼がなければならない、有給をとるために前もって交渉しなければいけない、
現地で宿泊施設を予約しなければならない、そのためには日程を決めなければならない…etc….
めんどくさい。

さらにいえば、海外旅行は比較的単独でできるものですが、
たとえば会社を作るみたいな社会的な目標の場合、まず創業メンバーとしてどういった人を仲間にするか、
そもそもそのサービスは受け入れられるのか、仮に失敗したときのためにどういったリスクヘッジをするか…とか、
もう考えなければいけないことを考えること自体がめんどくさすぎるほどめんどくさいわけです。

そういった作業を考えること自体があまりめんどくさく感じない人もいるのでしょうが、
僕にとってこれは気が遠くなるほどめんどくさいです。
真剣に考えようとすればするほど面倒。

僕にとって「やりたいことを考えること」がめんどくさいのではなく、
実は「やりたいことのためにやらなくてはならないことや考慮しなければならない外部要因を考えること」
がめんどくさいのである、ということは見えてきました。

いや本当に、これは割と重要だと思っていて、たとえば最新テクノロジーとかも考慮しなければならないんですよね。
今から新しいサービスを立ち上げようとしていたとしても、そもそもそれが最新技術(人工知能など)によって
簡単に消え去ってしまうような性質のものや簡単に古くなってしまう性質のものである場合、
それは結局つぶれてしまう目標になるわけですから。

もちろんそういったことを考えなくていい目標というのもあるかもしれません。
たとえば地元で飲食店を作ろうみたいな目標の場合、人工知能とかは比較的無視していい部類のものだと思います。
それにしたって例えば近所にどういったお店があって、住んでいる人はどのぐらいの収入層で…とか考えなければならない。
まあ考えなくても始めること自体はできるし、それでうまくいく人もいるんですが。

となると「やりたいことのためにやらなくてはならないことや考慮しなければならない外部要因を考えること」を
一旦考えずにまずは「やりたいこと」だけを考えればよいのか?
というとどうもそれは無責任な感じがします。
とはいえブレーンストーミングのような形で考えることは可能でしょうし、
そのブレーンストーミングが足りていないというのはあります。

世間でいう「やりたいこと」がある人はどうやって考えてるんだろう?
それに伴うもろもろの面倒くさいことを考えてなお、そうなったのだろうか?
あるいはそういったものは実は考えなくてよくて、
「やりたいこと」さえ明確に決まれば手段なんて後からいくらでも思いつくのだろうか?

どうなんだろう。
たとえば今僕はトンバクというイランの打楽器をいい感じで作りたいと思っている。
これは瞬間的な願望ではなくて、むしろここ数か月ずっと思っている願望である。
でもそれを作るために考えなければならないことをすべて考えたわけじゃなくて、
むしろ何回か自作してみて、だいたい毎回何かしら失敗していて、納得いくものはまだできていない。

けどそもそもこの願望はゼロから出てきたものではなくて、
僕がフレームドラム制作ワークショップになんとなく行ってみて、
「フレームドラムは、つくれる。」ということを理解して、
「あ!じゃあこれを応用してあの楽器をこうして改造すればトンバクになるんじゃないか?」という発想ができて、
初めて出てきた目標だと思う。(もちろんそれ以前にトンバクという楽器が好きになったとかはいろいろある)

つまり、人はそもそも、「できる」と思っていないことを「目標」として想像できないのではないか?
できないまではいかないにしても、目標というものにはそういう性質があるのではないか?

たとえば会社を1度も作ったことがない人が「会社を作る」と想像するより、
1度作ったことがある人が同じ想像をする方がはるかに楽だろう。
ライブを自分で開催したことが無い人は「ライブする」という目標を想像することすら難しいが、
何度か開催したことは「こういう組み合わせでライブする」というところまで想像できるだろう。

経験が想像を規定するとしたら、そしてそのために自分がいまいち未来について想像を持てないとしたら、
自分がやるべきなのは新たな種類の経験を増やすことなのだろうか。
それを「やりたいこと」とするのもありかもしれない。

でもそうすると、集めるべき「新たな経験」があまりにも膨大になってしまうから、
せめてそれは「一旦やらなければいけないことは置いて考えた『やりたいこと』」のために「必要な経験」
とした方がよいのかもしれない。

でもそうなると今度はまた「やりたいこと」を考えるという内容に戻ってくるよね?という話だが、
今度は「やらなければならないこと」からいったん解放されているから、その分だけ楽かもしれない。

いや?そもそも「経験」である必要があるのか?
例えば僕がフレームドラム制作ワークショップに行かなかったとしても、
「トンバクをつくりたいな~」という目標があったとすれば、
あとは勝手にYouTubeなどの「情報」を調べて皮の張り方を理解できたのではないか?
「経験」は「情報」の単なる1カテゴリーではないか?

そうなると、もはや「やりたいこと」を考えるために残されている課題というのは「想像」のみかもしれない。
とはいえ、何もないところから「想像」をめぐらすのもこれまた難しい。

といったときにたぶん人は過去(とりわけ過去の嬉しかった瞬間)を参照するんだろうなあ、と思います。
だから就活では過去を振り返るんだろうなあ。
あと最近は、面接では志望動機とかよりも過去について具体的に聞いた方がいいとも言われますし。

順当に過去について考え、そこから想像をめぐらそうと思います。

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