スキルの可視化

大学とか通信教育とかについて最近考えていたんですが、
どうもこれは「スキルの可視化」というキーワードを挟んで考えたほうがいいなという気がしていまして。

要は学歴というのは「スキルの可視化」なんだなということです。
「職歴」や「資格」もまた「スキルの可視化」であるということです。

で、そうしたときに「通信教育」は「スキルの取得」ではあるけれど
「スキルの可視化」としての役割はおそらく比較的低いのでは?(少なくとも日本においては)という気がしました。
これが完全に「スキルの可視化」としての役割を果たすのであれば、
もっと通信教育は盛り上がるのかなあという風にも考えました。

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どういうことかというと、「スキル」というのはそもそも目に見えないものなわけですね。
いや、これも厳密には正確ではなくて、例えばダンスとかなら「踊ってみてくれ」で
一流のダンサーとひよっこダンサーの違いはすぐ目に見えてわかるでしょうし、
絵を描いたとしても画家と素人ではまるで違うわけです。
そういう「可視化しやすいスキル」というものは確かにある。

ちなみにそういう「可視化しやすいスキル」に関する就職活動というのは、
比較的「ポートフォリオ」というものを多く用いる傾向にあると思われます。
なぜならそれはスキルが目に見えて持ち運びしやすいから。写真家とか、Webデザイナーとか。
音楽家の「デモテープ」もやっぱりスキルを形にしたものです。

でも、一般企業で働く、特に視覚的でも聴覚的でもない職業の人というのは、
スキルが目に見えにくいわけです。

たとえば営業のスキルというのはパッと見でわかるものかというと、そうとも限らない。
お客さんの要望をヒアリングする力だったり、ドアノックして新規窓口に話を聞いてもらう力だったり、
あるいはお客さんの課題に対する提案力だったり、社内関係部署との調整をうまくこなす能力だったり、
とまあ営業の能力にもいろいろあり、たとえばそれをデモでロールプレイングでやってみたとしても、
どこかウソっぽさがつきまといますし、その1回で測れるものかというとそうでもなかったりするし。

というところでどうやってたとえば営業の人を雇うんだろうというと、
まあ性格だったりとか話し方だったりとかその人の経歴とか価値観とかを聞いてみて、
たぶんこの人はうちに合うかなー合わないかなーみたいなのをやって、考えるわけです。

とはいえそれはあくまで「話」なので、たとえば自分はこういう能力・役割を発揮して
こういう仕事をやり遂げました、みたいなのも正直本当かどうか分からないです。
また、業種によっては守秘義務があり業績が言いづらい仕事などもあります。

というところで究極頼りにしやすいのが「経歴」で、
たとえば営業を5年間やっていた人であればまあ少なくとも営業はできるかなとか、
あの会社でこのポジションを勤めていたならまあマネージャーにしてもいいかなーとか、あるわけです。
海外の職務の中途採用とかを見ると特に顕著で、
だいたいの職務の応募条件に「○○での業務経験何年以上」という但し書きがついています。

それはやっぱり「経歴」が「仕事ができる能力」のシンボルとして扱いやすいからで、
まさに「経歴」は「スキルの可視化」になっているわけです。

ただ世の中全てがこういう条件で人をとっていくとすると、
結局その人は最初についた職種でしかずっと働けないわけで、
たとえばデザイナーになるにはデザイナーの職務経験が必要だがデザイナーの職務経験を得るにはデザイナーの職務経験が必要、
そしてそのデザイナーの職務経験を得るにはデザイナーの職務経験が必要ですがデザイナーの職務経験を得るにはデザイナーの・・・
というように無限後退していく、端的に言うとキャリアチェンジしづらい世の中になってしまいます。
(もちろん、未経験可、みたいな職場もどこかにはあるので、最初はそういうとこから始めていくわけですが)

あのピーター・ドラッカーも「最初の仕事はくじ引きである」と言っているぐらいなので、
そういう世の中はちょっとあんまり全体最適化ではないなあ、と思ったり。

たとえばすごく営業に向いてる人がたまたま最初に経理の仕事についちゃったから経理の仕事をずっとしており、
逆に経理に向いてるのに営業からキャリアを始めたからしぶしぶずっと営業やってる、みたいなのは世の中にはたぶんあると思うんですね。
個別の企業にとっては経験者を雇えているわけだから個別最適化ではあるんですが、
でも全体としては人間がすごくもったいない。

でもその「すごく営業に向いてるけど営業の仕事はやったことがない人」が
「すごく営業に向いている」ということはすぐさま可視化できないですよね。
面接とかで話を聞いていくうちに、もしかしてこの人は、というのが見いだせることはあると思いますが、
目に見えてこれやで、という形で出せるものはその人は何も持っていない。

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ここまでは中途の話ですが(なんで仕事の話になってるのか)、
新卒採用において「学歴」が一つのフィルターとして使われることはあるらしいです。
最近ではだいぶ減ってきたみたいな話を聞きますが真相のほどは分かりません。
むしろインターネットで応募が大量に増えて、フィルターとして使わざるを得ないみたいな話も聞きますし。

で、これもやっぱり「学歴」が「スキルの可視化」というか、
まあどっちかというと「可視化されたスキル」として扱いやすいものが「学歴」ぐらいしかないから、
それを使わざるを得ないというか使った方が楽、というのが原因になっていると思います。

ここでたとえば「資格」を学生がとったとしても、それが特に「士」のつくような専門職であればともかく、
それ以外の職務については実際にその人がやる職務と資格が関連付けられるかわからないため、
いやこの資格をアピールされましても、ということに往々にしてなりがちです。

そうなるとまあ、ある程度は学歴でフィルターをかけつつも、
あとはなにか応募履歴書にちょっと気になる人がいたら会って話を聞いてみて、
という感じにならざるをえない。それはまあやっぱり人間がもったいない。
てか僕は人間がもったいないことが嫌いなんですね。たぶん。

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という風に考えていくと世の中のいろいろな問題というのは
どうも「スキルの可視化」が難しいから起きてるんじゃね?とも思えてきました。

たとえば「スキル」がもっとも直接的に見えるのってゲームの世界じゃないですか。
攻撃力しかり防御力しかり。魔法しかり必殺技しかり。
キャラのすべての能力が数値化・明示化できる。

で、RPGの例なんですが、ずっとファーストステージでスライムを倒し続けるという遊び方は
たぶんないんじゃないかと思うんです。なぜならレベルアップしたというのが見えるし、
スライムに与えるダメージが大きくなっているのも分かるし。
もう次に進んでもいいだろうというのがはっきり分かる。

あるいは、この魔法が使えると便利だから、この魔法を覚えよう、ないし、
この魔法が使えるキャラクターを仲間に引き入れよう、とかそういう選択ができる。

でも現実世界だとずっとスライムを倒し続けている人みたいなのがいたり、
あるいはいまだに次のステージに進むために何が足りないのか分からない人がいたりする。
そういうのもやっぱりもったいないなあというかなんというか。すごく抽象的な話なんですけどね。

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あとはすみませんが今日もちょっと夜遅いのでいくつか思いついたことをメモ的な感じで並べていきます。
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・「学歴」は「スキルの可視化」として扱われやすいが、
 「通信教育」は比較的扱われにくいのではないか。

・仕事の世界では「学歴」は「職歴」よりも弱いシンボルである。
 もちろん学問の世界では「学歴」の方が強いシンボルである。

・「普遍的なスキル」と「業務特殊的なスキル」がある。
 たとえば営業の仕事は「普遍的なスキル」がほとんどであると思う。
 誰でもできる仕事、という意味ではなくて、どこに行っても割とつぶしがきく、どの仕事でも使えるスキルという意味。
 「業務特殊的なスキル」はたとえば建築士が図面を書く能力であったり、
 写真家が写真を撮るテクニックであったり。その業務以外では使いにくい。でも可視化しやすい。

・同じ職種でも仕事によって「普遍的なスキル」と「業務特殊的なスキル」の割合が違う。
 たとえば同じ「写真家」でも、芸術家寄りの写真家は「業務特殊的なスキル」が多いと想像されるが、
 クライアントがいて要望を聞いて段取りを組んで写真を撮って、という写真家の場合は
 コミュニケーションや調整能力など「普遍的なスキル」が求められる割合が比較的高いのではないか。

・学校は「業務特殊的なスキル」を教えるのには向いているが
 「普遍的なスキル」を教えるのにはあまり向いていないのではないか。

・かといって、「普遍的なスキル」だけを教える学校があってもそれはそれで違和感がある。
 ビジネスマナーやらコミュニケーション能力だけを教えている学校は
 (もし存在するならだが)そもそも「学校」と呼ぶことが変な感じがする。

・専門学校は「業務特殊的なスキル」を教える学校だがそれは成立する。

・日本の職業の大半は「普遍的なスキル」で構成されているがゆえに、
 学校で学んだ「業務特殊的なスキル」と関係ない職務につく人がほとんどなのではないか。

・欧米では大学の専門と職業が密接に結びついていると言われるので、
 「業務特殊的なスキル」の割合が高いと考えられるが実際どうなんだろう。

・スキルが陳腐化するスピードがどんどん早くなっていくと、
 「業務特殊的なスキル」の価値は下落しやすくなるのか?そうすると教育はどうなるのか?

・通信教育は「スキルの可視化」としての意味合いが低いがゆえに、
 かえって「スキルそのものの習得」にだけ集中できる可能性がある。
 (というかそれを目的としないと続けられない)

・「業務特殊的なスキル」は突き詰めていくと「普遍的なスキル」に至るかもしれない。

・みんなが「スキルの可視化」と信じているだけで、
 実はまったくスキルと関係ないもの、あるいはスキルとの相関が低いもの、があるかもしれない。

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