運命とその受容

最近は為末大さんの書いたもの(ブログや記事や本やら)をよく読んでいて、
何となくなんか今感じている問題に近いヒントがあるなあと思うのですが、
繰り返し出てくるテーマとして「運命論」みたいなものがある。

為末大さんは運命論者である、というと言い過ぎというかちょっと違う気がするんですが、
簡単に言うと「頑張れば成功する」という価値観に対して「それは違うんじゃないの?」と、
むしろ(世間的には)「頑張って成功した」人が言っちゃうというところが波紋を呼び、
時に批判を浴び、時に喝采を浴び、時々炎上もしたりしている。(日本人がヒップホップをやることについて、とか)

で、「頑張れば成功する」という言説は、多分、
「そういうことにしておかないと諸々ややこしくなる」というところに端を発している。
わからない。この言説は、もしかすると身分制社会ではすんなり受け入れられるのかもしれない。
たとえばインドとかだとどうなんだろうか。価値観を聞いてみたいがインドの人はその割にハングリーだと思う。

たとえば頑張っても成功しないとなると、ではなぜ頑張らなければいけないのか、ということになり、
社会から活力が失われる、働くやる気が失われる。
あるいは頑張っても成功しない=生まれで差がついている、となると、
これは人間は平等であるという近代社会の基礎ルールを大きく損なうものとなる。
そうなるとそもそも我々が生きている社会って何を基盤にして成り立っているんだっけとか、
そういうことから考え始めなければならず、それはとても怖いし重荷なので、考えたくない。
それよりは「チャンスはみんなにある」と考えたほうが楽だし、何となくハッピーな気がする。
というかそう考えないとやっていけない。というのがある。

まあそれだけだとルソーが人間不平等起源論で言っていることと同じだよね、となっちゃいますが、
もうちょっと実際にはいろいろなことを言っている。けど大きなテーマとしてはそこに通じる。

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これも同じく受け売りでしかないんですが、
日本にとって、そういう「人間は不平等」「努力しても報われない」みたいなテーマと向き合わざるを得なくなったのは、
やっぱり東日本大震災の影響が大きいと思う。

良い人も悪い人もいたかもしれないけれど、それらをひっくるめて、
地震や津波という災害が、特に何の理由もなく、人の命を奪っていった。
僕は関西にいたので全く地震を感じず、未だに震災に対してリアリティを持てていないのだけど、
そういうことがある、という実感はテレビやネットを通じて全国に伝わっていった。

HONDAが「負けるもんか。」というコピーで、
 たいてい、努力は報われない。
 たいてい、正義は勝てやしない。
 たいてい、夢はかなわない。
とはっきり言いだしたのは2012年のことだった。
http://www.honda.co.jp/movie/201204/corporate/

それだけを取り上げて一般化するのもよくないし、
それ以前にもそういうメッセージはあったのかもしれないけれど、
そういうメッセージをHONDAという大企業が打ち出したことは衝撃だった。
多分その辺からそういう風向きが変わってきたのだろう。

為末大さんが現役を引退したのも2012年で、
それ以前にも走ることについての著作は出されているが、
そこから出した著作については何かと「諦めること」の話が出てくる。多分毎回出てきていると思う。
そういう時代の空気感と、為末大さんの発言する内容がシンクロしていて、
共感する人が多くなったというのはあるのかなと思う。

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話は変わって、よく仕事論・転職論なんかで見かけるのは
「石の上にも三年」論と「嫌なら早くジョブチェンジ」論の戦いである。
どちらかというと「石の上にも三年」論が昔から日本では優勢で、
最近になってベンチャーやら何やら出てきたおかげで「嫌なら早くジョブチェンジ」論も割とよく見かけるようになった。

前者を象徴する本としては、これは何も仕事論の本ではないけれど、
置かれた場所で咲きなさい』だと思う。
2012年に出版後、約4年で200万部というベストセラーになっています。(出典
「もしドラ」が244万部とかなので、それといい勝負できるぐらいのヒット作です。

ただ、この本が売れたのも実は「2012年」という時期が関係してるかもしれません。
震災で理不尽に命が奪われたり、理不尽に不便な生活を余儀なくされた、という時に、
「それは運命/与えられた試練なんですよ」みたいな着地点、ある種の運命論を与えてあげることで、
少なからず多くの人が少し安心できた、というのはあるのかなと思います。

為末大さんも比較的運命論寄りではあるんですが、
おそらく「置かれた場所で」ということが大きく違うと思います。
置かれた場所が自分の生存に難しければそこは移動しようという立場です。おそらく。

後者の「嫌なら早くジョブチェンジ」論の代表としては、
たとえばイケダハヤトさんやら厚切りジェイソンさんが挙げられるのかなと思います。
よく考えるとどっちもIT系ですね。IT系はジョブチェンジと親和性が高いのでそれもあると思いますが。

『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』という本が出たのが2008年ごろで、
その辺りから徐々に「ブラック企業問題」が顕在化されていきます。
「黙って会社の言うことに従っていると、最悪の場合死ぬ」という事態は衝撃を与え、
「ワークライフバランス」という言葉が注目されるようになりました。
ちなみにGoogleトレンドで見ると2008年7月が「ワークライフバランス」の検索人気度のピークですね。

まあだからその辺りからすでに「しんどければ会社を辞めたっていいんだよ」論は出てきていて、
それが東日本大震災を経て「いつか天災で死んでしまうかもしれないんだから、やりたいことをやって生きよう」という論調に
さらに変化してきた。というのがなんとな〜く日本のこの辺の仕事論の歴史なのかなと考えています。

ただ、この論はこの論で反論もあって、「早くやめてしまうと、能力も身につかないし面白味もわからない」とか、
「自分の仕事が全体の中で果たす役割を真剣に考えていないからつまらなく感じるだけ」とかいろいろあり、
まあそれもそうなのかなあと思うことも。

まあ、そういう両方の論があって、両方を見ながら考えられる、ということは、いい時代だと思います。
これがたとえば逆に「嫌なら早くジョブチェンジ」だけに行ってしまうと、
ジョブホップした挙句対してキャリアも身につかず上手くなったのは転職面接だけ、みたいなことにもなりかねない。
それはそれで非効率な社会でしょうし、そんなに転職を繰り返すほど職場に劇的な差があるもんなんだろうか。

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運命と受容ということを考えた時に、一番の問題は、
その運命がそもそも運命なのか(=変えられないものなのか?)、
そしてそれは受け入れるべきものなのか?というところは結局自分で判断せざるをえない、というところだと思う。

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